kyousei

心に関する人間研究の考察について書きます。

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考えることがなぜ大切なのか

ぼくは人の健康に携わる仕事の中で、何千人もの人と接してきた。心を制御することが簡単ではないことは承知している。 生きていく中で、負荷(ストレス)を避けることは不可能だと思う。 ストレスを解消するといっても、それは一時的なものでしかないことは誰でも知っている。 ポジティブシンキングや自己啓発も根本的な解決にはならない。本当の苦悩は、カラ元気や自己暗示ではどうにもならないのだ。 苦悩の原因は、思い込みや期待だ。 これは私たちが生まれ持った脳の機能による「推論」と「現実」のズレ

    • やりたいことと成功は違う

      人間の欲求には「やりたいこと」というのがある。明確なようでいて明確ではない。 また、「成功したい」という欲求が人間にはあるが、これも明確なようでいて漠然としている。 ここまでは似ているが、「成功したいこと=やりたいこと」ではない。 やりたいことをやったからといって成功につながるかは不明である。 成功したことがやりたいことと同じかといえばそうとは限らない。 「結婚したい」という欲求を満たされたからといって、その相手が「好きな人」とは限らない、というよりもさらに距離が開く。別の欲

      • 失敗の過去から学ぶ

        「あの時は仕方がなかった」と取り返しのつかない大きな間違いをしたのに開き直る人たちの犠牲にならないようにするためには、失敗とは何だったのだろうか真剣に知ろうとすることが必須である。 ワクチンによる後遺症が明確になってきた。(副反応ではない!) 私の周りでも「実はワクチンを射ってから体調が…」と言う人が増えてきた。 統計的には、あなたの周囲にいる100人に一人くらいに現れるとも言われる。 「そんなことはない!」と目を逸らしたくなる気持ちはよくわかるが勇気を出して目を向けて欲しい

        • 人間関係をどう構築すればいいのだろう…

          最近、投稿することを忘れている。 不運めいたことが続いていたのだ。不運めいたというのは、人間万事塞翁が馬といわれるので、それが幸か不幸かはまだわからないからだ。 そんな話はおいといて、人間関係について考察してみた。 会社の同僚との人間関係と会社以外の人との人間関係は同じだろうか。おそらく同じではない。 私は、仕事柄、人間関係を構築し信頼関係でつながるにはどうすればいいかということを真剣に考えさせられてきたので少し語ることはできると思う。 心理学から人間関係を語るともっともら

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        考えることがなぜ大切なのか

          「あの時は仕方がなかった」で許されるのか

          誰にでも失敗はある。失敗のない人はいない。私は許される失敗と許されない失敗があると考えている。 戦争では嘘ばかりついて国民を誘導して多くの若者を戦地に送って殺した。それらに反対しようとすると、殺される側の国民も同調して非国民だと罵る。それは許されない失敗である。 それなのに、自分たちが間違っていたにも関わらず「あの時は仕方がなかった」と開き直る。「あの時は間違っていた」となぜ言えないのだろう。 先日、NHKでワクチンの後遺症による死亡についての放映があった。多くの人が死んで

          「あの時は仕方がなかった」で許されるのか

          現状維持はつまらない…

          人間の心理には現状維持するというものがあるようだ。変えたくないということである。 習慣や伝統、思い込みなど変えたくないものはたくさんある。 しかし、そのせいで日々を面白くないものにしている可能性がある。変化がないからだ。 私は日頃から他人の助言を大切にしている。他人は自分にない経験をしている。 そういった中で、重要だと思えることやお勧めするべきことを助言してもらえるととても嬉しいのである。 ほとんどの人は「食わず嫌い」によって物事を決める傾向にある。 お勧めされても「いや、そ

          現状維持はつまらない…

          愚痴の弊害について

          毎日毎日毎日愚痴を言い続けている人もいる。 そんな人が周囲に一人くらいはいるのではないだろうか。 喋るだけ喋って「スッキリした」と言うが、聞かされた側がスッキリしていないことに思いを馳せることはない。 なぜ愚痴を聞いていると嫌な思いがするのだろう。男性がよく経験するのは、 「〇〇さんがこんなことして、あんなことして、こう言った」という話ではないだろうか。 会ったこともない人の名前が出てくるオチのない物語を聞かされ、最後に「どう思う〜」と訊かれ、「知らんがな」というのが答えなの

          愚痴の弊害について

          価値を問うことについて

          いつもながら、無意味に思えるような問いについて考えている。 今日は「価値を問う」について考えてみた。「価値」や「価値観」という言葉を日常で見聞きし、自分自身も使っているが、その価値は本当に価値といえるか、「私には価値があるのか」と問うその「価値」は、しっかりと意味をとらえているだろうか。 アイン.ランドは著書の中で「人間は「価値」あるものを獲得するために行動する」といった。 また、「価値という概念は、他に選択肢があるにもかかわらず、ひとつの目標に到達することができる実体を前提

          価値を問うことについて

          アートについて

          備忘録なので無視してもらって構わないが、私はときどきアートについて考えることがある。 「そんなに難しく考えなくても…」と言われるがはっきりしておきたいと思うのだ。 美術評論家のハーバード.リードは「芸術は必ずしも美だけではない」と言い、芸術哲学者のスザンヌ.K.ランガーは、「内面的な本質を外に示すことであり、主観的実在の客観的化である」といい、「主観的生命の客観化である」ともいう。 つまり芸術は「主観的な感情を客観化すること」だといえばいいだろう。 「アート作品とは、熟考もし

          アートについて

          顧客満足という茶番劇

          「あなたの笑顔が見たくて!」というフレーズをよく耳にするが、労働者が本気でそんなことを考えているはずはない。召使ではないのだ。 自分のお勧めしたい商品を客に理解してもらうための努力は許容できるが、ご機嫌伺いや太鼓持ちなどだれができるだろうか。 そもそも客が望むのはそういったことではない。 客の要望を第一に考えるなら「お客様の笑顔が見たくて」とはならない。「あなたに寄り添って」「おもてなし」などと抽象的な表現で接客のイメージ作りをするが一体誰が喜ぶのだろうか。そんなことを考えさ

          顧客満足という茶番劇

          自由について

          真理に至ると自由になれるという話があるが、それは本当のことだと思う。ただ、その真理に到達する人は少ないといわれるのも本当だろう。 巷での「自由になりたい」という願望のほとんどは、「気ままに暮らす」「快適に暮らす」といった好みの問題であり、自由とは関係のない話をする。 それは自由と言わずに、素直に気ままに暮らしたいと言った方が正確さに近づくはずだが現実化するかはまた別の話でありそれが真理でもある。 自由は真理によって制御されることでもあり、好みや気ままなど出鱈目でいると、かえっ

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          連休と憂鬱

          今年のお盆は大型連休になったところが多いようだ。私は相変わらずのマイペースで仕事をしていた。 不思議なことに休まず仕事をしている私よりも、十分に休養したはずの人の方が疲れているように思える。 「明日からまた仕事か…」 「あー休みが終わる〰︎」 「何日休んだら満足なん?」と訊くと「ずーと」。 仕事熱心な鮨屋の店長は、雇われているにも関わらず「休みなんて二日くらいでいいですよね」と言う。 「仕込みが気になるし、休んでも何にも変わらんでしょ」とも言う。 この店長が独立したら私は客に

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          独自性について

          私は一つのことを探究していくことが好きだ。何かに興味を持つと探究せずにはいられない。最終地点を見てみたいのだ。 子供の頃、川の源流はどうなっているのか知りたくて、近所の子供を連れてさかんに山に登ったりしたことを思い出す。 私は楽しいと思っていたのだが、ある日、子供たちの母親が家に来て「うちの子供と遊ばんといてな。あんたと遊んでたら疲れて宿題も出来ないから」と言われてショックを受けたことがある。自分の興味は他人の興味ではないということを悟った。 仕事でもそうだ。徹底的に調べて仮

          独自性について

          自己犠牲はいらない

          「人のため」「家族のため」「国を守るため」「人類のため」と利他的なことは良いことだと思わせようとする。 また、事実良いことのように思えなくもない。 しかし、「〇〇のため」とそそのかす奴らがいることを知っておかなくてはならない。 うまいこと他人をその気にさせて自分が得をしようとする戦略なのだ。 他人と自分は同じであり、家族は自分がいてこそ家族であり、自分は人類の一人でもある。自己犠牲によってそれらを助けているという気になってはならない。 自分を助けることは即ち他人を助けることで

          自己犠牲はいらない

          何をするべきか

          私たちが生きるうえで考えがちなことはそれほど大したことはない。 深刻な顔をして呟く内容自体は誰にでもある素朴なエピソードでしかない。悩みや苦悩であっても素朴なものである。 これまで思いもしなかった出来事が生じ、うまくいくはずだった人生に綻びを見つけたときに生じる心の煩悶のことである。実際は、年齢を重ねていくに連れて、環境に適応すべきことが多くなり、煩悶を感じる機会が多くなっていくととらえた方がよさそうだ。 生きる中で自分だけの課題というものに向き合って生きている人はどれくらい

          何をするべきか

          戦争の反省は誰がするべきなのか

          終戦記念日が近づくとテレビではその関連の番組が多くなる。今日もそれを放送していた。特攻隊の隊員の悲しい話だった。「可哀想」を引き出す物語だ。それで視聴率を稼ごうとしているようにさえ思える。 戦争は良くないと言いたいことはよくわかる。しかし、現代の私たちに何をしろというのだろうか。それを考えたことがあるだろうか。出来ることといったら「マスコミを鵜呑みにするな」ではないだろうか。 もし、大戦中に私が二十歳前後で「お国のため」と何度も何度も言われれば、100%の確率で特攻隊に志願し

          戦争の反省は誰がするべきなのか