kyousei

日常のこと、アートのこと、心に関すること、人間研究の考察について書きます。

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考えることがなぜ大切なのか

ぼくは人の健康に携わる仕事の中で、何千人もの人と接してきた。心を制御することが簡単ではないことは承知している。 生きていく中で、負荷(ストレス)を避けることは不可能だと思う。 ストレスを解消するといっても、それは一時的なものでしかないことは誰でも知っている。 ポジティブシンキングや自己啓発も根本的な解決にはならない。本当の苦悩は、カラ元気や自己暗示ではどうにもならないのだ。 苦悩の原因は、思い込みや期待だ。 これは私たちが生まれ持った脳の機能による「推論」と「現実」のズレ

    • 嘘はSNS?メディア?

      兵庫県知事選挙は斉藤元彦知事が再選した。これに関していろんな人がいろんなことを言っている。SNSの情報に引っ張られた兵庫県民はバカだの情報弱者だの言う輩もいる。「だってそうやん!」と言われそうだ。 果たしてそうなのだろうか。「斉藤氏はSNSをうまく使った」とメディアは言うがこれは偽情報だ。 彼のxを当初から見ていたが「今日は◯◯に来ました」程度の報告だった。 メディアを信じきっている人は「何でSNSなんか信じるのか」と言うが、ではなぜメディアなら信じられるのだろうか。

      • 人間というものー生き方

        人間の生き方は各々あるだろう。それでも共通していることは、動物のように生きるのではなく、人間的な生き方でなければならないのではないだろうか。 そこで人間的とは何かを問わなくてはならない。 地球は人間のためにあるといった人間中心主義のように生きることではなく、先ず、人間社会の中で生きることを考えなくてはならない。 私はアイン.ランドの述べた「他人の犠牲にならない生き方、他人を犠牲にしない生き方」を採用したい。 この哲学は簡単なようでいて難しい生き方でもあるが、人間としての見

        • 人間というものーただ生きるだけでなく

          人間の心は、生存と繁殖を有利にするために使われるというのはおそらく真実であろう。そこからいろんな行動や心の働きが説明できることからもわかる。 しかし、人間の心がそれをゴールとしていないことも事実としてある。 たとえば、子孫を残すという行為が真実であるとしても、「残す」というのは子孫だけでなく業績や資本、名声、実績、作品など子孫を残す以上の心の使い方をすることもある。子孫がいなくてもだ。 長く生きてきて虚しく感じる心の働きは「何も残せていない」という虚しさと無関係ではない。

        • 固定された記事

        考えることがなぜ大切なのか

          人間というものー嫉妬について

          西尾幹二は、人は「低く評価されると、こたえる。じくじく気に病む。言った人を憎む。」と述べている。 さらに「作家というものは評価されることに飢えていて、自分の名前が大きな活字になるか否かを気にしている存在だ。」と三島由紀夫の話を紹介している。 そして、芸術や思想の仕事は、各々が自分の評価尺度を主張している。自分こそが真物であると訴えている。」と西尾はいう。 彼らに限らず一般社会においても自分の評価を強く気にする人は多い。 「自分がいなければ会社は潰れるぞ!」と息巻く人や、「自

          人間というものー嫉妬について

          失敗には役割がある

          「たまにある不幸は幸せに慣れてしまわないようにするためにある」とはショーペンハウアーが言ったとされる。 それと同じような意味で「失敗は真理に近づくためにある」これは私が言ったことだ。そのために失敗はできるだけ早くしろ、ということが大切だと理解できる。 間違っているのに正しいと思い込んでいると、限られた残り少ない時間を無駄に使ってしまう。 失敗しないことは良いことのように子供の頃から教えられてきたが、現実は失敗しないことは悪いことでもある。 正しさは誤りと比較されるからわか

          失敗には役割がある

          考えることを考えることについて

          考えることと思うことは似ているようで違うということはnoteでの記事で何度も指摘した。 「雨が降りそうだから嫌だな」と思うが「だから傘を持って行こう」と考えるのである。どうするかの対処を考えるのである。 哲学とは何かと問われたら「考えることを考える」ということも定義に入れることができるだろう。考えることは哲学の仕事でもある。 しかし、考えることは意外にも難しく、間違うと生き方や生存にも関与する。だから私たちは考えなければならないのだ、とそう考えるのである。 また、思い込み

          考えることを考えることについて

          思考は思い込みや印象を取り除くこと

          私も含めた全てのヒトは思い込みによって思考を停止するものである。このことは、考え方を更新することが出来ずに、環境に適応出来ない、という生存を危うくする状況に陥る蓋然性が高いともいえる。 街でブツブツと何かを呟きながら歩いている人を見ると「危ない人」と思うかも知れないが真実ではない。 酒鬼薔薇聖斗事件を覚えている人はご存知のように、目撃者の話には「黒いゴミ袋を担いで歩いているおじさんを見た」というものもあったが事実は中学生だった。 最近では斉藤元彦兵庫県知事の話なんかも面

          思考は思い込みや印象を取り除くこと

          心の健常は「更新」

          悩みを抱える人を毎日のように観ていると、そんな人には共通していることがある。 心を更新出来ない、更新しない、更新する気がないなど同じ状況に留まろうとするのである。 それは厳密には誰にでもある心理傾向なのだが、固定されたかのように思い込んでいると心の病にまで進んでいくこともある。 たとえば食事が不味いという状況を変えるならあなたならどういった対処をするだろうか。その対処法はいろいろあるはずだ。 心が病に陥りやすい対処法は「我慢して食べ続ける」ことである。食事をする度に「不味いな

          心の健常は「更新」

          難しいことを考えるからといって生き方まで難しくなるとはいえない

          「難しいことを考えると頭が痛くなる」「ややこしいことを考えるのは嫌」という話はよくあるが、実際は頭も痛くなることはないし面倒くさくもない。 また、難しいことを考えるからといって生き方が難しくなるということはない。 難しいことをしっかりと考えることができれば、これまでのややこしい問題は容易に解くことが出来て解決策もすぐに見つかるようになる。 それはこれまでしっかりと考えることなく惰性に流されながら生きていた生き方を変えたからに他ならない。 考えるという分野はまだほぼ手つかずで

          難しいことを考えるからといって生き方まで難しくなるとはいえない

          難しいことを考える

          「考え過ぎて…」という人もいるが、それは本当に考えているのだろうかと思うことがある。 「あーでもないこーでもないと考え過ぎる」というよりは「いろんなことを思い過ぎて」という方がより正確だと思う。 「考え過ぎる」ということをさらに考えてみるとこういった表現になる。 簡単なことは誰がやっても簡単なのだが、難しいことは誰がやっても難しい。これは思考も同じだし仕事でも趣味でも同じである。 難しいことに出会ったら逃げたくなる心理は誰にでもあるが、そこからさらに考えるということを考え

          難しいことを考える

          人間の可能性のこと

          可能性については多くの人が関心を示すのではないだろうか。 「あなたには可能性がある」と言われると悪い気はしないはずだ。しかし、どんな可能性があるのだろう。 「あなたには大金持ちになる可能性があるが、そうなる蓋然性は低い」というのも含むからだ。 可能性は希望とも関連する。このnoteで知り合った人がコツコツと投稿して、評価され、作家デビューとなると、「実はねこの人ずっと昔から相互フォローしてんだよー」と自慢するのは間違いない。時には自分自身も頑張って記事を書いて作家デビューし

          人間の可能性のこと

          正解と真理について

          正解を求めたがるのは試験勉強の影響が大きい。そして間違うことを極端に恐れる。試験勉強によってそれを学習してしまったのだ。 英単語の意味がわからないのではなく忘れてしまっただけなのに不正解になる。漢字テストでは読めるのに書けない、これも忘れてしまっただけだ。その正解は辞書で調べればすぐに分かる。 本当の間違いは辞書で調べようとしないことだ。試験勉強は間違いを訂正するという習慣もなく点数で表され一喜一憂する。 勉強での本当の正解は、間違いを訂正しながら学び続けることではないだろ

          正解と真理について

          判断について

          私たちが判断を迫られる時は「損か得か」の状況がほとんどかもしれないが、「正しいか間違っているか」という場合もある。「信じるか信じないか」という源になるものだ。 政治家の公約はほとんどが嘘だと気づいているが、「損か得か」をうまく盛り込む人もいる。 誰もが「得をしたい」という心理につけ込むやり方なのだが、その心理のせいでコロッとやられる人もいる。「後から増税しますよ」とは言わない。「なぜ言わなかったのか!」と憤ってみても「あなたが訊かなかったからだ」と返されて終了だ。 私たち

          判断について

          専門家と素人と現実

          巷では「専門家が言っていたから」と信じる理由とする話はよくある。 しかし、「私は専門家です」と言うのと「私は専門にやっています」と言うのとではだいぶ意味合いが違う。 人は誰しも学ぶことで間違う確率は下がるといえども間違うのである。 「あいつの言ってることは素人だから」と歯牙にも掛けないような話でも正しいこともある。 学問は探究する価値があるから学問だ、という言い方もある。探究には間違いはつきものであり、失敗は早くした方がいい。正しさに近づくからである。 私たちの日常生活に関

          専門家と素人と現実

          自分で調べ自分で考えているか

          あなたは自分で物事を考えているときっぱりと言い切ることができるだろうか。 自分では考えているつもりでも、何も考えずに「あぁそうなんや」と思わされてはいないだろうか。 ほとんどの人は情報と宣伝を混同していると言うと間違っているだろうか。 私のことを「何をそんなに熱くなっているの?」と思うかもしれないが、世の中は奪う者と奪われる者に大別され、奪う者の力は強大である。 ビジネスに携わる人ならマーケティングの力が人間の心理を掌握しコントロールしようとすることを知っているはずだ。 「

          自分で調べ自分で考えているか