そうや、京都いってみよぅ アンディ編
”あなたにとって芸術とはなんですか?”
いきなりガチ質問やん!
日本未公開の作品多数を含めた、アンディ・ウォーホル展覧会
入場前のゲートで「○○やってみませんか 言語は日本語でいいですか」と係員に誘われ、なんだろう?
と、動く3Dポスターの前に立つと、AIに質問された。
(えーと)自分を高めてくれるもの…
3Dポスターに向かって答えると、マイクで拾った私の声を即、文字化し、入場列の壁に、カラフルな文字テロップとなって横に流される仕組みだった。インスタレーションというらしい。
ほう、デジタルも悪くはないのぅ。アナログ派だがちょっと見直した。
これから行かれる人はぜひやってみてください。
1960年代
まず、初期の京都素描からはじまる。お坊さまやお寺をとらえる日本人とは異なる視点のユニークさや、生け花をスケッチした画とそのあと彩色した画との対比もセンスいい。
京都観光の合間に、お座敷で天ぷらを食べるモノクロ写真のアンディ。日本びいきが伝わる彼の言葉。
1970-80年初め
次に、もっともよく知られてる、キャンベルのスープ缶やマリリン・モンローなどハリウッドのセレブたちをモデルにし、一世風靡していた頃のアンディの言葉。作品も巨大なものから、ふわふわ動くモビール、小作品、映像・インタビューまで多様で、壁一面の乳牛やフラワーが圧巻だった。
1985-87年
そして晩年、死を意識した頃の彼が描いたのは、絶滅危惧種シリーズやどくろが登場する絵。プライベートでは教会に足しげく通い、レオナルド・ダ・ヴィンチの大作「最後の晩餐」をアンディらしく描いていた。
デザイナーの枠を超えクリエイターでもありパフォーマーでもあり、映像作家でもあった彼。大胆な構図と色彩豊かな彼のデザインが大好きだ。
ポップでパンキーで、時代の最先端を走っていた人なのに、最後にたどり着いたのは宗教画だなんて、なんだかやるせない。
必ず誰にでも訪れる死、止めようがなく、たいていは残酷だ。
いったいアンディにとって
芸術とはなんだったのだろうか。
ちょっと泣きそうになったため、落ち着こうと美術館横のカフェ ENFUZEへ
鍵善良房さんとコラボした「フラワー」干菓子。このために菓子型を精巧につくり、色合いもそっくり、お味はほんのり甘く、上品に仕上げられている。さすが伝統菓子司!食べるのがもったいないくらい見惚れてしまうわ。
明日は鍵善さんギャラリーZENBI へ足をのばす。
来年2月12日まで開催中 京都のみ
おまけの話:
バブル時代、仕事でニューヨークに行った知人A美はアンディ・ウォーホールのシルクスクリーンを現地で買い「二年ほど待って、五倍の値段になったら売ろうと思てるねん」と豪語していた。「ええなぁ、私も海外ロケとかのクライアントほしいわ」とこぼしているうちにバブルがはじけた。
いつのまにか、彼女もアンディの絵もきえてしまった。どうしてるだろうか。