Rose Garnet
特に何か、Somethingを感じることのできた Note(仲間 )の記事。 皆さんに読んでいただきたいイチオシの記事、宝モノです(^_-)-☆
私の作品を、有難くも記事に於いて紹介くださった方々のコレクションです。 まだまだ拙い私の記事・作品を、とりあげて下さった皆様、誠に有難うございます。
自分の記事をイチオシするのは時として、後ろめたさも起こるが《笑、 是非とも読んでいただきたい、信念や、Passion を著した記事をコレクトします
みなさん、こんにちは。 今日は二十四節季の立冬ですね🍀 一気に冬が舞い降りてきた気温で、でもあの暑い夏からすると、 冗談交じりにも、今年の冬は寒さがやってくるんだろうかと、少し不安な気持ちも入り混じっていました。 ところで、 この度11月末から、六本木(東京)の国立新美術館で行われる、 第14回 躍動する現代作家展(空間芸術 TORAM主催)に、少女の絵を出品いたします 初めて美術展に入選をいいただいたのも、 空間芸術 TORAMさん主催の、第13回 躍動する現代
103万の壁を引き上げると税収が減って困るというが、ある意味答えは簡単で、民間に活力が出て税収がアップするということだ。名古屋の元河村市長が出した税収アップの実績を見ても同じことが言えると思うし、他に選択できる、このような国再生の道はないではないかと。勇気と勘所と思い切りが大切。
今日の画家としての業務は、美術展の絵画を運送屋さんの集荷でお渡しすること。午前中に伺うとのことだがまだ来られてない。今か今かと待つよりも、書籍を読んで内面の充実に備えながら、焦らずゆっくり待つことの訓練である(笑 先ほど、老子・荘子の思想を読んでいて、まさにそれを書かれてあった😋
僕なんて、大した人間じゃあないけど そんな一介の人間・芸術家でも、 今、自分自身を、平和の使者であると信じて生きたい この国を貧乏にしてしまって、平気な顔をしている人たちはどうでもいいんです おカネ(経済)より大切なものがあることを知っていて、 しかも経済をよくしようとする人たちが立ち上がっていかなければならない 馬鹿にされても、自分を平和の使者だと信じられること、 まずはその正しい自惚れをなくしてしまったのが日本人なのかもしれない 「己惚れんな」「思い上がん
「読んでほしい」の域を出ない文章。それと同じで画家としても、観てほしい絵から、観られる絵を目指していきたい。美術展での展示作、初号、第二号、そしてこの度が第三号であることを、恐れながら心に意味付ける。新たな未熟さに気づく中で、ちょっと前に踏み切ってきたスタートラインが見えた。
「世界は美しい」、そう信じていくことが大切なのかなと想う。今日、美術展の作品の集荷の予約までを一気にやった。それに関する準備作業・知識の熟知が揃っていたからできた。そして心づけもいただけたことが大きかったのかもしれない。目的、理念と現実、どれも大切で、そして違えないように頑張る。
真正直に生きるとは、こんなにも辛いものかと思うときだってある。でもあなたが正直さを、いずれ強さにできる時が来ると思う。風雪を潜り抜け、社会の狡猾さの中で生きる為の翼、気持ちの通い合う深みを得ることで、人のいないところで人を助けられるほどの優しさと美しい心を持つことができると思う。
意外性で、びっくりさせようとするあまり、素直さを忘れてないだろうか、自分の本音を忘れてないだろうか?主に学生時代は、意外性を追求するあまり、自分の正直な気持ちさえ見失いかけた。あなたの涙の中に混じりけのない純粋さが照らされるとき、そう、きっと前を向いて進めるはず。素顔の笑顔だね😄
自分がすべての人を助けられるなんて、思いあがったことは想えないけど、自分の周囲や、愛する人たち、この社会に、少しずついい影響を伝えられるよう頑張ります。そこで信頼しあえ、信頼の輪が広がっていきますように。そんな理想をしっかりした現実のものとすべく、本日も邁進しているのであります😊
兵庫県知事選、斎藤元彦さんが当選された。斎藤さんが善か悪かなど、ここではそれについて触れない。ただ、この度の選挙で、「黙秘(権)というのは、憲法や法律自身に瑕疵がないか、それに対する訴えをする黙秘者の気持ちを救おうとする旨も、本質として想定して制定されている」のかなと思った。
《言葉にできる人だけが恩恵にあずかれる社会じゃなくて・・・》、言葉にできないものを大切にする人が、生きがいを感じられる社会であって欲しい。詰まったり、言葉にする能力に恵まれなかったり、寡黙だったり、言葉にはない想像力もあったり、そんな風に、同じ土俵で切磋琢磨できたり、と思うよね😊
僕の作業部屋(兼勉強部屋、寝室)に、時の止まった腕時計が一本あるーーーー。 今、易経の書物をめくっていた。 「家食せずして、吉なり」という言葉が表れた。 家業の為だけでなく広く社会に役立つことを目指すのなら、 自らを大きな器に養い育てて、将来、 大業を成し遂げることができるということ、らしい。 僕なりに咀嚼すると、自分だけで食いつぶすのではなく、云々・・・ この腕時計、今使っていなくて、放置していたが、 普段、自販機で買っている缶コーヒーを少なめにして、 電池交換を
ほんとうに苦しい時は、誰も助けてくれないもの・・・。それでも生きるために、誰かを愛するために、活路を切り開こうとするのが、ほんとうの優しさ。八方塞がりでも、僕は身近な人の皿洗いを手伝い、また、社会、地球の為にできることを、それでも行い望んでいく。その純粋さが何かを変えてきた。
僕は大学で政治学を専攻してきたのですが、政治とは「心」、行政とは「愛」、そんな風に思うようになった。いずれも「お金」ではないですね。お金が必要のない概念かというとそうではなく、究極的には僕たちが、例えば死ぬときに何が欲しいかの話し。きっと世界が失ってしまっている、「正しい夢」。
僕がその人の芸術を評価する際、何をもって凄いと評価するのか。 相当な努力、努力が見えるかどうか、ではないんだな。 相当な努力は当たり前。 では何か? 真に美しいかどうかを見る。 だから、ある種修正の効きやすいデジタルだからと言って、僕は劣るとは考えない。 美しいものが美しいのだ。
芸術をやることに本来、目的はない。自分の魂そのものが芸術そのものだから、そのことに気づける者だけが、またどこか気づけている者だけが、本気を伝えられる、そういう社会の構造になっていて、本気を出したければ、そのことに実感として気づく努力をするべきで、魂をかけなければ無理なのだと思う。