人間の芸術について
いや、まあ象さんが長いお鼻で絵を描いちゃったりするんですけど。そんな生物差別なく、分け隔たりなく広がるのが芸術の良いところですよね、という話は一旦置いておきます。
私は芸術が好きです。芸術のジャンルの中でも、写真、音楽、言葉や文の分野が好きです。特に今は写真に没頭する日々。撮ったり撮られたり、色んな刺激をいただいてます。写真のお陰で毎日が充実しておる今日この頃なのです。
ですがたまに思うことがあります。
「結果が目に見えないな」
わかりやすく例えればインスタグラムです。「これイイ!!!」と思って投稿する写真に限っていいねが伸びなかったり、「とりあえずあげてみよ」と適当にアップする写真が意外に伸びたり。たくさん悩みました。今でも少し悩んでいます。「私って才能ないのかな?」とか「なんのためにやってるんだ?」とか思ってしまいます。俗に言う、最近良く聞く、これが噂の、巷で有名な、SNS疲れですね。
そもそも写真に限らず、芸術って誰かのためにするものじゃないと思うんです。「別れた恋人に歌います」も、「親に感謝して手紙を書きました」も、一見誰かのために創作してるんですけど、実際自分が歌いたいから、書きたいから、伝えたいから創作すると思うんです。一緒に演奏してくださった指揮者の方も「音楽は自分が楽しむためにやるんだよ〜」と言ってました。
「だから数字なんて気にすんな、思い思いにやれよ」
そう簡単に言う人もいると思います。できたらやってます。分かります。そうしたい気持ち山々ですよね?
自分で満足して終われる人は、それはとっても素敵なことだと思います。取り組む時間だけが楽しいと思える人もとっても素敵です。でもそういう人たちはきっととっても強くてビッグな方だと思うんです。
多くの人間は弱くできています。弱くできている人間が今までどうやって耐え忍んて来たか。それは周りの人に認められることが大きく締めるんじゃないかと考えます。
これだけ長々話を聞かされて思ったでしょう?
「じゃあどうしたらいいん?」
正直まだ探し出せていないのが本音です。ごめんなさい。けど最近はこう思うようにしています。
"認められたくて何が悪い"
私は弱い人間です。数字のために芸術に取り組んでるわけじゃないんです。でも認められることでしか、自分を認めることができないんです。数字に一喜一憂したっていいじゃないか。私の好きがいつか認められればそれってとってもハッピーじゃないか。という妄想を楽しむようにしました。伸び悩んだっていい。伸び悩む中で、私の感性はきっと成長するんだと信じています。
人間は弱い生き物です。でもそれで良いんです。こうやって認めることで、私はまた芸術が大好きになりました。だって明日にはまた新しい感性が生まれるんです。わくわくしませんか?
芸術とは