◇ 埼京線に乗っていると、ある駅で、若いママさんがベビーカーを大切そうに押しながら乗り込んできた。ベビーカーに座っているちいさな男の子と目が合う。僕は精一杯微笑んだが、彼は怖いものでも見たかのように顔をこわばらせた。 しばらくすると、突然すさまじく速い物体が姿を見せた。車両が長く連なる物体は、そのうち少しだけ速度を落とすようにこちらと並走し始めた。 ママさんが男の子を抱き上げる。男の子は歓声を上げる。 わあ! がたんがたーん、がたんがたーん がたんがたーん、がたんがた
仕事疲れのせいなのか、寝坊して起きたら犬たちが僕の耳元でくんくんしている。 家人はそれぞれ、僕のことを敢えて起こさずに出かけたのだろう。すまない。 俺も少し出かけてくるか、と重い身体を引きずって家を出た。 腹が減って、一駅ともたずに隣の駅で降りてホームにある立ちそば屋に入る。 ラッキーだった。あの人がいた。 歳の頃は自分と似たようなものか。 この人が作るそばはうまい。 マニュアル化されているから工程はすべて同じはずだ。業者が卸した茹で麺をさっと熱湯にくぐらせて丼に
40代前半のころ、絶対に傘を持たない飲み友達がいた。 15歳くらい歳下のこの人は前衛舞踏をやっているダンサーで、ぜひ観に来いというので、あるとき彼女の舞台を観に行った。こじんまりとした舞台小屋だった。 開演のベルが鳴る。 果たして彼女は、床を這いつくばり、般若のような顔をしてそろりそろりと我々観客の間を縫うようにして登場したのであった。目が合う。怖い。 ごめん、わからない。俺にはわからない。 なんとか終わりまで観てから、そおっと帰った。 しばらくして酒を酌み交わし
あれはおそらく小4くらいの頃だと思うが、同級生に教師の息子がいた。僕は子どもながらに、彼の自尊心に満ちたキザな振る舞いが大いに鼻についたのだが、やつの根底にある優しい部分と分野を問わない博識ぶりをリスペクトしていたので、なんだかんだでよく遊んだものだ。要するに嫌いじゃなかったのである。 彼と『太陽にほえろ!』ごっこをするときは、僕は必ず新米刑事の役であり、彼は「ボス」であった。やっぱりおまえは俺の上司か。まあそうなるわな。いいさ別に。派手に死ぬとこを演じることのできる僕はラ
キンモクセイが、ようやく街にやってきた。 キンモクセイなど、どの街にもそこかしこに存在しているのだから、「香り始めた」という表現の方がもちろん正しい。でもこの香りを心底愛する自分としては、「やってきた」という表現がしっくりくる。 この季節が年々後ろ倒しになっている気がするのは残念なことだ。 若い頃には、この香りは夏の終わりを告げる感傷的な気分の象徴だった。なぜだか哀しいのに、その一方で何かの踏ん切りがつくような複雑な気分で過ごす。それが9月という月であった。 気のせいかも
今日は、数年前に旅立った、とある旧友の誕生日である。facebookがわざわざ知らせてくれたのだった。 命日は覚えていても、誕生日となると案外覚えていないものだ。すまない。 やつが今でもfacebookに生きていることを感慨深くおもう。 生きていることに間違いはない。何年経ってもこの自分が、メソメソメソメソしているのだから。 おい、こんな俺のことを笑い飛ばすなよ? まあ笑い飛ばすんだろうけど、それもまたお前のいいところ。 同級生の誰もが、 お前の生涯を、丸ごと愛している
夏の高校野球地区予選の季節だ。散歩の途中で近くの球場に立ち寄ったら、名の通った某強豪校に対し、部員が極端に少ない都立高校が「がっぷりよつ」で立ち向かっているところだった。たった一人の三年生がサードを守り、強烈な打球を飛びついて好捕する。いつの間にか、頑張れ、頑張れとスタンド中から声が上がる。二年生エースはなかなかの速球を投げていたけれど、少しずつ、少しずつ追い詰められ、にじり寄られ、とうとう痛打を浴び始めた。ついさっきまで1対2だったのが、みるみるうちに突き放されてゆく。仲間
経験的に見て、第一印象というものはたいてい当たっている(もちろん全てのことに例外はある)。 これと同様で、人が思わず口にする最初の言葉というのは、往々にしてその人の本音の発露だ。もちろん、世の中には元来にしてまわりくどい話し方をする人もいるから、例外はある。 僕は人がとっさに発した言葉を聞くのが好きだ。 みずみずしくて、飾り気がなく、とても美しい。表現技法やボキャブラリーの巧拙なんてものはどうでも良い。 その人らしさの発露がとても素敵だし、好きなのだ。 これが悪い方に
ある日僕は、 悩むこと自体が人生の日課のようになり、いつしか好きだった音楽を聴けなくなり、鍵盤に触ることができなくなった。 好きな音楽を聴き、鍵盤に触れてしまえば、胸をえぐり取られるような気がしたからだ。 その後、なかなかの年月の間海の底に沈んでいた僕は、ある日突然、数年前に死んだ友人のために何かを弾いておきたいと思った。 そして僕は、しまいこんであった安物のシンセサイザーを取り出し、ピアノには程遠いペラッペラの鍵盤を(無理もない。ピアノではないのだから。)カタカタ言わせ
高校に入学したばかりの頃のことだ。 苦手な数学の提出課題が終わらずに昼休み返上でプリントと悪戦苦闘していると、同じ野球部で後にエースピッチャーになる同級生が他のクラスからやってきて僕に声をかけた。グラウンドに出てキャッチボールをやろうとか、そのような誘いだった。 彼は悪戦苦闘している僕を見て、 「なんでこの程度の問題ができないの?」 と、心底不思議そうに言った。 僕はムカっときたが、彼に嫌味という意図はなく、問題が解けない僕のことがつくづく不思議であるといった気持ちな
このお店、本当に美味しい。 なんでいつも空いてるのだろう。 ワンオペ店主の商売っ気のなさなのだろうか。 それとも、斜向かいにできた、 「家系ラーメンを謳っていながら、 ただ家系ラーメンっぽく仕上げているだけの、 何も知らない客を取り込むだけの 資本系の、上辺だけの『没個性的な』ラーメン屋」 に客を奪われているのだろうか。 僕は店主を応援したいから通う。 しかし「美味しかったです」の一言が言えない。 言えばいいじゃん男だろ? って思うでしょう? でもね、言えない。
ある日の朝、西国分寺という駅で特に当てもなく下車し、改札口に向かう階段を登っていた。 すると髪を後ろでまとめた若い女性が、長めのスカートの片方を少しだけ絞り上げるようにして、 急ぎ足でありながらも、極めて品の良い所作で階段を駆け下りてくる。 まるで子供の頃に読んだ何かの童話で、お姫さまが階段を駆け下りてくるシーンのようだ。 お姫さまはそのようにして僕の横を駆け抜けて、 僕が今降りたばかりの中央線・高尾行きにギリギリのところで乗り込んで行った。 今ごろあの高尾行きは
次女の高校の体育祭を見に行った。 午前の部を見終えて高校の近所のファミレスで食事をしていると、 「緊張で泣きそう」 というLINEが来た。 このあと控えている選抜リレーでの出番のことを言っているのだろう。 僕は僕なりに短めの助言を並べたあと、 「最後は困ったら空を見ろ」 と記して返信した。 特に根拠はなかったけれど。 午後の選抜リレーで、次女は自分なりの走りを見せ、 最後の直線で一人を抜いた。 それを見て、別の団の応援団長をしていた次女の恋人が、 大声を
仕事で疲れてデスクに向かってぼーっとしていたあるとき、 ふと思いついてGemini Advanced(Googleの生成AI)に話しかけてみた。 そのときのやり取りを以下に抜粋する。Qが僕の問いかけ、AがAIの回答である。 実に興味深く、洞察も得られた。それと同時に少々空恐ろしくもなった。 しかしいずれにしても、あくまでこっちは彼らを「有効活用する側」にいなければ、とあらためて気を引き締めたのであった。 ---------------------------- Q
田中という姓は日本において極めてポピュラーで、我が故郷、群馬にも大勢の田中がいた。 僕の人生で関わりのあった田中といえば、そんな群馬時代に、小中学校で同級生だった3人がそうだ。 1人は親友であり、 1人は僕の母のところにピアノを習いにきていた女の子で、 もう1人は9年間で一度も同じクラスになったことがないため直接的な関わりはなかったものの、弾けそうな笑顔と苦しそうな顔(バスケ部ですごく走らされていたイメージがある)が記憶に残っている。 このバスケ部の田中君は一年ほど
「ひと通り、ほんの少しだけ切ってください」 「いいんですか? この仕上がりは、ものすごく腕のいい方のカットだとお見受けしますけど。」 「構いません。 上書きしてください。」 「消去ではなく、上書きですね。 わかりました。任せてください。」