哲学的な難問に挑むには、いったん、言語というものを捨て去らなければならない。その上で、心とやらで事物を観察し、あらためて、シンプルな言葉の組み合わせで、新たな発見を記述する。このような方法が、矛盾を含んでいるようですが、僕には必要な気がしています。
今日も、楽しい講演会✨ 渋谷区の公立小学校の保護者の皆さん、50名ほどに、 『お母さんは太陽☀お父さんは空🟦、太陽を輝かせるために、出来ることはなんですか?✨』 等、問い掛けをして、楽しい時間でした。 皆さん、笑って🤣気付いて✨喜んで頂けました😄 ありがとうございます🍀
「自分なりにね」。友達がLINEで贈ってくれた言葉が嬉しくて、読みながら泣いた。いつか、学生生活に過度に一生懸命な私を見て、いい意味で「あれでこれからも私の体力気力が持つのか」と懸念してくれていたことを、以前会った時に教えてくれた人。当時の私のことを、私以上に見てくれていた人。
昨日は多くの会社で入社式が開催されたが、私は新卒採用の際に行った就活に失敗したため、新入社員にはなれていない。そのような私にできることは、自分なりの生き方を構築することだ。他人の真似をしても意味がないと思う。まともな就職ができていないからこそ持てる物事への見方があると考えている。
本日は成人の日だが、私は16年前に成人式に出席しなかった。中学生の際の同級生に、いじめに遭ったことなどがあり会いたくなかったためだ。中学生の頃の状況で人生が決まることは残酷だ。未成年における屈辱の分を挽回できたとは思っていないが、私は自分なりの形で成人としての道を進んでいきたい。
精神疾患になった時、必死に治そう、治そうって考えていた。 大切な事は、上手く付き合う事なんだなって。友達感覚みたいに。 今でも、治したい概念強いけど、思考が変わって、徐々にでもいいから、気楽に、もうこの病気と上手くやって、自分なりの楽しい人生見つけようと前向きになれるといいな。