自分が思うほど相手は気にしていない
今日は普段ジムで取り組んでいるメニューを1から作り直してもらった。つまり全てが新たな種目だ。
ゆえにマシンの使い方やフォームを整えるのに時間がかかってしまう。
小心者の自分にとっては次にこのマシンを使いたい人が待っている様子を見ると少し焦りの気持ちが出てくる。
が、瞑想を習慣化しておいたおかげで、自分がどう見られているのかをすぐに意識できるようになっているので、その不安はほどなくして消えた。
ちなみに相手がどんなことを考えていただろうか?
もし自分が待ち人だった場合、きっと自分のことを考えているに過ぎず、トレーニング中の人が何に悩んでいるとか、心配しているかなんて知ったことではない。
ただひたすら考え事をしながら順番待ちをするだけだ。
そう、結局のところ自意識過剰なのである。
確かにスピーディに種目をこなしていけない自分が木になるところはあるだろうが、そんなもの場数を踏んで慣れていくしかない。
これはジムだろうが仕事だろうが同じことだ。
今めちゃくちゃ仕事ができる人だって、初めてのころは今のように効率よく仕事ができたわけではない。皆、通るべき道を通ってきたのである。
80点まで来れたら、100点満点を取るために残り20点を獲得するための改善には時間がかかるが、別にそういうことを求めているわけではない。
とにかく新種目を入れたいま集中すべきは、身体を動作に慣れさせていくことだ。それだけに集中すればいい。
そのうち嫌でも慣れて次のステップに進みたくなるのが人間の性というものだ。それでいい。
自分なりに頑張れば良いのだ。