「お金は使う為にある」「お金は貯めていないで使いなさい」と父親に諭されたことがある。まだ親にお小遣いをもらっていた頃、特に欲しいものがなくて氣がついたらお小遣いを使っていなかった。淡白で物欲なく過ごしていた。それから、お金を払う価値があるものを真面目に考えるようになった。
「お金は使う為にある」を父親に諭された時、希望が持てる伝え方をされた。わたしの楽しみや自由、夢を叶える為にお金を使いなさい。わたしが使うに値すると思ったのなら、自由に使っていいのだ。足りなかったら相談しなさい、と。わたし自身の存在価値がスゴイような、認めてもらった感覚になった。
「タダより高いものはない」「お金で解決できるなら安い」父親に教わった金銭感覚だ。言われた当時は理解できなかったが、印象的でずっと心に残っていた。お金にまつわる出来事があると思い出して、だんだんとその金銭感覚が身についていった。本当に欲しいものはお金で手に入れられないものなのだ。
「人は幸せになるために生きるのではなくて、豊かになるために、豊かさの意味を見つけるために生きるのだ」 私が大切に思っている父の教え。 間違いや失敗や後悔や挫折。そういうものをひっくるめて、きっともっと心は豊かになる。だからこれでいいのじゃないかと思うよ。