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研ぐ

切れ味の悪い包丁は使いづらいものだ。野菜がつながったり、魚が潰れたりして情けない事になる。ストレスである。こういう包丁をうちの母は『息の切れる包丁』と呼んで嫌がっていた。
私は砥石を使って定期的に研ぐようにしている。

元々は包丁を研ぐなんて事はしていなかった。せいぜいシャープナーに通すくらいである。
独身の頃は勿論包丁に触りもしなかった。ウチの母親も包丁は研がない。
研ぐ役は専ら父である。

父は何でも研ぐ。包丁だけではなく、ハサミや他の刃物も研いでいた。父が研いだ後は切れすぎるくらい切れるようになる。包丁などは気をつけないと、うっかり手をスッパリ切ってしまう。
父は子供の頃、近所の大工さんがカンナの刃を研ぐのを見ていて自然と覚えたのだと言っていた。

以前実家に帰る前に父から電話がかかって来て、
「お前、研いでほしい包丁があったら持って来いよ」
という。
しかし子供を連れて長時間乗る電車に包丁を持ち込むなんて、物騒である。京都や大阪といった大きな駅も通過する。
オマケにその時は誰だったか忘れたが、外国の要人が大阪に来ていた為、大阪駅にはお巡りさんがウロウロしていた。そんな時に包丁を持っているのがわかったら、鉄道警察隊にしょっぴかれてしまうかも知れない。
父に礼を言って、丁重に断った。

持ってこなかったのなら、と帰省した時、父が包丁の研ぎ方を初めて教えてくれた。
包丁は大抵片刃である事もこの時初めて知った。せかせか研がず、ゆっくり往復させる。水はたっぷり使う。刃の傾きを砥石にピッタリそわせる…
細かいものまで研ぐ父の言葉はいちいちもっともで、よくわかった。
丁寧にすれば、そんなに難しい事でもなさそうだった。

それから父の教えてくれた通りに何度も包丁を研いできた。
料理はたいして好きではないが、切れ味のいい包丁は気持ちが良い。
だがどうやっても未だに父のように切れ味よくは研げない。

昔は近所に時折『刃物研ぎ屋』さんが来ていた。
『ハサミー刃物研ぎー』とスピーカーから大音量を流しながら、軽トラックで町内を回っていた。今は来ていないようだ。
ウチには父という立派な?刃物研ぎがいたので頼んだことはなかったが、あの頃はまだそういう商売が成り立っていたんだなあと思う。
私の職場であるスーパーにも一軒、傘の修理等を扱うテナントさんが『包丁研ぎます』と看板をあげているので、今でも頼む人は居るのだろう。

刃物を研ぐ時の『シャアッシャアッ』という一定のリズムを持った音の響きが、私は物凄く好きである。何故かと言われても好きだからとしか答えようがないが、これから刃物がよく切れるようになっていくという期待感と、丹念に自分の手でこの危ないシロモノをちゃんとした"道具"に戻していくのだ、という喜びとでも言ったら良いような感じを、この音に感じる。
自分も一端の研ぎ手になったような、嬉しさがある。

相変わらず、父に言わせると『これから研ぐんかい?』と聞かれそうな研ぎ方をしているが、涼しく緊張感のある音をたてながら包丁を研ぐ時間は、ちょっと無心になれて私にとって嬉しい時間でもある。