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トルストイの真理とは

トルストイ自身がよい作品としたものは何か。

トルストイがよい作品としたのは、
よい内容で、
その内容にふさわしい形式で、
作者が心をこめて表現したものだった。

よい内容とは、
すべての人に共通の真理をもっていること。

トルストイにとってのよい作品は、
名作『戦争と平和』でも
『アンナ・カレーニナ』でもなかった。
逆にそれらは、よくない作品ときめつけるほどだったという。

トルストイがよい作品としたのは、
誰もが読みやすくわかりやすく表現した民話だった。

最高の真理は、
日々の暮らしを懸命に生きる庶民の心の中に
素朴なかたちで保存されていると信じていた。

『父の教え』とよいう民話がある。

子熊たちにぶつかった丸太を母熊が押したら
ぶら下った丸太が揺り戻ってきて、
子熊も母熊もぶつかって死んでしまった。

それと同じようなことをしていると
洗礼の父は、少年に諭している。

自分をきれいにすれば、きれいが広がる

悪は悪によってふえる。
悪でもって悪をなくそうとしてはいけない。

では、どうすれば悪をなくせるのか。

よごれた手ぬぐいで拭いても、
よごれが広がるだけだ。
まずは手ぬぐいをきれいにしないと、
ふいてもきれいにならない。

少年は、盗賊がうろついていたら、
人がこなくなってしまって
自分がどうやって生活していけばいいか
自分のことしか考えていなかった。
自分のことを思いわずらうのをやめ、
心を清らかにしたときに、
他人の心を清めるようになった。

『人間はなんとすばらしい恵みが、
神様からさずけられていることか!
それだのに、人間は無意味に自分を苦しめている。
そのまま生きていけば、楽しく生きていけるのに。』

『トルストイの民話』トルストイ作 副音館書店「父の教え」

土台を固定して、生き方の覚悟を決める

百姓たちが車輪の輪を作ろうとしているが、
土台を固定していないので、ぐるぐるまわって、
輪は曲がらない。
土台をしっかりと固定すると、輪を曲げることができた。

少年は、神様がお望みなら、たとえ死んでも、罪をつぐなうぞ
と覚悟した。
『神様以外のだれも、おれを悪くもよくもできはしない』
と思って、盗賊に向かっていった。

盗賊に殺されるかもしれないという恐怖を捨て、
少年が死をおそれることをやめ、
自分の生活を神の中に固定したとき、
したがわなかった盗賊の心がしたがうようになった。

「自分の魂をあわれと思いなさい!
おまえの中には神の霊がやどっているのだよ。
おまえは自分が苦しんでいるので、人を苦しめる。
そして、ますます自分が苦しむのだ。
だが、神様はおまえをほんとうに愛し、
ほんとうにすばらしい恵みを用意してくださっている!
自分をだめにしてしまってはいけないよ、兄弟。
自分の生き方を変えなさい」
中略
そういって、いっそうきつく盗賊の膝をだきしめ、涙を流して泣いた。

『トルストイの民話』トルストイ作 副音館書店「父の教え」


私は、自分のことでくよくよ後悔したり、
悩んだりしているけれど、
とても無意味なことだ。

思いわずらうのをやめて、
大いなるものに導かれていると信じきれば、
何も心配することはなくなるし、
大いなるもの、それを神様と呼ぶのなら、
神様に安心してゆだねていけばいい。

恐れや不安や損得からの行動は
何もいいことは生まれない。

心から自分の心がよいと思うことに
したがって生きていけば、
楽しく生きていける。


トルストイの民話は、
そう気づかせてくれた。



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