わかりやすい悪意を感じたとき 人に言い返せるようになりたいけど 相手にも事情があるのかな 私がそういう考えを持ち合わせて無いだけだから 仕方ないな 私の器がもっと大きければ と思うと 何も言えなくなってしまう 周りには言い返しなよ と言われるからやはり悪意はあるようだが 難しい
学んだ知識を活用レベルに定着させて、成長を加速させるには「定期的なアウトプット」が1番良い気がする。 SNSの発信やセミナー開催など、自らの言葉で相手に伝える場数が多い人ほど売れているのは、学びを自分の言葉で噛み砕いて相手にわかりやすく伝える努力の数が桁違いだからだと思う。
下書きがどんどん溜まっていく。勢いで書いた文章は、数日おいて見ると言語化、読みやすい文章にする構成力がまだまだだなと思うから、なかなか公開する勇気が出ない。そして過去の文章も、読み直して修正したいと思うものばかり……でも書くことそのものが楽しいので、とにかくたくさん書いている。
障がい者である自分と保守について学び、より良い人間になろうとする自分。この二つの自分がうまく重ならない 弱さを盾にして生きてきた。配慮を前提に欲した。そんな自分が高級な人間になろうというのは矛盾していないか? どちらの自分も大事だからこそ悩み苦しんでいる
自分は発達障碍者であるがゆえに劣等感を抱えている 強い劣等感が思考や行動を縛っていると思う 長年にわたって障がい者として生きてきたので今から変えていくのは相当難しい 発達障碍者としての感覚を持ったまま、保守の人間にはなれるのだろうか 劣等感の克服は可能なのか?