自己否定的な学びはつらいよ。
学ぶって結構つらくないですか。
成長って疑いなく良いものでしょうか。
学ぶのが良くて、成長が良くて、あれっ「そうしていないとダメ」に変わる罠👀
それって怖いなと感じます。
教育の仕事だからこそ感じます🏫
「学び」や「成長」に流されず、たまには立ち止まりたいと思います。
だって学んで成長して、それを続けて疲れませんか。自信を失くしてきませんか…?
僕はあります、そういうこと💭
学ぶの楽しい!って波に乗れているなら良いのです🏄
でも成長とは今の自分を否定することでもある。
「成長しないと」には「今の私はダメだから」がくっつきます。
それが怖いなと感じます。
学びも成長も自己否定的にくり返すと、楽しくないことになりそうです。
変化も学びも成長も、強制したら暴力です💣
パートナーさんがよく言うのですが
「現代社会は、今の自分じゃダメ、のメッセージに溢れている」じゃないですか。
広告を見れば美容整形、何かのセッション、投資、ボディメイク💪
その憧れは不安の裏返し。
かといって「今を受け入れる」ことにして、自分に閉じるのも違う気もします。
僕は思うのですが
人間は二つの気持ちを同時にもてる生き物で🐈
「今の自分、良いな」と「もっとできるな、やりたいな」は両立する。
その時やっと、学びや成長は自己否定じゃなくなると思います。
教育の立場に立つならば、その両方の気持ちを相手がもてるようにしたいのです🐈🐈
煽られる不安に揺らされ過ぎずにいたいですね🌱
オトナになると「自分で自分を良しとする」が難しくて、評価をうけて揺らぎまくり。
成長なんて(会社や組織や学校にとって)良いことに決まっているから、要求されてプレッシャー。
成長したいと言わされる(矛盾)。
学びと成長という名の自己否定が量産される🏭
誰かに言われた成長は、誰のための成長か。
憧れもそうなりやすいかもしれません。
すごすぎる憧れを前にすると自分は足りないことばかり。
一足飛びに全輸入したくなる🚢
気付けば生まれる自己否定。
あの人みたいにやれたら良いけど、こうとしかできないところもある。
別の自分になるんじゃなくて、この僕で熟する他ないのです。
僕は僕の運命をもっている🔮
こっちが良いよ、こうしたいよ、は作りたい世界へのお誘いであって、強制するものじゃないです。
あなたにその気持ちが生まれた時には穏やかに隣にいるからねって、それくらいが良い気がします🍵
大切なことはむしろ、小ささこそを保つこと。
はやく・大きく・学び・成長…の波にさらわれず、人を煽ることもせず、心本来のはやさ大きさでいたいものです。
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毎日の日記も続けて3年になりました。
暮らしのできごと、考えたこと思ったこと、こう考えれば良いかも…
それを暮らしのエッセイとして連載したい。
そう思うようになりました。
日々の中に、自分の中に、こんなにもたくさん感じられるものがある。
僕らの日々こそ、それだけですごいのです。
なるべく感じきりたくて、日記を書いています。
大したことなくて、わざわざ話すほどでもなくて、SNSにも載らなくて、
仕事や新しい取り組みの眩しさに負けがちだけど、本当は話したいこと。
自分しか自分のすべてを知らない孤独。
それを交わせたら、とずっと思っています。
返信しなくて良い交換日記のような、いっしょにいるから言える独り言のような。
人には言えるけど自分にはかけてあげられない優しい言葉のような。
今週の日記から一つとりあげて書く週刊エッセイ。まずnoteに書いてみます。
よければお付き合いくださいませ。