電報には思い出がある 十数年前 父母が退職後一時期 わが家は電報配達をした 365日 7時から7時まで12時間 自宅に置いた受信機に 電報が届く度 父母わたし3人で配達 0件の日もあれば 走り回る日もあった 初めて母に今日 誕生日の祝電を送った 懐かしく思って見てくれたらいいな
地下鉄、最後尾。壁を背に、仁王立ち乗り。満席御礼のベンチ席――。“ん、似て…る?”――左目の端で拾ったのは、“生涯ヤンママ”風中年女傑。“…いや、まさかねぇ?”。しかして談笑相手、お連れ女史を見て確信――“やっぱ、中学の同級生やん”――。《歳月を ものともせずに ツルむ女子》。
学生時代 テストは嫌いだったけど テスト期間の帰り道 部活がない分時間が早くて いつもより眩しくて暖かい世界、 外の匂い、見える景色、 なによりも好きだったな
心が安らいで 安心感を抱くのは きっと懐かしい記憶と結び付くから 実家の畑 祖父母が育苗していた ハウス内 心地よい湿度と温もりだった 今ある場所は自然に触れて深呼吸出来る 私の心の原風景 地球とも自分とも繋がる大切な場所 今ここで 与えられる学びに感謝して 自分を生きる
あるクリエーターさんのつぶやきを読んでいて気が付いた今日は成人の日だ!25年前日本で美容室をしていた頃を思い出し懐かしくなった毎年朝早くから髪を結い上げてメイクをし晴れ着を着付けて送り出した20歳の娘さん達キラキラと輝いていたな、 今はどうしているんだろう、幸せでありますように、
それぞれの記憶の断片はまるでパズルのピースのようで、 思い出話しに花が咲き始めると、 同じ空間を共用した相手から、こぼれ落ちた記憶を呼び覚ましてもらい、 改めてその瞬間の出現を懐かしくも新鮮に感じられる。 当たり前だけれど、人それぞれ感じ方が違うんだと感じた出来事でした。
こんにちは。ぼーんぐんです。 朝の通勤電車で新聞を広げる人がいなくなってどれくらい経つでしょうか。 いや待てよ。 そう言えば週刊誌や漫画の類も見かけません。 みなスマホです。 満員電車にも負けず、器用に日経を折り畳み読み込む技はもう披露できませんね。 懐かしい記憶です
以前、幼稚園があった場所一面にシロツメ草が咲いている。子供達の声が響いていた場所は建物もなくなり、あっという間に雑草が広がった。車で通るたびに、花を摘んで冠や花束をつくって遊んでいた子供の頃を思いだす。変わらず咲き続ける花。人間の私は歳を重ね、今は散歩をしながら目で楽しんでいる。