tsuyukusa
過去は過ぎ去らない。今の自分を豊かにしてくれる大切な物語。記憶をよく耕すことで、「いまここにいない」けど、長く親しんできた人やモノが私を通り過ぎ、幸せをもたらしてくれていることに感謝したい。
日記って、何をどう書くのかな。 新年早々。自分の手帳に書いた内容は「つまらない・・・」。 事実ばかり。自分がどう思ったか、風景をどう見て、感じたのかが書かれていないのです。 事実ならAIでも書けるかな。そりゃ、人が読んで楽しめるとは思えない。 角野栄子さんが、言葉と絵は同じことだ、と言っていたように思います。つまり、絵は言葉ではうまく表せない気持ちを描いたのでしょう。 日記にイラストなどを描いている人もいると思います。 ほぼ日手帳とは違う使い方、日付
いま、「詩」を眺めたり、読んだりすることが楽しいです。 昨年から興味を持ったので、「ビギナー」と言われそうですが。 でも「詩」は知識として学ぶものじゃないように思います。 「学術論文」と「詩」とで最大の違いは? それは「意味」がはっきりしているかどうか。 もう一つは「自由」があるかどうか。 じゃあ、どちらが「楽しい」か。私は断然「詩」ですね(価値観の違いはありますが)。個人的に未知の世界ですし、「意味」が一つかどうか、わからない。グーグルで検索しても「言葉
新年おめでとうございます。 NOTEでは大変お世話になりました。皆さんの文章やコメントから、たくさん学び、自分自身、一歩、いや三歩くらい前に進む力をもらいました。 さて、今年やりたいこと(夢もふくめますが…)を挙げていきます。 1 手帳を活用 年末の楽しみの一つは何といっても、手帳選びですね。今でも書店の中の文具売り場に行くと、自然にからだが引き寄せられます。 実はここ数年は「ほぼ日」を愛用していました。ところがある言葉に刺激されました。 「余白」を愉
朝5時、今年最後の「ラジオ深夜便」のエンディングの旋律が、引いてゆく波のように静かに流れていきました。 こんな贅沢な朝の迎え方ができるようになったのも夏から仕事を辞めたから。この半年でずいぶん視野が広がったのですが、自分が好きだと感じるものが意識できるようになりました。音楽にしても、言葉や文章に対しても「ああ、これいいな。」と感性を信じることができるようなりました。 一人暮らしになっても、「今ここにいない存在」を想像し、時間や空間を越境して対話することができることに
2023年の大きな変化。それは「脇役」から「主人公」へ。 子どもの時から地味で引っ込み思案だったので、学生時代から、そして仕事の上でも、ずっと脇役でした。 でも、それはあくまでも、一つの舞台の上での配役に過ぎないでしょう。 会社など組織で社長だった人も、いずれ若い世代に譲り、脇役にならなければならないのです。 大事な点は、組織の論理に忖度するかどうか。社会の価値に縛られるかどうかではないでしょうか。私も社会で暮らしているので、ある程度は周囲の動きは意識します
昨日、映画館に行きました。サービスデーということで一週間前にネットで見たらガラガラなので真ん中の席を購入。何と当日両隣に男性!周りはガラガラなのに何故?もういい席には座るのヤーメタ。
12月、寒いスイスに行ってきました。現在、子ども2人がヨーロッパに留学し、夫婦も東京と京都で別々に暮らしているので年末年始の家族団らんは欧州のどこかに集合しようとなったのです。 スイスは初めて。スイスのイメージと言えば緑の牧草地と清涼な湖畔、そして登山というように夏の観光にピッタリ。じゃあ冬には何があるのか。そう、クリスマス・マーケットでしょう。 それぞれの都市で開催されていますが飲食ではホットワインやソーセージなどが人気。店員さんの中には英語を話せる人が一人はい
2023年12月10日(晴れ) いま日記界隈が賑やかです。 個人的には小学生の頃につけていたのを思い出します。ある日、父親が分厚い「博文館日記」を買ってきました。学校で使うノートと違い、ハードカバーなのに未使用であることがうれしくて、何となく書きはじめました。 何を書いていたのか今では全く覚えていません。不思議なことです。 多分、学校の出来事とかでしょう。ただ、縦書きの上覧にあるフリースペースにイラストとか漫画を描いたことが楽しかったようです。 下北沢に「日記
先日、テレビの料理番組で「蒸し料理」を紹介していました。さつまいもを、それぞれ、電子レンジでチン。鍋で煮る。そして蒸篭(せいろ)で蒸す。すると、甘さ・触感・栄養のどれをとっても、蒸したさつまいもが一番美味しかったようです。 蒸篭といえば、そこから立ちのぼる蒸気でしょう。そう、チャイナタウンに行けば、季節を問わずいつでも大きな蒸篭からシューシューと湯気が上がっていますよね。中国人の食に対する保守性、それは中国医学にもとづいた考えの確かさを示していると思います。 今から
地上に出ると、駅周辺の食べ物屋さんには長い行列。 坂を少し上がると知らないギャラリーがある。 躊躇っていると思われたくないので、すぐに中へ。 昼下がりの雰囲気にはこれかな。 坂をさらに行くと子どもたちが通った小学校。 日曜に中から歓声が聞こえる。 坂の上の方には渋めの器があるお店。 道を右に折れる。 お寺が多い。都会では珍しく修行僧が沢山いる寺院がある。 ここは不思議と空間が広いので娘が小さい(頃、自転車の練習をした。 その小
絵本翻訳ワークショップが昨晩で終わりました。英語の絵本を訳すなんて!素人でしたが楽しく学べました。翻訳とは言え、子どもは絵しか見ない。でも読む大人はテキストの意味も楽しめる。文字も絵の一部だとか。最近は「…かしら」のような役割語はダメらしいとか。絵本の世界って広いです!(^^)!
そのイベントの会場はなぜか、表参道だった。 文芸というジャンル的には四ツ谷、お茶の水あたりかと思ったのですが…(場所とジャンルのイメージってありますよね)。 建物に入ると、その尖がったお洒落感はまさに表参道的であった。さらに会場は微妙に薄暗くて、何となくアジア・アフリカ風の音楽、止まらない言葉のBGM。もしかして、移民が作り出す、新しいEUのイメージかなと思わせる雰囲気でした(でもプログラムの中にそれを意図した内容があるのかは不明です)。 それは欧州連合(EU)
いつもは自転車で行くスーパーに徒歩でいった帰りに、まったく知らないお稲荷さんに出会いました。せっかくなのでおみくじを引いたら、大吉が出ました。この偶然にうれしくなって、小走りで帰った日曜日。 その前日、土曜日初めて文学フリマに行きました。普段から「文学の可能性」とかをこのNOTEで書いているので、ぜひ実態を知りたいと思いました。 結果、予想以上の盛況。約1万人くらいの来場があったようです。お昼から開始なので大変な人数だと思います。そして、出店者のブースの数がとても多
大きな書店に行くと、迷子になる。誰とも話さないし、いい本にも遭遇しない。 小さな本屋さんに行けば、リラックスする。店員さんとお話しができるし、素敵な本に出会えます。 先週、下北沢のB&Bに再訪しました。すると、見たことのあるイラストと名前が目に入りました。工藤あゆみさんの本でした。 昨年、インターナショナルスクールで中学国語でエッセイの授業をやった時に使った本があります。 それが『はかれないものをはかる』(青幻社)。 答えがないような課題を毎週出してい
私は血管が細い。今日、血をとる時、看護師さんが「あら」の一言。心臓が一瞬、「ドキッ」。まさか失敗?あっ、大丈夫。「あら」という言葉でも人を殺せる?
この小説を読み終えた時、ことばを発することができませんでした。 いま私のことばでこの小説を伝えることは不可能だと自覚させられました。 もしかすると考察とか評論という位相で触れてはいけない作品なのでは、とも感じました。 だから、この記事も内容を語るというより、この驚愕(としか言いようがない)を伝え、わずかな感想を述べることしかできないです。 その本は、小川洋子『密やかな結晶』(講談社文庫、新装版、2020)です。 でも、他の読者がどう感じたのか気になるのでグ