「人には間違える権利がある」って以前ここで書いたけれど、昨日の研修で「愚行権」という言葉が出てきた。「人には愚かなことをする権利がある」とのこととな。学問は深い。わたしが一生懸命考えたことをたったこれだけの言葉で表している。そしてその考え方も深い。学問はほんとに幸せだ。
愚行権の行使。一人で酒飲みながら、アプリで女装した、愚行ポイント高くて満足
愚かでいたい人には愚かでいる権利がある。 怠けたい人には怠ける権利がある。 菩薩が仏の道に邁進するように、 衆生が各々の道を切り拓くことをぼくは止めない。 申し訳ないが、それは私の課題ではない。 あなた方が知らない道を私は歩む。 私はあなた方を道自体か風景の一部だとしか思わない。
世間の拝金的資本独裁制を脱するには、 まず【一生分の支出を買ってしまう】ことです。 すると、自分に対して、一生分の負債が生じます。 それを自分に対してコツコツと返せばいいのです。 人は自らに対してのみ純潔に稼ぐことができます。 奉仕も恋愛も貢献もすべては自分への恩返し。 金鉱は私
[マジで日本政府終わってんなと思った、五木田です。] 3回目のコロナワクチン https://note.com/gokitayutaka/n/n1237670b634e 『愚行権』wiki たとえ他の人から「愚かでつむじ曲りの過ちだ」と評価・判断される行為であっても、個人の領域に関する限り誰にも邪魔されない自由のことである
生贄である人々は生贄でない人々をどう思うのだろう。いや、もはや人とは思うまい。情熱を燃やし、信念に従い、何かに帰属し、同一化するということは人にしかできない大いなる愚行である。バクティ万歳。神はなまぐさ。