愚行権の拡大
ある人曰く、これからは衆愚政治の
時代が来るという。
時代の流れは止められないので
上手く乗っていく考え方をまとめた。
自分が賢いと思ってるんじゃねーぞ!
私が言ってるわけではなく、仏教の教えとされる文だ。
『我賢きという人、最も愚かなり
我愚かという人、これ既に賢きなり』
モルカーを見てそう思った人もいるだろう。
西洋・中華の思想家も言葉は違えど
似たようなことを言っている。
筆者も自分が賢いとは思っている節があるので
愚かさを持っているのだと感じている。
智慧の時代は過ぎた
じゃあ賢くなろうぜという事で
仏陀や孔子など思想家がいろいろと現れた。
現代にそれらは受け継がれているが
既に廃れたり形骸化している。
学校で勉強しても人間の本質である
愚かさは消えることはない。
肉体を離脱しても難しいかもしれない。
愚行権を認める
"私的範囲"であれば愚行をしても良いというのが
大まかにいうところの愚行権らしい。
何か自分の気に入らないこと
例えば、生活騒音や仕事で注意された記憶
ニュースやお気持ち表明などなど
挙げればキリがないが
全て相手の『愚行権』の行使と認めればどうだろう?
愚行権・拡大解釈の時代
憲法記念日が過ぎ去って久しいが
前政権は解釈権を柔軟に運用した。
それが良いか悪いかは読者に任せるが
1つの時代の流れの表れと言っていいだろう。
愚行権の定める私的範囲から
明らかに逸脱しても良いのではないだろうか。
人間はかわいい
環境大臣がセクシーだったり
尻にコンプレッサーの空気を入れられたり
Twitterで電波や妄言を発信したり...
皆、愚行権を行使していると思えば
気が楽にならないだろうか。
神は人類を愛しているとキリスト教では
言ったりするらしいが
神からしたら尻にコンプレッサーを入れる
人類はかわいいのかもしれない。
因果の応酬は続く
ユング・アドラーなどが登場し
因果論について精神世界からの
分析が進んだ。
しかし、いくら勉強しても
相手がその水準に達していなければ
人生に困ることになりそうだ。
幸いにも、やられたらやり返して良いというのは
ハンムラビ法典から続くルールなので
何かされたらやり返せばよい。
愚行権を行使されたら
こちらも行使すればよい。
おわりに
とはいえ、筆者は怒りの応酬からは
解脱した気になってるので
実際にやり返すことは少ないだろう。
心の持ち方の1つとして
愚行権を持っておくのも良いと思う。