それを「やる意志がない」だけで出来ない場合も多々ある。
偶然Tiktokで「iphoneで被写体にピントを合わせて背景をぼかして撮影する方法」を知った。バカ正直に試しにそのやり方のとおりに目覚まし時計(なぜ被写体がそれだったのかは置いておいて)と、買い物に行った時に花の写真を撮ってみたのだが、けっこう良い感じ。いや〜、物事って実はそれが「出来ない」んじゃなくてそれを「やる意志がない」とか「方法を調べる意志がない」だけと言う場合も多々あるのだな、と感じた。
ただ誰にも平等に1日の時間は24時間。人生全体の時間にも限りがあるので、人はその中で取捨選択して「やる意志のある物」だけを厳選して取り組めば良いのだろうと思う。つまりその貴重な「時間」と言うリソースを割いてでもやりたい、と思うものだけをやれば良いと言うか。
ただ今回の「iphone写真術」のように「偶然ある知識を知って、それにトライしてみると人生が少しだけ豊かになる」と言う物に出くわす場合も確かにあるにはある。
昔はそう思ってテレビを見たりもしていたのだが(つまり偶然見た何かからインスパイアされる事を期待していたわけだ)、一昨日実家で父が見ていたので久しぶりに一緒にテレビのニュースを見ていたら、本当に流れてくるのはネガティブな物ばかりで正直ビックリした(まあテレビだって商売で人の不安を煽らないと物が売れないので、しょうがないと言えばしょうがない)。
父の楽しみを奪うわけにはいかないので何も言わなかったが、昨日の朝食時に父が「ウク*イナの人達は〜」なんて話し出した時には思わず「いやそれに対して僕たちが出来ること、何かひとつでもある? 」と危なく憎まれ口を叩きそうになった(なんとか笑顔でやり過ごして「小松菜味薄くない?」とか全然関係ない話で話題を変える事が出来た)。
と言う感じで偶然出会った「ワクワクするもの」はありがたく受け止め、他人がいくら「ワクワクすると感じるもの」でも僕自身が「ワクワクしないもの」は流させてもらって、貴重な残りの人生を取捨選択しながら生きて行きたい。まあ人間には「愚行権」と言うのがあるので、以前の僕のように「毎晩晩酌をして人生を無駄遣いする権利」も確実に存在するとは思うのだが…。
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