「大衆的検閲」? 商業主義とディティールの逸失
桐野夏生の岩波『世界』(2023年2月号)への投稿が話題になっている。その中で、桐野はわざわざ「大衆的検閲」なんて言葉を使っているが、言わんとしてることの核心は、文章を読む人の、物事や人間への解像度が粗くなり、読解力・理解力を欠如した人やその能力が低い人も表に現れて、炎上処理のコストもかけたくはない出版社が商業的都合優先するようになり、作家が書きたいことを好きに自由に書かせてもらえなくなり得ることへの危惧の表明だろう。
現実の物事や人間存在は、従来までと比べ物にならないほどに