天正10年(1582)6月21日は尾張津島まで進軍していた家康が岡崎城に帰還した日。本能寺の変が起き伊賀越えを果たした家康は5日に岡崎城へたどり着いた。準備に手間取ったか14日にようやく出陣。織田信孝に続き羽柴秀吉から明智光秀を討伐し京周辺は平定したので帰還するよう連絡を受けた。
天正10年(1582)6月2日は未明に発生した本能寺の変を知り家康が堺から三河へ向け出立した日。家康の三大危機の一ついわゆる神君伊賀越え。一緒に堺いて別行動を取った穴山梅雪は一揆に襲われ亡くなっている。経路や日数は諸説あるが伊勢湾を横断して三河大浜にたどり着き岡崎城へ帰還した。
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家康公、伊賀越えのルートのひとつと考えられている京都府京田辺市にある甘南備山。頂上付近の展望台からで京都市内が一望できます。見にくいですが右端は比叡山、左端は愛宕山です。伊賀へ抜ける際、動乱の京都を見ながらここを抜けていくのはかなりの危険を伴うものだたったのではないでしょうか。