正信キタ~~~!
待ちわびました!
我らが松山ケンイチ・本多正信がついに復活しました。
実際にはいつ正信が復帰したのか、詳細な史実は残っておらず、この先の家康にとって重要な補佐役となる存在だけに、どこで復帰させるかは脚本家の腕の見せどこでもありました。
何度もここかもしれないというタイミングはあったのですが、やっと待ちに待ったシーンが訪れました。
二人の直接のやり取りは少なかったですが、それでも「あうんの呼吸」を感じさせるものがありました。
今後また二人が対峙するやり取りは見ものですので、着目したいところです。
最大のピンチに
ギリのタイミングで
「哀れじゃのう、家康」
前回の予告でちらりと登場していた本多正信。
いったい「伊賀越え」のどういう展開での登場なのか楽しみにしていましたが、なるほど飄々としながらも、家康の大ピンチを救うのはさすがの脚本だったのでは?
多少大袈裟で芝居がかった物言いでしたが、伊賀の棟梁・百地丹波(嶋田久作)を最も精神的に核心を突いて追い込んでいく過程は見事でした。
百地に対してだけではありません。
家康にもさりげなくアピールしているところも、上手い!
一応、これで家康にも恩を売ったわけで、復帰できる最大の好機を掴みました。
「わしに恩を売れ」
最後の決め手となったセリフは家康のものでした。
これにより百地は、振り上げた刀を収めます。
いったん生きることを諦めかけた家康でしたが、正信の言葉で揺れ動き始めた百地の気持ちに釘を刺した結果になりました。
実際に、後に天下人となった家康は伊賀を保護するのです。
この後、天下人となる秀吉は甲賀を指示し、そして家康は伊賀。
伊賀VS甲賀はこの時に始まり、これは裏読みすると徳川VS豊臣という図式の始まりになるわけです。
だからこの時、百地の決断は本当に正しかったのです!
服部半蔵の読みは全て裏目に
面白かったのは服部半蔵(山田孝之)の予想がことごとく裏目に出たところ。
なぜか、シブく描かれることはなく、いつも服部で軽く笑いを取りますね。
そこが良い意味で息抜きになっています。
今までは、シリアスに描かれることが王道だった人物だけに、この設定は新鮮で面白いです。
おまけに伊賀では本当に名家の一つだったにもかかわらず、総スカンを食らうところもそれまでのネタ振りが生きていました。
過去に伊賀越えのコースや、忍者についての記事を書かせていただいていますので、お読みいただくとわかりやすいと思います。
家康loveの信長
話は戻りますが、信長の家康に対する気持ちが大きく前に出たのが、「本能寺の変」です。
その前の二人のやり取りは、なかなか深いものがありました。
唯一、信長が信頼した家康
そんな二人が「本能寺の変」間近の安土城での対峙は、お互いの気持ちが現れたもので、なかなか緊迫したものでした。
そして、事が起こった後に、信長の真実に気付き、なんともやりきれない思いをするのですが、それは仕方がないかも。
信長の態度は非常にわかりにくく、厳しいどころか威圧的でしかありませんし、そこに愛情を感じるのは家康には無理でしょう。
そう言えば、過去に家康が評定中に信長にキレた時、信長は口では責めながらも涙を流していました。
岡田准一さんがトークショーで言っておられましたが、泣く予定も、そのつもりもなかったのに、自然に涙が出たとの事です。
私も、ただあの時は、飼い犬に逆らわれての悔し涙なのかと思っていましたが、その奥底には真の愛情があったのですねぇ。
結果的にこの時の伏線になり、かなり効果的になシーンとなりました。
信長の愛に気付くのが遅かった
今回の一連の事件に、信長の幼少期とオーバーラップさせたのは良かったですね。
信長の育った環境と人間形成の礎がわかるようになっていました。
少し極端ではありましたが、信長は戦国期を生き抜くためのあらゆる英才教育を受けていたと思われます。
父・信秀が、どんなに周りから反対されようとも、その資質を見抜いて早くから信長を嫡男と定めていたのは、かなりの慧眼の持ち主だったようです。
織田一族の中でも、一番格下の弾正忠家だっただけに、この先にある熾烈な戦いを予想していたのでしょう。
信長へのプレッシャーはハンパなかったはずです。
しかし、家康が信長の愛に気付くのは、全ては後になってからでした。
「白兎」と家康を揶揄していたのも、蔑んでいたのではなく、純粋に可愛がっていたのです。
それなのに、自分は信長を殺そうとした!
しかも信長もそれに気づいていた!
信長の心中を推し測ると、あまりにも哀しいです。
信長の育てられた環境や織田家について触れた過去記事です。
「何だ、おまえか」
それにしても今回の明智光秀(酒向芳)は人間が小さい。
こんなにも脚本家によって違いが出る人物も珍しいのではないでしょうか?
攻めてたのが光秀だと知った瞬間の信長の発言は、あまりにも残酷な一言でした。
ここまで落胆されるとは…
それをまともに告げられた光秀はさらに逆上します。
実際の光秀は、礼儀正しく、他者を立て、常に冷静沈着だったはずで、この本能寺の変も、もし光秀が単独で起こしたものなら、大きな大義名分があったはずです。
決して、「鯉が臭う」発言であるはずはないし、そんなことで信長を襲うもほど、光秀は愚かではありません。
光秀にとっては、失敗すれば一族もろとも滅んでしまうほどの一代決起だったはずです。
それなのに、この格差は何か。
単純に家康が主人公なので、この設定にしたかったのはわかるのですが、もうちょっと光秀も一門の武将として描いて欲しかったと思います。
「麒麟がくる」での信長(染谷将太)は光秀loveで、泣きながら自刃した姿も哀れでしたが、今回の信長もその哀れさが際立っていましたね。
「本能寺の変」妄想話
前代未聞の謎である「本能寺の変」は、未だにその真実がわからず、その上、日本史がこれを機に急旋回した大事件です。
専門家の先生方の間でも様々な憶測が飛び交っているのです。
大まかな疑問は以下の通りです。
1、なぜ本能寺なのか
そもそも信長は、本能寺を京都での定宿としていたのでしょう。
当時の本能寺の場所は、周りに比べると少し低地になっていて、見下ろしやすい位置にありました。
信長ほどの立場であれば、後の秀吉や家康がそうしたように、京都に堅固な城を築いても良かったのではないかと思っています。
そうしなかった理由は何でしょう?
しかもこの時わざわざ100∼200の手勢だけで本能寺に入り、「茶会」を催したのは、いくら何でも油断し過ぎで、それまでの信長では考えられないほどの軽挙です。
2、なぜ信長の首はないのか
明智光秀が三日天下に終わった最も大きな理由です。
大河でも百地が家康を斬らなかったのは本多正信が、この事を言ったのが大きい。
また秀吉も、中国大返しの最中に、「信長様は生きている」と触れ回ったとあります。
信長が生きているか死んでいるかで、各大名の身の振り方は大きく変わり、この時点では誰も迂闊に動けない状態でした。
いったい誰がどこに隠したのでしょう。
・近くの阿弥陀寺の住職
・茶会に招かれたうちの誰か
・黒人の家来弥助
などなど、様々に憶測されますが、いまだに真実は闇の中です。
3、なぜ光秀は信長を攻めたのか
そもそも、光秀のはっきりした動機がわからない。
・野望説
ただ単に、天下を掌握したかった。
・怨恨説
いくつもの事案が考えれますが、私がもっとも強いのは、四国の長宗我部氏との和平交渉中だったにもかかわらず、信長は四国征伐を命じ、光秀の立場を丸潰しにした事です。
・恐怖説
重臣だった佐久間信盛親子を追放したり、自身も近江・丹波から出雲・因幡に領地替えを命じられたり、非情な信長の采配に恐怖を感じた?
・黒幕説
秀吉、家康や足利義昭などが裏で光秀をそそのかした?
この説に関してはまた後日まとめます。
策士が策に溺れたのではないか?
過去記事にもちょっとだけ触れましたが、明智光秀のご子孫である憲三郎さんが自力で調べ上げて書かれた本に、興味深い新説が書かれていました。
詳細はここでは書きませんが、
私がこの本から思ったことは、日頃から用意周到な信長は、この日、本能寺で誰かを殺すためにわざと手薄な警護にし、自分自身をオトリにしたのではないかという事です。
その誰かはひょっとしたら徳川家康かもしれません。
近い将来、邪魔な存在になりそうな徳川を潰しておこうと企んだかもしれません。
それがどういうわけか、ミイラ取りがミイラになってしまったのではないか?
ただひとつ言えることは、光秀が裏切るとは思っていなかったと思います。
ではなぜ光秀が犯人として史実に刻まれたのか?
何か大切なピースが未だに見つからないのがはがゆいです。
しかし、この事件で日本史は急旋回し、その後に天下人となった秀吉も家康も、内心はガッツポーズだったことでしょう。
◇◇◇
さて、今後の「どうする家康」、目まぐるしくストーリーは展開していきます。
羽柴秀吉(ムロツヨシ)もなんだか、ちょっと異質な設定なだけに、これからの家康との駆け引きも見ものです。
【参考図書】