上服部・服部勘六。「神君伊賀越え」に随行したとされる。
中服部・服部中保次(1526-1587)。古文書によっては「中」ではなく「仲」。『寛永諸家系図伝』によれば、永禄8年から徳川家康に仕え、「神君伊賀越え」に随行したとされる。後に徳川家康配下の伊賀者の一部を預かった。遠江国(静岡県浜松市)の領地の視察中、姫街道の長坂において、人違いで殺害された。
下服部・服部半蔵正成(1542-1596)。「神君伊賀越え」に随行したとされる。父が三河国に移り住んだので、服部正成は三河国で生まれた。服部中保次同様、後に遠江国(静岡県浜松市)で領地8000石と伊賀者200名を預かった。
服部平太夫正尚(蓑笠之助)。徳川家康の側室・西郷局(於愛の方)の養父。「神君伊賀越え」では、徳川家康に蓑と笠を与えて変装させたので難を逃れられたとして、「蓑笠之助」という名を拝領しているが、私は、単に雨が降ってきたので、蓑と笠を徳川家康に与えたのではないかと思っている。