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『石川忠総留書』(坤之巻)「天正十年六月三日、東照権現様、泉州堺より伊賀路御通御帰国之道法之事」に見る「神君伊賀越え」

 『石川忠総留書』(1650年までに成立)の著者は「神君伊賀越え」のメンバー・大久保忠隣の子・石川忠総です。「神君伊賀越え」の直後に書かれたのであれば信憑性が高いのですが、大久保忠隣の死後20年ほど経ってから書かれたと考えられ、記憶違いなどが含まれている可能性があります。(堺を出たのが6月3日だとか、堺-宇治田原間が30里とか、ミスが目立っています。)

 とはいえ、多くの地名が出てくるので、「神君伊賀越え」のコースを探るのには貴重な史料となっています。

https://www.bunka.pref.mie.lg.jp/rekishi/kenshi/asp/Q_A/detail.asp?record=124

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