2023年3月の記事一覧
コパチンスカヤのヴァイオリンリサイタル
長久手市文化の家へ行きました。
初めて行きました。
リニモのはなみずき駅から徒歩10分ぐらいです。
コパチンスカヤのヴァイオリンリサイタルの看板が出ていました。
コパチンスカヤさんはNHKFMでチャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲を聴いて個性的な演奏でおもしろいということで今回の長久手公演を知り、聴きに行きました。
発売と同時に購入したので、前の方の通路側の席が取れました。
正統派の演奏ではな
小さなバラと素敵な音楽物語
♪♪♪ 小さなバラと素敵な音楽物語 ♪♪♪
名曲物語 & 演奏会プログラム
筋金入りシューマニアーナの音楽ライターです。ロマンティック・シューマンを初め、偉大なリスト、哀愁のチャイコフスキーが、とりわけのお気に入り。クラシック音楽の源泉バッハに、天上のモーツァルトは別格として、主にロマン派ピアノ音楽を軸に、作曲家や名曲にまつわる愛にあふれた物語を綴っています。
小説
短編あり長編ありの
ウィーン楽友協会 Musikverein グラスホールでの演奏
何年か前になりますが、室内楽での演奏依頼を頂き、ウィーン楽友協会で演奏する機会に恵まれました。
大ホールは「黄金のホール」、小ホールは「ブラームスホール」と名付けられておりますが、2004年 地下に新たに4つの小ホールが増設されました。
その地下の小ホールの中で一番大きなホール、グラスホール Gläserner Saal はかなり立派で、ソロ、室内楽、アンサンブルに良く利用されています。
元
ウィーン最古のカフェハウス モーツァルトやベートーヴェンも演奏・初演した歴史ある フラウエンフーバー
市街地にあるカフェ フラウエンフーバーは1824年来ウィーン最古と言われています。
UNESCO
ウィーンのカフェ文化は、2011年よりユネスコ無形文化遺産に認定されました。
時は遡って1788年、マリア・テレジアのお抱 宮廷料理長がここに高級レストランを創立。宮廷料理の小さな店でした。
貴族や外交官、お金持ちで賑わっていた様です。
当時この2階はサロンになっており、モーツァルトが1788年
ウィーンのカフェ文化 始まりは17世紀トルコ軍が残していったコーヒー豆から・・・
ウィーンのカフェ文化
その始まりが興味深いです。
オスマン帝国は2度もウィーンを包囲した訳ですが、2度目の包囲1683年は失敗に終り、その撤退の際に大量のコーヒー豆を残しウィーンを去りました。
そしてその後
1685年ウィーンで初めてカフェを開業
コーヒーを一般の市民が味わえる事となりました。
これがウィーンのカフェ文化の始まりとされています。
特徴
コーヒー一杯で長く居ても嫌な顔をされませ
オーストリアの義務教育 子供の将来を考えた制度
オーストリアは日本と違って学校の制度が少々複雑です。
子供の能力や将来の職業、進みたい方向によって様々に分かれており、
制度は日本とは全く違います。
また留年、飛び級、転校も普通によくあります。
義務教育
6歳から15歳までの9年間
初等教育
6歳で入学 4年間
中等教育
10歳から 前期4年 後期4年
適応によって2つの学校種に分かれます。
のちに職業教育学校に進むか大学に進むかで選択でき
ウィーンのレオポルド美術館 クリムト兄弟の絵画(グスタフ/エルンスト・クリムト )
今日本でエゴン・シーレが話題の様ですが、あえてレオポルド美術館に展示してある他の作品に触れたいと思います。
レオポルド美術館 エゴン・シーレのコレクションは世界最大と言われて
おりますが、グスタフ・クリムトや弟のエルンスト・クリムト 、作曲家のシェーンベルクの絵画、またヨーゼフ・ホフマン、コロマン・モーザーなどによるウィーン工房の多彩な工芸品も展示されています。
コレクションが多すぎて一度には
映画と精神医学(4): アマデウス〜神に愛された男と神を呪った男の物語〜
皆様、こんにちは!鹿冶梟介(かやほうすけ)です。
随分前の作品ですが「アマデウス」という映画をご存知でしょうか?
“アマデウス"はご存知、天才音楽家モーツァルトのミドルネームであり、本映画は同名のブロードウェイ・ミュージカルを映画化したものです。
ちなみにアマデウス(amadeus)とはラテン語で「神に愛されたもの」を意味します。
小生がこの映画を見たのは中学生の時でしたが、そのきっかけは
ジョージ・セル【指揮台のタイラントと呼ばれて】《特別編》衣鉢を継いだ者:スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ
「ミスターS」生誕100年に寄せて
「本編」はこちら
クリーヴランド管弦楽団音楽監督在任中の1970年に世を去ったセルは、同時代にフィラデルフィア管弦楽団で活躍したユージン・オーマンディ(1899-1985〔1980年に音楽監督から退き、リッカルド・ムーティ〈1941-〉を後継指名〕)と異なり、自身の後継者の指名もしくは発掘をしていない。
1969年、首席客演指揮者にピエール・ブーレーズを迎