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記憶に止めるストーリー

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#エッセイ

生駒山軽井沢町のおもいで

生駒山軽井沢町のおもいで

写真はJR八尾駅から見える生駒に連なる西陽の当たる山並である。
この風景を見ると時々、以前大変世話になった上司を思い出す。
私が三十、その上司は定年前であった。

関西にも軽井沢があるのをご存じない方は少なくないと思う。

上司はもともと建築屋、会社の創成期に大変ご苦労をされて土木主体の会社を建築でも名の売れる会社にした。定年前の営業部長のポストに就き悠々と定年を迎える予定であっただろう。そこに紆

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『田中先輩の話』プロローグ

『田中先輩の話』プロローグ

こんな暑い夏の夕方だった。
会社の田中先輩が同郷の人間だと知ったのは太郎が大阪支店に転勤して五日目の金曜日だった。

不思議な出会いだった。
太郎はゼネコンの営業部に転属となったのだが、当時の営業部には若い人間はほとんどいなかった。高度成長期にはインフラ整備の大型土木工事が天から降って来てそれをゼネコン各社は上手に分け合って皆がメシを食っていた。営業部員は大型土木現場の元所長や官庁からの天下りのO

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平日の夕方、役所のトイレで泣いてしまった

平日の夕方、役所のトイレで泣いてしまった

この文章は、ツムラ#OneMoreChoiceがnoteで開催する「 #我慢に代わる私の選択肢 」コンテストの参考作品として主催者の依頼により書いたものです。

数年前にできたのであろう、白を基調とした清潔感たっぷりのトイレで、私は泣いていた。なるべく息が漏れないように、歯を食いしばり、顔を手で覆いながら涙が止むまでじっと耐える。めんどくさいヤツだと思われるだろうが、小学生の時からたまにトイレに閉

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同棲【私小説的掌篇・エッセイ ニ四〇〇字】

同棲【私小説的掌篇・エッセイ ニ四〇〇字】

 「吾輩は、トラ猫である」? ん? 誰かがすでに使っているので、ボツ。一応、トラ猫(♀)と、2度目の東京五輪の年に古稀をむかえた男との、40年前の物語である。

 20代の二度の転職を経て翻訳教育会社に入った。英語は苦手だったが異文化間コミュニケーションには興味があり、経理担当として潜り込んだ。2年目途中から、後に天職となる広報企画に移つるのだから、経理は、適所の部署ではなかったのだろう。そんな日

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【雑記】亡き義父の想い出

【雑記】亡き義父の想い出

歌人だった義父の短歌集が、実家で見つかった。
ずっと探していたものだ。
歌集の著者近影で、息子は初めておじいちゃんの顔を知る。
「へえ、ボクのおじいちゃんって、こんな人だったんだねえ」
としみじみ呟く。

私は義父の短歌を見ると、糸魚川のことを思い出す。

・海くらき果てより冬の牙かぎりなし涛は悲痛に息まざるなり

初めて見た北陸の冬の海は、まさにこんな感じだった。

・冬海の涛がみがきし翡翠一顆

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K子が遺してくれたもの

K子が遺してくれたもの

 体の奥で振動がする。
 ブル、ブルルル……
 小さく、かすかなエンジン音。
 でも、たしかに聞こえるのだ。
 心臓の鼓動に伴走するかのように――。

「こんばんは。今ええん?」
 10月初め、友人から電話があった。時刻は夜の8時過ぎ。
「ええよ。どしたん?」
 彼女は関西在住で私は九州。なのに会話は広島弁。34年前広島の大学で出会い、現在に至るからだ。コロナ禍で数年会っていないが、電話やラインで

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おじいちゃんちの犬

おじいちゃんちの犬

朝、家を出て歩いていたらどこかの犬が遠吠えしているのを聞いて、ふとレンちゃんを思い出した。

レンちゃんは昔おじいちゃんちで飼っていた犬である。

今は雑種の犬を見ることはほとんどないけれど、レンちゃんは雑種で、白くて、中型で、日本スピッツに似た犬だった。

外犬で、いつもご飯はドックフードではなくて、残った味噌汁とご飯をごちゃまぜにしたものを食べていた。
あれ、犬の身体的には実はよくないんじゃな

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祖母との電話

祖母との電話

「大変ね」

その言葉に、わたしはほとほと疲れてしまっていた。

夫婦で新天地に移住した矢先に、新型コロナウイルスの流行。
妊娠が判明した直後に、緊急事態宣言が発令。 
立ち会い面会すべてNGのなか、初めての出産。
出産直後に再び緊急事態宣言が発令され、家族を頼ることもできず始まった初めての育児。

そんなわたしの状況は、側から見るときっと「大変」なのだろう。

妊娠中も出産後も、家族はたくさん電

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ケンカをするわけ

ケンカをするわけ

陽は早く落ち、冷たい空気が襟元にまわり出すこの頃、五十年も前のことを毎年思い出す。

子どもの頃からケンカは好きではない。
しかし、男としてこの世に生きていると嫌でもそんな場面にぶつかることもあり、弱いものいじめを見ることもある。
今は自分のことは我慢できるようになった。
でもまだ他人のこと、お年寄りや女性、弱い立場の人間を困らせる、そんな場面に遭遇すると黙っていることは出来ない。

小学二年、こ

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矛盾【エッセイ】一〇〇〇字

矛盾【エッセイ】一〇〇〇字

 『地球に住めなくなる日』(NHK出版)を読み終えた夜、夢を見た。

 ある惑星の、2019年9月23日。国連で、スゲェーデンの16歳の活動家スグレタさんは、鬼気迫る表情でこう訴える。
 「生態系が全て破壊されています。大量絶滅の始まりにいます。人類も最終章に入っているのです。なのに、経済発展がいつまでも続くという話ばかり。”How dare you(よくも そんな ことを!)” 」と。
 なんと

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麗江を流れる雪解け水

麗江を流れる雪解け水

中国の雲南省。標高2400mの地に、ナシ族が暮らす古都「麗江」がある。

この街を見下ろすのは、5000m級の霊峰「玉龍雪山(ぎょくりゅうせつざん)」。

その名の通り、山の稜線は龍のようにうねっていて、龍の背には白くて美しい雪が積もっている。

玉龍雪山の雪解け水は、大地に染み込み、清らかな湧き水となってこの街に注がれる。

麗江の街には、「水路」がまるで迷路のように隅々まで張り巡らされていて、

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(私のエピソード集・30)子ども3人で満州引揚げ

(私のエピソード集・30)子ども3人で満州引揚げ

これは夫から聞いた話: 昭和20年、終戦直前の8月10日に、満州鉄道(=満鉄)社員に、至急の「朝鮮への疎開命令」が出て、夕方までに駅へ集まれと。 僕の父は入院中で、母は足首の手術後まもない身で、貯金を下ろしにも行けず、荷物と弁当の用意がせいいっぱいだった。

僕は8歳、姉10歳、妹はもうじき6歳だった。

僕は母に内緒で、すぐに小学校へ飛んで行き、担任の先生に「一年から貯めた貯金を返して!」と言っ

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25年前、初めて自分の力で「書く仕事」を得た日のこと。

25年前、初めて自分の力で「書く仕事」を得た日のこと。

「作家になる」と言い張って、大学時代に一度も就職活動をしなかった私は、大学を卒業した時はただの「作家志望のフリーター」だった。

塾講師のアルバイトを続けてお金を稼ぎ、家事をすることで実家に住まわせてもらい、1円にもならない小説を書き散らしていた。
週に一度は大阪編集教室のライターコースへ通い、「作家がダメでもライターとしてやっていくから」と、そんな言葉で親を納得させていた。

ライターコースを修

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