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#まいにち日記部
あなたと一緒に、仕事がしたい。"働く理由" はそれしかなかった。
「みなさんに、退職のご報告があります。」
部長の口からその言葉が飛び出したとき、辞めるのは彼ではないと知っていたはずなのに、大きく心臓が波打った。
実際は、部下の退職報告を代わりにしたというだけの話だ。けれどわたしはそのとき、不意をつかれて思わず息を呑んだ。
そして、考えた。
もし、彼が今、本当に会社を辞めてしまったら。
わたしは一体、どうするのだろう?
しばらくの間、放心状態になってし
「書き続ける」は「生き続ける」の意思表示
毎日noteをはじめて、1ヶ月が経った。
正確には、1日だけ公開したつもりになっていて実はしていなかった、という日があって、25日目くらいで一度記録が途絶えてしまったのだけど、それに目を瞑ったら(noteはきちんと翌日からリセットされたけど…)、1ヶ月以上は続けられていることになる。
この1ヶ月を振り返ってみて、結論としては毎日noteをはじめてみてよかったと思っている。
はじめたことによる
わたしはずっと、秋の便りを待っていたい
「いつからが秋か、その季節のはじまりは自分で決めよう」みたいなことが書かれている文章を読んだ。
決してそれに反対するわけじゃないけれど、季節の変わり目は、自分で決めるんじゃなくて季節からの知らせを待って、それをちゃんと受け取って判断したい、と思った。
その文章では、暦にとらわれず、「何月になったら秋だ」と思うのではなく、「自分でこれをしたら秋のはじまり」というトリガーというか習慣みたいなものを
毎日note、ひとやすみ宣言。
つい先日「毎日noteをはじめてよかったこと」という
記事を書いたばかりで言いづらいのだけど、毎日noteを、しばらくお休みしようと思う。
理由としては、まず、当初の目的が達成されたから。
とはいえ、noteの更新自体をやめる、ということはない。毎日noteを40日間続けて、生活の中に文章を書くという習慣がほどよく組み込まれたから、はじめる前よりは更新の頻度も上がると思う。
ただ、これからは
捨てて、のびのび生きていく
最近、わたしは捨てることを覚えた。
物理的に物を捨てる「断捨離」もそうなのだけど、ここで言う「捨てるもの」とは、どちらかというと物ではなく「やること」という意味合いが強い。
今までわたしは、多趣味で飽き性で、気になったものには瞬時に飛びかかるけれど、すぐ他のことに目移りして、いろいろなことが常に同時進行している、という生き方をしてきた。
特に大学生の頃はそれが顕著で、「特技はマルチタスク」「
足りないものは、感性じゃなくてたぶん愛
「自分が撮りたいと思うものを探すんだよ、じゃない
と見つからないから」
「自分の感性で、いいなと思うものを撮ればいいんだ
よ」
どうしたらいい写真が撮れるのか、というわたしの
問いかけに対して、彼はそう言った。
感性。
わたしが一番大切にしているもののはずなのに、他の人
からこの言葉を聞くと、なんとなく違和感を覚えて
しまうのはなぜだろう。
自分の感性を、表現する。
表現するのは好きだ
気づかれなくてもここにいて、何不自由なく生きている
「岡崎、会社やめてたの?」
これは今日、前に働いていた会社の同期からきたLINEのメッセージだ。
珍しい人から連絡がきている、と思ってトーク画面を開いたら、内容がこれだった。
最初は冗談かと思った。
疲れて見間違えたかなと思い、何度か目を瞬いてみたけれど、何度読んでもメッセージの内容が変わることはなかった。
いやいや、ちょっと待った。
わたしが前の会社を辞めたのはもう3月上旬のことだし、
私はたぶん、まだ愛を知らない
「今まで、本気で人を好きになったことないん
じゃない?」
これは、会社の研修で行ったワークの後、同期の
男の子に言われた一言だった。
言われた瞬間、頭に衝撃が走った。
ワークのテーマは「ジョハリの窓の開放の部分を
広げる」。
「今までの人生で、家族にも友達にも言っていない
秘密を3つ共有する」というお題が出た。
わたしは悩みに悩んだ結果、恋愛にまつわる秘密を
話した。
そのワークの最後
切なさは捨てずに、怒りは味方に
もしかしたら、わたしには「怒り」という感情が必要
なのかもしれない。
と、最近思うようになった。
わたしは「怒り」という感情との付き合い方がいまいち
よくわからなくて、今までの人生でも、あまり関わらないようにしてきた。
「怒り」は暴力的で、人を傷つけて、コントロールが
できない、恐ろしい感情だと思ってきた。
たまに、「怒り」が自分の中で芽を出した瞬間に気づく
と、慌ててそれを鎮めようと、何