関西弁に、恋してる。
関西弁が好きだ。
いつから好きなのかなんて思い出せないくらい、
物心ついたときにはもう、すっかりその言葉の響きに
魅了されていた。
気づいたときにはすでに、関西弁に恋していた。
わたしは生まれも育ちもほとんど関東で、方言と
いえば、おばあちゃんとお母さんの使う茨城弁か、
岡崎家のルーツである山形弁くらいしか、人生で耳に
してこなかった。
関西の人にはじめて出会ったのはたぶん、ブラジルに
行ってからだし、それまで本物の関西弁を聞いたこと
はなかったように思う。
ブラジルに住んでから周りの日本人に関西出身の人が
多くて、そこではじめて生の関西弁を聞いて、生の
英語やポルトガル語を聞いたときよりも、興奮で鳥肌
が立った記憶がある。
だけどよく考えたら、わたしの関西弁の原体験は、
おそらく名探偵コナンの服部平次の使う関西弁だった。
家では常にテレビ画面にはコナンのアニメが流れて
いて、テレビが苦手だった幼少期でも、コナンだけは
毎週のテレビ番組も映画も、熱心に観ていた。
そこから聞こえる関西弁の響きに、幼いながらも
何かを感じ取り、無意識のうちに憧れを抱くように
なった。
今振り返ってみると、そんな気がする。
社会人になった途端、身近に関西出身の人が増えた。
街中や職場で関西弁が聞こえるたび、わたしの耳は
無意識にその賑やかな音のする方に向いている。
それはもはや音楽のようで、その旋律を耳にする
たび、心が明るく、柔らかくなっていくのを感じる。
自分と話しているわけじゃないのに、どこかで関西弁が聞こえると、自然と頬が緩む。
その声の持ち主が怒っていても楽しそうなときでも
関係なく、わたしの耳は、それを楽しんで聴いている。
年に何度も京都に足を運んでいる理由のうちの3割
くらいは、京都弁を聞くためと言っても過言ではない。
と言っても、大阪弁と京都弁の違いも明確には
わかっていないので、そのうちきちんと勉強しなきゃ
と思っているのだけど。。
(これを言ったら、全方位に怒られそう。)
どうしてこんなに、関西弁が好きなんだろう。
これについては、今までに何度か考えてみたことが
ある。
ひとつ思うのは、関西弁の言葉には体温がある、と
感じる。
返事ひとつとっても、それが厳しい指摘だったとして
も、なぜかそこにはいつも温かみがあり、優しさがある。
感情が言葉の一音、一音に乗っていて、熱がこもって
いる。
ただ単に、わたしの周りの関西出身の人たちにいい人
が多いだけなのかもしれないけど、わたしが耳にする
彼らの言葉は、いつだって柔らかくて、明るくて、
一直線で、嘘がない。
なんだか、生きている言葉、という感じがして、
胸を強く打つ。
熱と感情がダイレクトに伝わってくるからか、
心が揺さぶられる。
何度聞いても、ドキドキしてしまう。
最近は、音だけじゃなく文字を見ても幸せな気持ちに
なる。
関西弁を見つけると、無意識のうちに手がスクリーン
ショットをすべく動いていることに気づいたときは、
自分でも驚いた。
(友達に話したら、ちょっと引かれた。)
文章でも心を動かすことができる言葉って素敵だなあ
と思う。
だけどきっとわたしは、たまたま関西弁を好きに
なっただけで、
何かが少し違ったら、別の方言に恋していたかも
しれない。
その可能性についてはなんとも言えないけれど、
こんなに愛おしい言葉に出会うことができた人生は、
そうじゃない人生に比べたら、ほんの少し明るい。
そんな気がする。
今はまだ、日本語の中にとどまっているけれど、多く
の言葉を知って、愛しい言葉を増やしていけたら。
人生はもっと、色鮮やかな音で溢れていくのだろうな と思う。
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