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「書き続ける」は「生き続ける」の意思表示


毎日noteをはじめて、1ヶ月が経った。

正確には、1日だけ公開したつもりになっていて実はしていなかった、という日があって、25日目くらいで一度記録が途絶えてしまったのだけど、それに目を瞑ったら(noteはきちんと翌日からリセットされたけど…)、1ヶ月以上は続けられていることになる。

この1ヶ月を振り返ってみて、結論としては毎日noteをはじめてみてよかったと思っている。

はじめたことによるデメリットは、今のところあまり思いつかない。

今日は振り返りとして、はじめてみてよかった点をまとめてみようと思う。


毎日noteをはじめてみて、よかった点
①自分の感情や考えを言語化できるようになった
②日常を主体的に生きられるようになった
③自己肯定感が上がった
③無駄のない、規則正しい生活リズムができた


① 自分の感情や考えを言語化できるようになった

まず1つ目は、毎日noteに何らかの文章を書くことで、自分の感情や考えを言語化する訓練になる、という点だ。

今までは、何かを見たり聞いたりしたときに、心で感じたことや考えたことを「なんとなく」で終わらせていた。

忙しい日々の中で、何度もその「なんとなく」芽生えた感情や思いついたアイディアの種たちが、浮かんでは消える、を繰り返していた。

けれど、毎日noteを書く、というルールを決めたことで、「今日考えていたことを書いてみよう」と思い立ったり、「今日は何も書くことがないから仕方ないけどこれを書くか…」と書きはじめたら意外と思考が深まったりと、言語化することで自分でも新たな発見があったり核心に近付いたりすることが、多々あった。

目まぐるしい毎日を過ごしていると見落としてしまうような小さな幸せや、忘れていた大切な感情や記憶を文章にして書き出すことで、「あ、今自分はこんなことに関心があるんだな」「こんなこと考えてたんだな」と自分を見つめ直すきっかけにもなっている。


② 日常を主体的に生きられるようになった

2つ目は、「記事になる種を探す」という目的のために、日常を主体的に生きられるようになった、という点だ。

わたしはどこにでもいる平凡な社会人3年目なので、仕事でもプライベートでも、ドラマチックな出来事が毎日起きるわけではない。

とはいえ、noteは自分しか読まない日記ではないし、一人でも自分以外の誰かが読んでくれている、と思うと、くだらないことばかりは書けない。(書いていたらごめんなさい。)

そうなると、自然と毎日を過ごしながら「あ、この出来事はnoteに書けるかもしれない」「今の疑問、もう少し深掘りしてみようかな」なんて考えるようになる。

今までは当たり前のように通り過ぎていた風景や、右から左に流れていた人とのやり取り、そういったすべてに対して、主体的に感じたり考えたりするようになったなあと、最近思っている。


③ 自己肯定感が上がった

これはわたし個人の問題なのだけど、わたしは昔からとにかく何かを「続ける」のが苦手な子供だった。

自分の意思ではじめて続けたものは、食べ歩きと読書くらいなんじゃないか…と思うほど、新しいものをはじめては他のものに目が行き、気づいたらやめているということを繰り返しながら生きてきた。

大学生くらいから、「続けられない自分」を少しコンプレックスに感じはじめた。社会人になっては特にそれが顕著で、最近も得意の「自己嫌悪」に何度も陥っていた。

けれど今、自分もまわりも絶対に無理だと思っていた(実際に、友達には絶対無理でしょと思っていた、と言われた)毎日noteを継続していることにより、自分もやればできる、ということを知ってほっとしている

noteを第一優先に、と決めて他の一切の趣味を2番目以降にすると決めたこともあって、一つのことに集中して継続できている、という成功体験は、自分史上初めてのことで、無事に自己肯定感を保つことができている


④無駄のない、規則正しい生活リズムができた

最後は、毎日の生活リズムが固定化された、という点。

毎日noteを書きはじめる前、一番最初に決めたのは「いつ書くのか?」ということだった。

新しい習慣をはじめるためには、まず日々の生活の中でその行動をするタイミングを決めるべき、というのをどこかで読んだので、毎日noteは「会社から帰ってきてご飯を食べた後、お風呂に入るまでの間に書く」ことを決めた。

そう決めたことにより、まずその時間を確保するために、仕事は早く終わらせて家に帰ろうと思うし、ご飯を食べ終わったあとにリビングでだらだらするのはやめよう、という思考になる。

それを続けたことにより、日々の業務時間にもリズムができて管理しやすくなったし、夕飯後のだらだら時間がなくなったことで、意外と時間があることに気づき、新たに習い事をはじめることにも成功した

あとはもう少し書くスピードを上げて、就寝時間を早められたら文句なしだな…と、思っている。


以上が、noteをはじめてから1ヶ月目の今、わたしが感じている「毎日noteを続けて良かったこと」だ。

これまで、嬉しい日も悲しい日も元気な日も疲れている日もあったけれど、そのたわいもない日々を記録していると、自分が生きている証を刻んでいるみたいだなあと、つくづく思う。

平凡な一般人の見た景色や日常なんて、この先何十年、いや数年後ですら、跡形もなく消えてなくなっているだろう。

けれど自分はここでこうして生きている、ということを、たしかに今この瞬間、一生懸命刻んでいる自分がいる。

大袈裟かもしれないけれど、わたしにとって「書き続ける」ということは、「生き続ける」意思表示のようだなあと、思ったりしている。

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