介護でイラっとするのは普通、聖人になんてならなくていい
―― 現在、介護をされている方々。
―― 過去に介護をされた経験がある方々。
―― これから介護をするだろうと想定している方々。
これらは親の介護であっても、仕事としての介護でも構わない。
いずれにせよ、介護をしている方々には「お疲れ様です」と言いたい。
しかし、決して「介護をしているなんて立派ですね」とは言わない。それは介護事業をしている立場として、介護は何も立派な行為ではないと思っているからだ。
介護をしていると言うと、何だか慈愛の心やボランティア精神を有しているかのようなイメージを持つ人がいるが、とんでもない話だ。
「誰かのために」「他人のために」という考え方はビジネスでもあるし、それが自身の精神の成長につながることも確かだ。
しかし、別に介護をしている人たちは聖人ではない。
「立派ですね」なんて言われると、特に私なんかは事業(仕事)としてやっていることなので「別にそういうつもりではないが」と思ってしまう。
そもそも、介護をしていると言うと、多くの人たちは介護施設の広告で見かけるような風景を思い浮かべるだろう。
しかし、当然ながらそれが全てではない。もちろん、介護対象である高齢者と楽しく会話をしたり、一緒にのんびりしたり、ときどき自分の成長に気づくことだってある。
だが、大抵は四苦八苦してばかりだ。たまに他者からの感謝を受けたくて介護職を希望してくる人がいるが、残念ながら感謝とは程遠い反応ばかりだ。
もちろん、介助後に感謝の言葉を受けることもあるが、幾度も感謝の言葉を受け続けていると当たり前になってしまうこともある。
介護をずっとしてると、いちいち嬉しくなっている余裕もなくなるため、感謝されても「あ~、はいはい」となってしまうこともある。
――― 何だかひどい話をしているなと自覚している。
しかし、何度も言うが介護をしているからといって聖人ではない。
高齢者の言動、態度、反応などによっては、イラっとすることだってある。
―― キレイにオムツ交換しても、2~3時間も経てば尿と便にまみれる。
―― 準備した食事を「いらない!」と投げられることもある。
―― 薬を飲むことや口腔ケアが必要なのに、口を開けたがらない方もいる。
―― 整理しても、気が付けばクローゼットの中がぐちゃぐちゃになる。
―― 同じ話を何度も聞いたり、説明するほど理解から遠ざかることもある。
・・・例えを挙げるとキリがない。千差万別だ。それが介護だ。
認知症の諸症状として、脳の萎縮や損傷から記憶力や社会性が欠如するなどのメカニズムはどんどん解明されている。
しかし、知識を知っていることと、その場その場で適切に対応できることは話が異なる。知識を行動に示すにはトレーニングが必要だ。
現在介護をされている方々、過去に介護をしてきた方々、未来として介護をする見込みのある方々にお伝えしたいことがある。
介護をしているからって「怒ってはいけない」「感情的になるのは良くない」なんて思わなくていい。というか、思わないほうが良い。
介護で「怒ってはいけない」なんて思っていると、つい怒ってしまったときに自己嫌悪に陥ってしまう。
むしろ、介護をしていてイラっとしたり怒ってしまったときには「イラっとするのは普通」「怒ってしまうこともある」と思ったほうが良い。
そもそも、生きているとは感情的になることの連続だ。
そして何度か感情的になって、次第に「そこまで感情的になる話でないな」と気づくことが心の成長になり、余裕につながる。
しかし、それはあくまで個人の話である。介護は確実に介護対象たる高齢者という他人を相手にする。
「他人はコントロールすることはできない」とはよく言ったものだが、そのコントロールできない相手の身体や生活を何とか支援しようとするのだから、確実にうまくいくわけがない。
確実にうまくいかないということは、確実にイラっとする場面が出てくる。
介護とは感情的になることがデフォルトなのだ。
そのデフォルトを抑えて「怒っては駄目だ」なんてしていると、心のバランスが崩れてしまう。逆に言えば「怒ってよし」くらいに思っていれば、案外そこまでカリカリすることもない。
誤解のないようにお伝えすると、何も虐待を助長したいわけではない。
また、不適切な介護を容認しろと言いたいわけではない。
単純に「介護している人だって人間」という当たり前の事実に立ち返り、「人間誰しもイラっとすることくらいある」と受け止めたほうが気楽であると言いたいのだ。
もしも、介護中についイラっとしたり、怒鳴ってしまったとしたら、それはあなたのせいではない。それは当たり前のことであり、自分を責める必要は微塵もない。
湧いた感情や口から出てしまった言葉は取り返せない。むしろ、自分がしてしまった感情や言動に気づくだけで十分だ。そこからは、せいぜい「次は気を付けよう」と思うだけで結構だ。
そんな自分に気づけたら、そこで自分自身に「立派だよ、お前」と伝えてあげてほしい。それは誰でもない、自分が自分に言える言葉だと思う。
ここまで読んでいただき、感謝。
途中で読むのをやめた方へも、感謝。
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