天正3年(1575)5月20日は信長が家康家臣・酒井忠次に武田方の鳶ヶ巣山砦奇襲を命じた日。長篠城救援に来た織田徳川連合軍が設楽原へ着陣。忠次を大将とした別動隊4千編成され20日深夜に豊川を渡河し迂回。翌朝の砦の陥落が設楽原に進んだ武田軍本隊の退路を脅かすことになったといわれる。