「どうする家康」第39回「太閤、くたばる」 家康に天下人を覚悟させた二人の遺言
はじめに
今回は二人の男の最期が対照的に描かれました。前半は家康の長年の宿老、酒井左衛門尉忠次の穏やかな死…そして、後半は栄華を極め尽くしたはずの太閤豊臣秀吉の壮絶死でした。
とはいえ、この両者、交渉など政治的なつながりはあるものの、対比されるような人間性や共通点はありません。そもそも、作中で二人だけの関係を匂わせる描写はありませんでした。
つまり、没した時期が比較的近いだけの二人の死を、一話に封じ込めるのはいささか唐突なのです。にもかかわらず、二人の死は家康という人間を通して、静かに響きあっており、その構成が秀逸と言えるのが第39回の特徴です。
二人の死が響きあう理由、それは天下の趨勢と残りの人生をどう全うするか、その二つの問題が家康に突きつけられ、それが彼の静かで確かな決断を生むからです。言わば、家康が真の意味で天下人への道を開いた瞬間が描かれたのです。
そこで今回は、左衛門尉と秀吉の死が家康に何をもたらすのか、また彼らが家康に何を託すのかを見ながら、家康の天下人としての資質について考えてみましょう。
1.太閤秀吉、終わりのはじまり
(1)秀頼誕生が告げる豊臣終焉のはじまり
冒頭は寿ぐべき秀頼の誕生です。いそいそと浮き足立つ秀吉、寧々の朗らかな「玉のような男の子でございます」との声、集まる人々の賑やかさ、どれもが秀頼の誕生を祝福し、同時にそれは豊臣家全体への安堵と幸福に満ちています。部屋に入った際にカメラは秀吉目線の主観映像へ切り替わり、秀吉の喜びの程度、また彼の幸せの焦点が秀頼母子にあることが視聴者にも体感できます。
が、我が子に駆け寄り、抱きかかえようとした秀吉の手が止まり、その躊躇に皆が訝り、空気が止まります。前回予告編を見ていると、一瞬、秀吉が秀頼を我が子かどうかと疑うのかと思ってしまうので、この瞬間はさまざまなレベルで一瞬だけ緊張が走りますね(笑)
しかし、秀吉の躊躇はもっと別のことです…「この手は多くの者を殺めてきたで…」と自らの所業に急に怯えたような言葉を漏らします。穢れた手では無垢な我が子を抱くにふさわしくないという秀吉らしからぬ自戒のつぶやきに、周りの空気も止まったままです。おそらく、彼の脳裏には亡くなった鶴松のことがよぎったのでしょう。
あのときの絶望…何故、天は何の罪もない鶴松の命を秀吉から奪ったのか。彼なりにその理由を問いかけていたに違いありません。そもそも、朝鮮出兵を始めたその根底には、鶴松を失った自らの空隙を埋めること、そして同じく我が子を失った茶々を慰めることがありました。その戦を収めようとした今、目を背けてきた「何故、鶴松を失ったのか」という問いが、再び首をもたげてくるのは、無理なからぬことです。
鶴松に罪がない以上、失った理由は自分にしかありません。その罪は天下一統とその後の支配の中で奪った多くの命です。その中には大義名分では誤魔化しきれない、非常に個人的な欲望や事情から奪ったものもあります。全ては彼が際限ない欲望をかなえようとするまま振る舞った結果です。
その因果応報で鶴松の命が奪われ、豊臣家の命脈が絶たれたのだとしたら…秀吉は戦慄するいかありません。前回、noteでも触れましたが、鶴松の死は病弱な彼を秀吉が公式も含めさまざまな場に連れまわしたことの影響もささやかれています。秀吉の罪の意識もあながち間違いではありません。
幼い鶴松の命を奪ったかもしれない自分の悪行…新たに授かった無垢なる命を前にすれば、なおさら慎重になるでしょうね。そして、訝る周りの様子に秀吉はその罪深い手を振り回しながら振り返ります。太閤殿下の異様な雰囲気に驚く一同が引いてしまうのは当たり前でしょう。しかし、秀吉の主観から見える周りの様子は違います。ある者は自分を恐れ、ある者は顔色を窺い、またある者は媚びている…など誰もが自身の本心を隠し、偽りの表情を見せています。誰一人、心から彼を気遣い、手を取ろうとはしません。
自らの業深さで我が子を殺したかもしれない自分すら信じ切れない今の秀吉にとって、このような周りの人物たちを信じることなど出来ようはずもなく、笑顔が消え虚ろな表情になった秀吉は「穢れた者を近づけてはならん」と厳命します。今度こそ血がつながった我が子、大事な家族を失うわけにはいきません。
ひたすらに彼は秀頼が失われることを恐れるあまり、その手が穢れていることを自覚したにもかかわわらず「これに粗相したものがおれば誰であろうと成敗してよい」とまたも人の命を軽んずる命を茶々と寧々に下します。我が子を失う恐れから、さらに人非人になっていくとは皮肉なものです。
気づかわし気な寧々とは対照的に、茶々は自らの天下取りの足掛かりとしての我が子、秀頼を守り抜くため「はい!」と力強く答えます。秀吉は恐れから、茶々は野心からと思惑は違うのですが、秀頼を失ってはいけないという目的では共有しているのです。
そして、秀吉はやっと安心したように「この小さき者が余の全てじゃ…」とつぶやきます。親心としては真っ当なこの言葉を為政者が言った場合は、恐ろしいものになる場合があります。息子が「余の全て」だけではなく「世の全て」とイコールになっているからです。こうして、生まれたばかりの秀頼のためだけに、秀吉の止まらない暴走が再び始まります。そして、それは豊臣政権を内から外からめちゃめちゃにしていくことになるのです。
その一つが、本作では台詞で触れられるだけになった関白秀次の切腹、一族郎党の皆殺しです。秀頼の将来を脅かす者は身内であろうと滅ぼす狂気、秀吉は、自分の業が秀頼にかかることを恐れながら、ますますその手を血に染める悪循環に陥っていくのです。
秀吉の暴走の再開は、早速、明との和議の条件に現われます。秀吉が「思案を重ねた末」と告げた和議七ヶ条は、「明の皇女を日本の天皇の后にする」など無茶な要求が多く連ねられていました。当然、小西行長は「お待ちくだされ」と言いすがり、三成も「我らの意見もお取り入れ…」と懇願しますが、それには「一歩も譲れん」と耳を傾けないばかりか、「しかと」を二度繰り返し念押しの上、交渉を進めるよう強要します。
秀吉の名誉のために言えば、そもそもこの和議、日本側も明側も交渉を進めるために「とりあえず向こうが降伏した」と双方、主に嘘をつくことから始まっています。ですから、その裏事情を知らない秀吉が、降伏したはずの明へ強気な和議の条件を突き付けるのは当たり前なのです。
ただ、本作で問題なのは、前回、「万事そなたらの言うとおりにする」と一任した一言が、秀頼誕生を機に翻されたことのほうでしょう。小西らにすれば、交渉を一任されたことで助かったとの思いが強かったはず。それによって、秀吉の機嫌を損ねず、名誉も傷つけない落としどころを明側と時間をかけて取り付けることができたでしょうから。しかし、秀吉の和議七ヶ条によって、それは不可能になりました。結局、交渉役を務める小西らは窮地に立たされることになります。
そもそも、主君を恐れ噓の報告をするようになっていること自体が豊臣政権の凋落を示しています。それは相手の明も同様で、奇しくも明の万暦帝が政治を省みなくなったのもこの時期で、『明史』にも「明朝は万暦に滅ぶ」と書かれるほどです。結局、双方の使者が嘘の上に交渉を重ねた結果、交渉は決裂し、小西は二度目の出兵では懲罰として渡海することになり、明側の使者、沈惟敬は処刑されることになります。
ところで、秀吉は小西らに一任するはずだった交渉を自ら乗り出したのでしょう。また、明が降伏との報告を受けていたとしても、自軍の損耗と疲弊、そして明の国力差を考えれば、和議七ヶ条ほどに強気な条件はいくらなんでも無茶とわかるはずです。それを敢えてしたところに、秀吉曰く「思案を重ねた」の正体が見えてきます。
自身の老化が顕著になってきた今になって産まれた嫡男秀頼。幼い彼に天下を統べる力量が備わるまで待っている時間的な余裕はありません。秀吉にできることは、彼の生きているうちに豊臣政権を盤石にすることだけです。そのためには、明と朝鮮に勝ったという圧倒的な事実は秀吉の実力を示すことになります。また、交渉で大きな利益を引き出し、それを各大名たちに再分配すれば、改めて彼らの忠誠を買え、豊臣政権に弓引くことはないだろうと思われます。
つまり、幼い秀頼の安泰のためだけに彼は家臣たちの意見を退け、自分の意向だけを押しつけたのです。最晩年になってようやく「自分の本当に欲しかったもの」の一つを自覚し、それを手に入れた秀吉は、それを失わないため、迫りくる老いに責め立てられるように無謀な選択に人々を巻き込んでいきます。前回noteでも触れましたが、やはり秀吉は「老い」にとり憑かれていると言えるでしょう。
(2)瀬名の慈愛の国構想と似ている三成の「新しき政」
さて、巻き込まれた三成は、悩んだ挙句、友になれると信ずる家康のもとへ参上し、その思いを吐露します。明や朝鮮に対するあまりに強引な条件の数々は家康ばかりか、忠勝まで絶句させています。条件がしたためられた書状を忠勝から受け取り、拝見した阿茶に至っては「朦朧しても天下人は天下人…難儀なことでございます」と辛辣です。
頭の良い彼女は、家康を始めとする一同の本心を汲んでガス抜きの一言を放ったのですが、三成は返答に窮し、それを助けるように家康らは阿茶を嗜めます。悪びれることなく「ご無礼を」と微笑みながら一礼する阿茶を見ると、こういう反応まで織り込み済みの一言だったとわかりますね。皆が思っていることを女性の自分なら彼らの代わりに言っても許され、またそれによって彼らの鬱屈も少しは晴れるという計算があるのです。
また、秀吉股肱の臣である三成もここへ相談に来た以上は、同じ思いであるはずで密告することもないでしょう。聡い阿茶はそこまで考えて、気配りとして辛辣な意見を述べたのです。
因みに、この意見は前回の阿茶自身の「人は誰でも老いまするゆえ」の言葉を引き取ったものになっており、「天下人の老い」の問題を強調していますね。秀吉の老いは三成すら認めるしかないものであり、それは秀吉の死後を見据えた政治のあり方を模索する時期に来ていることを示しています。ですから、阿茶の「朦朧」という秀吉評は、自然と家康に次の言葉を誘発します。
星空を見上げていた家康は三成に向き直すと「以前、新たな政と申しておったな」と切り出し、その具体的な内容を問います。そこに今後、ひいては秀吉死後の政治のあり方のヒントになるかもしれないという思いがあればこその、家康の問いです。
対して、三成は包み隠すことなく、その理想を語ります。
力ではなく知恵。天下人を支えつつも合議によって政をなす。
志があり知恵ある者が話し合い、皆が納得をして事を進めていく。
そうなれば天下人の座を力ずくで奪うこともなくなります。
三成が言うのは、武力を背景としない、欲ではなく志をもって、知恵による政治です。戦国時代及び豊臣政権を支配する武断政治から徳治政治への移行を考えているのですね。そして、その徳治を支えるシステムとして、三成が提唱するのが合議制です。合議制は近現代になっても一定の効果を期待され採用されています。日本の政治であれば、内閣や委員会は合議制の一つですね。
しかし、三成の言葉が夢想に過ぎないことは、残念ながら現実に日本の政治でこの合議制が機能不全を起こしていることからもわかるでしょう。「皆が納得をして事を進めていく」ための議論ならば、少数意見も取り入れ政策をブラッシュアップしていくのが王道ですが、実際は数の理論で単に少数意見押しつぶしたり、あるいは責任の押し付け合いをしたりしていますからね(苦笑)
また、昨年、「鎌倉殿の13人」をご覧になった方は。この合議制の問題点のもう一つが見えてくるはずです。あの劇中では、十三人の合議制が、北条氏が力を持ち他者を排斥することで力を獲得していく過程が描かれていました。つまり、合議制はそのまま民主的なシステムとなるとは限らず、一人に権力を集中させようとするメンバーが表れる場合があり、そうなると独裁政治を生む温床になるのです。
あ、でも「吾妻鏡」を読んでいる家康なら合議制に懐疑的だと思うのは早計です。何故なら「吾妻鏡」は北条泰時を顕彰していますからね。家康は、彼が設置した評定衆という合議制は評価している可能性があるのですよ(笑)
なんにせよ、今は武断政治真っただ中。朝鮮との戦もようやく終わったばかり。ですから、三成も、そんなに簡単に徳治政治になると思っておらず、「お笑いになるでしょうが、そのような政をしてみたいというのが私の夢でございます。」と自嘲気味に照れるのみです。こういう照れが、三成の純真さでもあり、なんとも痛々しいですが。
しかし、家康らの反応は違います。まず、家康は三成の発想に目を見張る表情を浮かべます。彼の発想する徳治政治と合議制は、形こそかなり違いますが、その根っこは瀬名の慈愛の国構想と同じだからです。瀬名との理想の約束である木彫り兎を桐箱に大切に封印し、秀吉に降り、豊臣政権下で粉骨砕身してきた家康。
そうした日々のなかで、今また瀬名の理想に近しい発想を、他ならぬ秀吉の股肱の臣から聞いたのです。かつて瀬名と目指した理想に再会することに、どこか運命的なものを感じたかもしれませんね。
また家康は、前回、足利義昭から「天下人の孤独と宿命」について聞かされ、目の前の秀吉の無様な姿を見、そして信長を思い返しています。義昭によれば、自分はそうならないつもりでもそうなってしまうということです。天下人個人による政の限界、それを家康はまざまざと見て、そして言葉としても聞かされたのです。となれば、天下人個人だけに頼らない政治のシステムの必要性を彼自身も感じているはず。その思いが、阿茶の秀吉評に誘発され、三成への問いかけとなったのです。
したがって、三成の提案は、我が意を得たりの部分もあったのだろうと、その表情からは察せられます。今夜ばかりは、家康も三成も同じ星が見えているかもしれません。
そして、家康と志を同じくする忠勝と阿茶も同じような反応をします。忠勝は「まさに新しい世のまつりごと」と絶賛し、阿茶も「殿下に申し上げてみては」と微笑します。しかし、三成は「そのような恐れ多いこと」とうつむき、遠慮がちです。そんな三成に「夢で語っただけでは夢で終わりまするぞ」との家康の発破が良いですね。
家康は三成と違い、若い頃から自分の国を守るために、家臣と領民を守るために心を砕き、策を練り、武勇を振るい、多くの艱難辛苦を舐めてきた戦国大名です。その苦労と生き抜いてきた現実感覚があればこそ、三成の提案に期待をかけても、同時にその難しさも実感しています。だからこそ、夢で終わらせるのではなく、具体的かつ実行可能な形に仕上げ、行動に移すことが大切なのです。
さらに言えば、戦国の常識を覆さんとする夢はたとえ実行に移せたとしても成功するとは限りません。見通しの甘さと裏切りから自決に追い込まれた瀬名と信康、天下一統後の理想に邁進しながら家臣に討たれた信長など志半ばで倒れるのもよくあることです。だからこそ、慎重に大胆に行動してほしいと家康は願うのです。そんな家康のこれまでの体験から来る言葉は重く、三成に深く刺さります。中盤の三成の秀吉への進言は、家康の助言があればこそです。
(3)豊臣政権の凋落を悟る左衛門尉の言葉
オープニング後は、隠居した酒井左衛門尉忠次の隠居先を訪れる家康、秀忠、直政(ついに彼もヒゲが)の三人の様子からです。今回、成人してからは初登場となる秀忠は、顔が画面に映らないときから「父上、うろおぼえながらこのような動きではなかったかと…」と海老すくいの踊りの話をしています。呑気な話をして、踊る真似をしている秀忠に家康も直政も微笑ましく苦笑いするばかりです。
この緊張感のあまりない大らかさと朗らかさが、彼の持ち味なのだということ、そして、於愛の息子だと感じさせますね(真っ直ぐ育ったのは、その後の阿茶の養育の功績も大きいでしょう)。
眼病を患い、ほとんど目の見えない左衛門尉は、妻の登与のサポートを受けながら現れますが、この夫婦は不思議と二人でいることがとても自然に見えますね。眼病を患ったから介護しているのではなく、登与が長年、こうして夫を支えてきたのだとわかります。このあたりは、これまでの劇中で積み上げた二人の関係性だけでなく、登与を演じている猫背椿さんの自然体の演技によるとことも大きいですね。
早速、「武勇は聞こえておるぞ」と冗談交じりに褒める左衛門尉に、直政も「井伊の赤鬼でござる」と冗談めかしますが、こうしたちょっとした会話に外様だった直政が左衛門尉らに見守られながら、仲間となっていった歳月を感じさせます。
そして、忠次は、秀忠がお市の末娘、お江を秀吉たっての希望で妻として迎え祝言をあげたことに祝いの言葉を述べ、そしてようやく画面に顔を現した秀忠に近寄ると「天から源頼朝公が舞い降りたようだで」と誉めそやします。この台詞が可笑しいのは、彼が成人した家康に初めて会ったときの台詞とまったく同じだからです。そんなお為ごかしがわかる登与が左衛門尉を「また調子のよいことを、ほとんど見えとらんのに」笑って嗜め、それに「麗しいものは見えるんじゃ」ふざけて返す二人のやり取りに長年の阿吽の呼吸、そして隠居後の暮らしも悪くないことも伝わります。
ですから、秀忠に請われた本家本元の海老すくいも夫唱婦随の堂に入ったもの。喜ぶ秀忠は直政も、最後には家康も巻き込んで、総出で踊ります。
景気のよい左衛門尉の海老すくいですが、常に良い状況のときばかりに振る舞われたわけではありません。緊張を和らげるため、交渉の一興として、出陣の哀しみを忘れるため、皆を慰めるため、勝鬨をあげるかわりとして、徳川家の苦楽と共にあった海老すくいは、家中の絆を象徴する宝であったと言えるでしょう。
その海老すくいが、今、朗らかな二代目秀忠に受け継がれ、次の世代へ引き継がれました。男女も問わず、身分の上下も問わず、親子も問わず躍る家康たちの姿は、生き生きとしていますね。家康たちの目指す世界であり、今の徳川家の充実が見えます。前回、秀吉が家康を羨ましがったものがそこにはあるのです。
当然ながら、それは今の豊臣家にはないものです。秀吉に老いと死が忍び寄り、そんな彼を恐れる者、恨む者、心配する者…そして茶々のように野心を巡らせる者と負の感情が渦巻いています。今回。もっともユーモア溢れるシーンは、徳川家と豊臣家の対比にもなっているのですね。
さて、皆が下がり、二人きりとなった家康は左衛門尉と茶を一服しているようです。一転してシリアスになった左衛門尉は「唐入りはどうなりましょう。これで片づくとお思いですかな?」と家康に問います。直政の活躍を聞いているという話からもわかるように隠居生活をしていても、彼は情報収集に余念がない。だから、唐入りの状況もよく知っているのです。
また、秀忠は気立てのよい女性を得たと喜んでいたお江との婚姻についても、左衛門尉は「豊臣と徳川をつなぐのに必死」と家康に頼りきりの秀吉を揶揄しています。つまり、彼は唐入りとこの婚姻から、秀吉に往年の力はなく、豊臣政権の凋落を感じ取っているのです。「これで片づくとお思いですかな?」の言葉は、この先、天下は必ず乱れるという確信を抱いているからこその台詞です。
左衛門尉の意がわからないわけではない家康は「かつて信長さまが言っておった…安寧な世を治めるのは乱世を静めるよりはるかに難しい」と答えます。自分の思いは「戦無き世」を作るために使いたいという意思の表れです。安土城でのあの二人だけの決闘(第27回)をこうして家臣に話せるようになったところに、あれからの長い年月と家康があの対決を実感として昇華できている彼の成長が伝わりますね。それに「ああまさに…」と左衛門尉が応じたのは、信長の言葉に対してだけではなく、それを理解している家康の思いに対してのものでもあります。
家康が真の意味で「戦無き世」を理解し進もうとしている…ずっと見守ってきた家康の成長を直に感じたからこそ左衛門尉は、茶を入れる家康ににじり寄り背中から抱きしめるのです。そこには「ここまでよくぞ成長なさった」という宿老だけが感じる万感の思いがあるのではないでしょうか。
急な態度に「なんじゃ」「やめよ」と照れる家康に左衛門尉は「ここまでよう堪え忍ばれましたな…辛いこと、苦しいこと、よくぞ乗り越えて参られた」と真っ直ぐに褒めます。対する家康は素直に「お主がおらねばとっくに滅んでおるわ」と笑います。
しかし、抱擁をといた左衛門尉は静かに「それは違いますぞ。殿が数多の困難なことを辛抱強く堪えたから…我ら徳川は生き延びられたのです」と長年の労苦を労わります。この家康のおかげで生き延びられたという彼の言葉は、第37回で小田原での三河家臣団解体のときの、家臣たちが口々にした家康への感謝の言葉と響き合っています。第37回のnote記事で、彼らが「次に会うのは江戸」「心は一つじゃ!」と別れの盃をかわしたとき、左衛門尉も数正も思いは同じだと読み解きましたが、やはりそうであったことが確認されましたね。
さらに言えば、宿老である彼が家康を労うことは、彼と共に家康を支えてきたもう一人の宿老、数正の思いも引き継いでいるでしょう。数正は、これより先年、既に名護屋の陣中にてその生涯を閉じています。数正もきっと今の家康を見たら褒めるはずなのです。長年の盟友である数正の分もそこに含まれているのではないでしょうか。
それにしても、家臣たちは総じて、家康の忍耐強さを褒めていますが、実は結果論ですね。なんと言っても泣き虫弱虫洟垂れですし、結構、短気で感情的になることも多々ありましたから。それでもその結果を賞賛した。もしかすると、後世の創作とされる「東照宮御遺訓」にある「人の一生は重荷を負うて遠き道を行くがごとし」は、家臣たちが結果として家康の忍耐を顕彰しているうちに家康の言葉のごとく遺されたのかもしれませんね(笑)
さて、左衛門尉がここで労いをかけたのは、これを今生の別れと思う感傷だけではありません。佇まいを正すと改めて「殿、一つだけ願いを言い残してもようございますか」と切り出し、「天下をお取りなされ」と、自分の思う世をつくるその時が来たことを後押しします。人を見捨てられない家康の優しさも心得ている彼は「秀吉を見限って殿がおやりなされ」と添え、言外に秀吉の凋落によって世が乱れる以上、彼が最も大切に思う家臣と領民のために動くべきであると諭します。
見えないはずの目で家康を真正面から見据える左衛門尉の済んだ瞳…それをじっと見でその真意を確認しながら、家康はそっと目を逸らすと「天下人など嫌われるばかりじゃ」と自分は器ではないと答えてしまいます。
そのストイックさと苛烈さで孤独になり家臣に裏切られ死んだ信長、溢れる才覚で天下一統を成したがその際限のない欲望で身を滅ぼさんとする秀吉…そして、周りに利用されつくし、天下人の孤独と宿命を説いた元将軍、義昭…三人を間近に見てきた家康だからこそ、天下人になることへの恐れだけがあります。
果たして、自分は権力に溺れないだろうか、孤独に耐えられるだろうか。諫言に耳を傾けられるだろうか、誘惑に勝てるだろうか…弱虫泣き虫洟垂れの家康には自信がありません。一方で、ここに来てなお、権力を欲せず、野心に身を焦がすこともしない家康のある種の無欲は、逆に天下人に向いているのです。
ともあれ、この家康の自信の無さに左衛門尉がどう答え、遺言としたかは、今回のラストまでお預けです。
それから、3ヶ月後、登与が「旦那さま」と呼び続けると、庭で左衛門尉は具足を着こんでいます。思わず、どうしたかと声をかけると「殿から出陣の陣ぶれがあったんじゃ…参らねば」と左衛門尉。もう目の見えず、老齢の彼に槍働きができようはずがありません。ですから、家康からの出陣の要請が来ていないでしょう。おそらくは、夢でも見たか、彼の願望から来た妄想なのです。
しかし、登与は、出陣のとき、いつもそうであったように「お手伝いしましょう」と優しく見守るように微笑むと、具足の組紐を結び、きつくしめ直します。この後、「ちいとお待ちください」と傍らのたすきを取った登与が、老いた左衛門尉を後ろから抱きしめるようにしながらたすき掛けしてやるシーンがぐっと来ますね。
出陣のたびにいつもこうやって、死ぬかもしれない彼の身体を全身で確かめてきたに違いありません。その万感には、彼の無事をただただ願う深い愛情を感じざるを得ません。
ようやく、結び終えてみると左衛門尉は具足を身に着け座り込んだまま、既に逝っていました。本作の左衛門尉は、年長者としての立場とムードメーカーに隠れていましたが、設楽原では自ら奇襲攻撃へと出陣し、小牧長久手でも「この辺りがちょうどよい死に場所と心得ます」と皆を押し止めて夜襲をかけていました。つまり、実は猪突猛進な平八郎や直政に負けないほどに戦場を死に場所と心得る武闘派だったのです。だから対照的な数正とは馬が合ったのかもしれません。ですから、家康からの陣触れを信じ。意気揚々と具足を着け逝けたのは武士の本懐だったと思われます。
そんな夫の大往生に登与は居住まいを正すと「ご苦労様でございました」と静かに見送ります。このとき、カメラは雪の庭に佇む二人を、縁側をナメながらロングショットで捉えています。このショットで、夫の死を覚悟しながら笑顔で戦場へ送り出し続けた彼女もまた、その辛く哀しい役目から解放された瞬間を切り取っています。登与の哀しみと安堵の万感が画面に凝縮されていますね。
こうして、左衛門尉は家康を信じて、彼に全てを託し、彼の背中を押して、徳川家宿老としての人生を全うします。後悔なき人生を象徴していますが、彼のありようはそれ以前に亡くなっている大久保忠世、そして彼の後、世を去った服部半蔵も左衛門尉と同様の思いだったはず。そして、そういう人生にしてくれたのは、家康なのです。
2.家康の覚悟と茶々の復讐が両家の未来を照らすとき
(1)乱世を呼ぶ二度目の朝鮮出兵
遂に和睦交渉の実態が嘘で塗り固めたものであることが秀吉に露見しました。激昂する秀吉は、二度目の朝鮮出兵を即断します。三成は慌てますが、後の祭りです。わざわざ、三成の反応が挿入されるのは、秀吉を全く止められない彼の無力感を見せるためでしょう。この無力感は、彼の合議制への思いを確かにしていくと思われます。
当然、難色を示す家康は秀吉を諫めるために直談判をします。脇に三成が控えているところを見ると、おそらく三成が家康に泣きついたと思われます。すると、秀吉は「内府、これは賭けじゃ」と意外なことを言い出します。因みに内府というのは、この前年に家康は内大臣に任じられたためです。推挙したのは秀吉ですから、彼が家康をつなぎとめようとしている内心の焦り、あるいは内心の依存度が上がっていると見てよいでしょう。
話を戻しますが、彼は先の戦、文禄の役であれだけの損害を受けながら何の成果もあげられていないことを問題にしています。文禄の役の実態は日本側がたまらず明に和議を申し込んだという事実上の負け戦なのですが、国内的にはそれでは太閤秀吉の威信に傷がつきます。それは、そのまま政権の揺らぎとなり、幼い秀頼の将来を暗転させます。先の和議七ヶ条が、確実な成果をみせることで、秀頼のために政権の安泰をはかることが目的でした。ですから、その和議の失敗を埋めるには戦による成果しかない…秀吉の理屈は狂っていますが、シンプルです。
そして、何かを得るためには敵地に深く入ることも必要だと嘯きます。金ヶ崎がそうであったように、かつての秀吉は危険に自ら飛び込んで手柄を得ようとしたものです。数々の博打的な奇策で手柄を得て、出世してきた秀吉の戦国大名としての本懐のごとき台詞ですが、家康は「あまりにも危うい賭け」と危ぶみます。
織田家中の頃の秀吉が博打を打ったのは、自分しか賭けるものがないという切羽詰まった状況だったからです。賭けても失うのは、自分と彼に従うわずかな手勢だけです。しかし、今の彼は太閤。彼がオールインするのは、日ノ本全土とその民なのです。負けた結果は乱世が待っています。家康の危惧はまともな判断というしかないでしょう。逆に秀吉は天秤に測るものが何かをきちんとわかっているのでしょうか。三成は脇でヒヤヒヤしながら二人のやり取りを見ています。
それでも戦の意思を曲げない秀吉に業を煮やした家康は「我が兵は出しませぬぞ」と伝家の宝刀を抜きます。これは反逆とも受け取られかねない命がけの諫言です。彼なりの誠意と覚悟が感じられますが、秀吉は怒りもしなければ、罰する命も下しもせず、ただ「勝手にせい」と投げやりに一蹴します。裏の裏まで読んで策を練る深謀遠慮を旨とする秀吉とは思えない雑な対応は、彼が既に往年の力を失っていることを意味しています。
それを自覚しているのか自覚していないのか、秀吉は家康のもとまで近寄ると、かつて小牧長久手の戦で負けたことを引き合いに出しながら、武力で勝たなくても戦に勝つことはできることを伝え、自身の頭を指さしながら「無限に策が詰まっとる。わしにまかしときゃええがや」と薄ら笑いを浮かべます。こう絶対の自信を自負されては、かつての敗北者家康は引き下がるよりありません。
たしかに秀吉は権謀術数、小牧長久手を除けば百戦錬磨の知恵者です。一方で、それをひけらかすことは要所要所でしかせず、その策は大胆であっても細心の注意を払う人間でした。しかし、今の彼の言動からは、彼は過去の栄光にすがる老人にしか見えません。
渡海し出陣する諸将に秀吉が命じたのは、老若男女問わず皆殺しにするという恫喝のみでした。こうして、慶長の役が始まります。文禄の役の時点で、既に秀吉と日本の将兵たちは十二分に恨みを買っています。明との和議には参加を許されなかった朝鮮は日本との徹底抗戦を唱えていましたぐらいです。朝鮮の民たちの悪感情も考慮に入れず、文禄の役以上の力任せの殲滅と制圧は、長期的に考えて愚策であるのは一目瞭然でしょう。そこには、制圧後の統治がまったく考えられていないからです。何も言えず、ただうつむく三成の表情に、この戦の先行きの暗さが象徴的に表れています。
秀吉の命を実行した遠征軍からは、首級のかわりに「耳と鼻」をつめた樽がおびただしい数が届き、戦の凄惨さと現地での残虐行為が窺われます。それを日本国内で見届ける秀忠は顔曇らせます。そんな彼に正信が、日ノ本という国の現状を「戦は外だけではございません。国の内も外もめちゃくちゃ…着々と乱世に逆戻りしております」と端的にそれでいて辛辣に言い当てます。
阿茶といい、正信といい、家康のブレーンたちは状況を冷静に見極め、その物言いに遠慮がありませんね。それだけ信頼できるのですが、場の空気を見て発言する阿茶に比べると、正信の言いようには嫌味が混じっていますね。それは、秀忠に説明しているようで、家康に「殿、これでいいのか?」という揶揄と問いかけがあるからでしょう。流石と言えば、流石です(笑)
それがわかるからこそ家康は「やめよ、正信」と止めますが、「策は無限にある…殿下はそう申しておいでだ。それを信じるのみじゃ」と無責任な返し方しかできません。正信はとりあえず押し黙り、家康はその場を去ろうとしますが、一度だけ立ち止まり思案気な顔をするのは、正信の言うことが正しいからです。しかし、現状は打つ手がありません。もしかすると何となく、三成の合議制への思いがよぎったかもしれません。
(2)三成の「新しき政」の臨界点~理想と現実の狭間~
戦乱にある朝鮮は勿論、その戦役の余波で荒れる日本国内…その状況が悪化するばかりで秀吉の暴走を止められないまま時間は過ぎていきます。そんな中、秀吉は倒れます。寧々以下、一同が慌てる中、茶々だけが卒倒した秀吉を冷ややかに眺めているのが印象的ですね。その冷淡さと冷静さは、ついに来るべきときが来たという確信があるようです。
ともあれ、呼び出された三成は、寧々から「殿下は遺言を作るつもりでな。そなたの意見を聞きたいと」と声をかけられます。秀吉逝去などあってはならぬこととやや逡巡した表情をするところに三成の秀吉個人への敬愛が見えます。だからこそ、秀吉はその点を信頼して、呼び寄せたのでしょう。
秀吉は率直に「秀頼はあまりに幼い…誰じゃ?誰が天下人になる?」と問います。この言葉からは、秀吉は自分の死後、天下は乱れると読んでいるのがわかります。嫡男秀頼への思いの強さから圧政を敷き、諸将や民を苦しめる秀吉ですが、それは裏を返せば、国内情勢を冷静に分析し危ういと判断しているからです。案外、老人の朦朧が厄介なのは、全てがボケているわけではないところかもしれません。
この問いに三成は、さまざまなレベルで家康が浮かんだはずです。冷静に考えれば、ナンバー2の実力者は名実共に家康ですから、彼が次の天下人と見えるはずです。一方で、家康は三成にとっては信頼に足るべき人物です。また自分の語る「新しき政」を夢で終わらせてはいけないと助言してくれたその言葉も蘇ったことでしょう。
そして、目の前にいる弱った秀吉を見れば、彼の死後への不安を取り除かねばならないこともわかります。それらをより合わせていけば、三成が今こそ自分の考える「新しき政」を提案すべき時が来たのだとの決意に至るのは自然なことでしょう。
ですから「天下人は無用と存じまする」と、秀吉の死後を案ずる必要がないと彼を安心させる言葉から、豊臣を守る者の合議制の必要性を説きます。三成が家康らに夢を語ったときの「志がある者」とは「豊臣を守る者」であることが窺えます。三成は、秀吉恩顧の家臣ですから仕方がないのですが、ここが彼の限界であり、家康と同じ星を見られない決定的な誤差となるのです。家康ならば民のために最適なシステムとして次の天下人を据え、そこに合議制を敷くでしょう。しかし、三成は、どんなに民からの支持を失おうと豊臣家の存続が第一義で大前提にあります。
この三成の進言に秀吉は「わしも同じ考えよ。望みは一重に世の安寧、民の幸せよ。治部、よい、やってみい」と許可を与えます。脇の寧々もうなずきます。この言葉に三成は感激の表情を浮かべ、平伏します。その暴政に心を痛めていた三成からずれば、「世の安寧、民の幸せ」が大切と答え、自分に同意してくれたことは、秀吉はやはり英明な君主であったと実感するに等しい出来事であったに違いありません。だから、理想に燃え、誠心誠意、その務めを果たそうとするでしょう。
しかし、三成が去り、憑き物落ちた顔をした秀吉は一見満足そうに見えるのですが、その後、カメラはそんな彼を後方から煽り気味に捉え、彼の底にある本心を視聴者に悟らせません。秀吉の冴えた頭脳が、三成の理想論にすがるだろうかという疑問を持たせるのです。
秀吉は「誰が天下人になる?」と問いました。それに対して三成は秀頼とも家康とも答えませんでした。これは、三成が無意識に秀頼が天下人になれないと感じていることを示しています。一方で、三成ほどの知恵者が家康を思い浮かべないはずがないのです。それでも、家康をあげなかったのは、「新しき政」とそれに賛同してくれる家康という自分の夢と家康への信頼に、心奪われたからです。そして、秀吉の不安を取り除くため、不安になる言葉を無意識に避けたのでしょう。それが「天下人は無用」との言葉になったのです。
なるほど、三成は秀吉と豊臣家の忠臣です。その点は信頼できます。しかし、将来のありようを正確にわかるにもかかわらず、自分の理想と忠義から目をつむってしまう夢想家です。また忠義から主君を慮り、隠し事や嘘もついてしまいます。
対して、以前のnote記事でも触れていますが、秀吉は徹底的に現実主義のエゴイストです、だからこそ、自分の欲望を叶えられたのです。そんな現実主義の彼からすれば、三成は甘いことを言うだけの不忠者になってしまいかねない人間。信用し切るには不十分なのです。
ただ、一方で三成の語る理想が実現できるならば、秀頼は間違いなく救われます。その忠誠心ゆえに全力で秀頼を守りもするでしょう。だから、それを否定せずに進めるように言ったのです。無理だと思っていても、三成の夢に一縷の望みを託し、それを保険にせざるを得ない、そこが秀吉の胸中の複雑なところではないでしょうか。
それでは、三成は秀吉にどう答えるべきだったのでしょうか。正直に、家康が危険であることを答え、秀頼を守るために合議制を敷き、前田利家以下、諸将によって家康を抑え込む。場合によっては、滅ぼすことで天下の安寧を図る。そこまで言っていれば、多少は信頼が得られたでしょう。とはいえ、こう考えてみると、放心している秀吉は、この三成との対面で彼の夢想に多少の期待を抱きつつも、本心では自分のその後は家康以外ないと確信してしまったのかもしれませんね。
そうとは知らない三成は喜び勇んで、協力を取り付けようと豊臣政権の柱石である家康と前田利家のもとへ参上します。二人は丁度、酒を酌み交わしているところ、三成の話に「殿下がそんなことを」と家康は少し安堵します。野心を隠し持つ者を押さえることが肝要だと助言する利家に、三成は家康と利家にそうした大名をまとめあげることを依頼し、そして後の実務は三成以下、奉行に任せてほしいとします。平伏する三成に家康は盃を差し出し「無論、引き受けますぞ」と快諾します。
ようやく家康と手を携える「新しき政」ができると三成は期待に顔をほころばせます。利家も安堵したように「あの何でも欲しがる藤吉郎が最後に願うは…民の安寧とはな…」と感慨深げに語ります。藤吉郎呼びに、利家のほうは秀吉を旧友として気にかけていたことが窺えますね。
さて、こうして出来上がったのが、有名な五大老・五奉行制です。秀吉が秀頼を支えるために晩年に敷いたとされる合議制を、三成の理想からくるものとして瀬名の慈愛の国構想とも引っかけながら、出したのが興味深いですね。秀吉は世襲の家臣団を持っていませんでした。そのため、豊臣政権は、自らが領国を有する大名でもある年寄が、奉行として複数の政務を行うという形態でした。
したがって、五大老・五奉行制は、それぞれ独立した政務集団に属した奉行が合議を行うことで、天下人のいかんにかかわらず政務が滞りなく行えるようにするには有効な手段となったのです。因みに五大老は、五奉行の上にいたのでなく、三成ら五奉行の実務に対して回覧、決済を与えるためにいたと言われています。ボトムアップ型の意思決定も有していたのが面白いところです。
おそらく、江戸幕府の老中制や三奉行といった機構にも影響を与えたと思われます。そう考えると、本作では、家康が三成の理想を聞き、その失敗を見たことが後の家康の政に活かされたということになりそうです。もっとも、三成の理想を逆手にとって合議制を崩壊させるのは家康ですが。それも秀吉が家康だけ突出した身分、内府にしていたことが大きな要因です。あ、となると、三成の夢を砕いたのは家康と秀吉の二人ということになりますね…哀れ、三成…(苦笑)
(3)家康へ天下を放り投げた秀吉の信頼感
秀吉の体調は悪化の一途をたどり、いよいよ危なくなったそのとき、家康は呼び出されます。出迎えた寧々は、神妙な面持ちで「どうしても内府殿とお話したいと」と秀吉のたっての願いであることを添えます。忌憚なく話せるよう、二人だけにするなど寧々の行き届いた配慮は、秀吉に対する思いと家康への信頼の両方が窺えます。
西洋椅子に座ってはいるものの力ない秀吉の最初の一言は「秀頼を頼む」です。自身の死を前提とした言葉に、家康は「弱気になってはいけません」と伏し目がちに返しますが、なおも「秀頼を…」と言い募るため、「無論、秀頼さまはお守りいたします」と半ば仕方なく答えます。少しは信頼しろという気分が家康にはありそうです。更に家康の孫、千姫を秀頼を嫁がせるよう願い、それも家康は素直に了承します。左衛門尉が考えたとおり、徳川家とのつながりに必死の秀吉の様子には、その終わりが見えています。
欲望のままに生き、全てを食らい尽くそうとした男の余りの凋落ぶりが情けない家康は焦れて「しかしその前に殿下にはまだまだやってもらわねばならぬことが!」と切り出しますが、秀吉はなおも「秀頼はな…」と重ねます。ボケたようでもあり、家康を挑発しているようないなしにも見える秀吉を前に、「殿下、この戦をどうなさるおつもりか。世の安寧、民の幸せを願うなら最後まで天下人の役目を全うされよ」と三成へ述べた言葉を意識した諫言をします。家康の表情には静かな怒りが読み取れますが、それを抑えていますね。
その自制心に、秀吉の「わしを見捨てるな」に誠実に応えようとする家康の真心が見えるのですが、当の秀吉は嘲笑うように「そんなもん、嘘じゃ…世の安寧など知ったことか」と放言を始めます。目を剝く家康に「天下のことなどどうでもええ…秀頼さえ幸せでいてくれれば、暮らしていけれざそれでええ」とひたすらに懇願すると椅子から立ちあがり、家康に歩み寄ります。ふらふらとおぼつかない足取りでひでぇことはせんといて…どんな形でもええ」ととにかく秀頼の行末だけを案じながら家康に倒れ掛かります。抱きかかえる家康は、その無様さに呆れ果てつつも、なおも秀吉を支えるため「情けない…これではただの老人ではないか!」と叱咤します。
ここで秀吉が、どんな天下人であったかを確認してみましょう。
秀吉は、自分の欲望のまま天下を操り、自分の満足する形で人々が幸せになる世を作ろうとしました。それは自己本位の極みですが、それでもそれによって天下をまとめ、経済的な豊かさを実現してきたのも事実です。そして、その夢はまだこれから、だとすれば、その愉しみを手放すことは望むとことではありません。また、彼は誰よりも優秀との自負がありますから、なおさら誰も信用できません。先の三成の合議制を信じ切れないのも、自身の優秀さを頼む性質にその一因があるでしょう。
ただ、その心は埋まることがありませんでした。しかし、秀頼が「余の全て」となったあの瞬間から、秀頼のために天下があり、世の安寧もあるように優先順位が変わったのです。死が迫る中、多くの欲望が削げ、秀頼だけが残っている状態となったように思えます。
無論、秀頼のためを思えば、天下も世の安寧も大切です。それが間違った方向へ向かったのが、慶長の役です。それは今や目に見えた失策となっていますが、病み衰えた今の彼にはそれをどうかできる力はありません。今こそ、辣腕を振るい修正し、秀頼のための世を安定させるべきで、往年の秀吉ならば、それを愉しみながらやったでしょう。
しかし、天下人なのにそれができないのが今の秀吉です。できない理由は、彼が老いて病んでいるからだけではありません。もしも、彼の側に信頼できる者、慕う者、正直な者が多くいれば、彼は寝ていても事が上手く進められたでしょう。天下人の万能感に酔い。全てを自分のものにしたがゆえに、自分でやるしかなくなった。言い換えるなら、秀吉は今になって、孤独な天下人の無力を思い知ったのです。それが天下人秀吉の因果応報なのです。
ですから、彼の「天下のことなどどうでもええ」は、秀頼が全てという単純な意味だけではなく、迫りくる死を前にしながら、秀頼のために何もできない天下人たる自分への絶望と自暴自棄があるのです。その絶望と自棄が彼の享楽的な性格を通すと、弱気な本音と家康をどこまでも試そうという挑発が入り混じる複雑な言動になるのですね。
彼の絶望感は「天下はどうせおめえに取られるんだろう」という、その次の言葉に象徴されています。現実主義の彼の明晰な頭脳は、確信として答えを出してしまえる、それがまた秀吉の苦悩を深めます。
あの日の「わしを見捨てるな」という本音を知る家康は、その言葉から彼の不安を察します。だから、彼を抱きかかえながら「そんなことはせん…わしは治部殿らの政を支える」となだめるように背中を叩きながら囁きます。「天下人など嫌われるだけじゃ」と言っていた家康ですから、この言葉に嘘はありません。そうできたら、家康自身も救われるからです。
しかし、そんな家康に真顔になった秀吉は抱きかけられながら「白兎が狸になったか」と揶揄します。秀吉が彼を最初に狸と呼ぶんですね(笑)ただ、これは家康の言葉とその裏にある本心を疑っているからではありません。彼は三成の合議制を支えるというその言葉に家康の甘えを感じ取ったからこその揶揄です。
だから、家康の甘えを潰すように「知恵出しあって話し合いで進めるそんなもん、うまくいくはずがねぇ」と断言の上で「おめえもよくわかっとるはずじゃ、この世は…今のこの世はそんなに甘くねぇ」と家康の経験に裏打ちされた冷静な思考に問いかけます。家康も秀吉も命がけで戦国の世を渡ってきた人間です。三成とは根本的に違い、残念ながらその思考は秀吉と同じ戦国大名のそれであり、その点で二人は多くを語らずとも通じ合います。
また家康は「甘い考え」によって妻子を失っています。秀吉は、その事実と抱えた苦悩を押し隠すさまを鷹狩で見ていますから、そのことも踏まえてよくわかっているはずと言うのですね。
ですから、家康は秀吉の問いに絶句するしかないのです。家康は、瀬名の理想が尊いものだと知りながらも、まだまだ遠い夢であることを痛いほど理解しています。彼女への思いを封印して、家康が現実と闘い続けるのは、いつか彼女の理想が叶うようそのための地盤づくりに専念するしかないからです。今すぐ実現可能なものではないことは、彼が一番しています。
家康が甘い考えなど無意味と気づいたところで「豊臣の天下はわし一代で終わりじゃ」と告げます。彼は、豊臣政権は秀吉という天才の才覚だけでもっていたこと、それゆえに続かないことを自覚しているのですね。そして、言外に「だから、家康、お前にくれてやる」と言っているのが憎らしいところ。
それが瞬時に理解した家康は「だから放り出すのか!」と激昂します。彼から譲られる天下は、朝鮮出兵によって、多くの人間を失い、経済的にも使うばかりで疲弊し、渡海した大名たちの領地は統治が緩み荒廃し、上から下と全てが秀吉を恨んでいます。「こんなにめちゃくちゃにして」今更、渡されても貧乏くじもいいところですから、家康が怒り出すのも当然です。そんな家康を見て面白がる秀吉は売り言葉に買い言葉「そうじゃ、なーんもかんも放り出してわしはくたばる、後はお前がどうにかせい」と投げやりに言うとヘラヘラと笑い出し、家康を傲岸に見下ろすようにします。
自分にむけての「くたばる」は自虐が感じられますし、また、「どうにかせい」には、天下を家康にくれてやる悔しさもありながら後はお前にしか頼めないという願いもあります。その複雑な胸中を素直に伝えるではなく、猿芝居に押し隠してしまいます。特に家康に対しては、出会った当初からずっと小馬鹿にしからかいまくってきましたから尚更です。そして、誰にも本心を悟らせないのが、彼の習い性と哀しい性です。
哄笑する秀吉ですが、突如、苦しげに咳き込み床に付してしまいます。しかし。彼を憎々し気に見ていた家康は「死なさんぞ!まだ死なさんぞ!秀吉!秀吉!」と絶叫します。こんなところで、この世の全てを無責任に放り投げられては、苦しめられた民たちはどうなるというのか、そのことが頭にありますから、家康は必至です。しかし、絶え絶えになったかと見えた途端…ぐったりとなります。
一瞬、呆然とした家康ですが、わずかな息遣いから死んだふりと気づきますが、真剣に世を憂い、秀吉との約束を守ろうとする家康は「猿芝居か!」と呆れかえります。このとき、家康が、怒りを通り越して哀しい表情になるのが良いですね。本気で彼を心配していた証拠です…ですから泣きそうな顔で「大嫌いじゃ」と言い放ちます。若いころならいざ知らず、還暦間近の人間が大人げない言い合いの揚句に「大嫌いじゃ」と子どものような発言をすることは、あまりないでしょう。こうしたところに、幼少期から変わらぬ家康の素直な性格、そして人徳があるように思われます。
そして、そんな家康に対する秀吉の答えは「わしは、おみゃあさんが好きだったに」と、家康にとっては意外な言葉でした。この対面では、本音は多分に混ざっていますが、どこまでも家康を試す猿芝居でした。歳を重ね、腹芸もできる程度の老獪さを身に着けた家康ですが、戯れとなれば、人心掌握の天才、秀吉の業に及ぶものではないでしょう。まんまと引っかけられ、彼は元来の素直な性格を引き出されてしまったのです。
一方で秀吉は、家康が天下人になるのは仕方がないにせよ、彼が信頼できすか、秀頼を一大名として託せるかを知りたいのは親心。それは口約束や千姫の縁談だけでは測れません。ですから、徹底的に彼を茶化し、怒らせその心底、本音を見たかったのでしょう。勿論、享楽的な秀吉です。これまでも十二分に翻弄して、弄んだ家康という玩具。最期にもう一度、思いっきり戯れてみたかったというのもありそうですが。彼にとって家康だけが本音を織り交ぜた戯れができた相手だとすれば、彼の孤独がより引き立ちますね。
どちらにせよ「大嫌いじゃ」という本気の言葉にある、家康のさまざまな思いを見て取った秀吉は、家康がその真面目で優しい本性が若い頃から変わっていないことに安心し「好きだったに」と応じたのです。思えば、金ヶ崎で秀吉に真剣に腹を立て「クズじゃな」と言ったのも家康です。恐れでも嘲りでもなく、本音を隠すことができない家康は興味深かったことでしょう。
それは、秀吉に対してだけでなく、信長に対しても同様です。金ヶ崎、長篠など、後先考えずに信長に喧嘩を売って、信長を涙目にさせたり、面白がらせたりしてしまっていました。
秀吉には絶対できない、その裏表の無さが醸し出す人徳は羨ましくもあり、またどうにも惹かれてしまう部分だったのでしょう。だから、常に全ての本心を押し隠す秀吉が、家康だけにはその妬みと羨望をあまり隠さずに嫌味なことを言っていたのです。
秀吉自身が、家康の人徳がわかるからこそ、信長が彼を特にかわいがり育てていたその思いの強さも知っていました。だから、起き上がりながら「信長さまはご自身の後を引き継ぐのは、おめえさんだとそう思っとったと思われる」と、自分は後継者などではなかったと伝えます。「悔しいがな…」と自嘲気味に添えた言葉には、最後まで家康に人間性で勝てなかったとの彼の弱きが見えます。このとき、初めて真正面から家康の顔を見据えており。真顔でも無表情とは違い、目も虚ろではなく、ひたすら穏やかです。自分の弱さを受け入れたのかもしれません。
そんな秀吉の眼差しに少し驚いた表情した家康は、一寸、うつむいて思案気な顔をした後、佇まいを正し、秀吉ときちんと向き合います。そして、「天下を引き継いだのはそなたである」と淡々と事実を告げ、一呼吸おき再度、秀吉を見据えると万感の思いを込め「まことに見事であった」と心からの敬意と賞賛を送ります。まともに戦った家康だからこそ、彼の真価を見定め、軍門に降ってからは忠実に仕え、多くを学んだのです。性格的な相性は最悪でも、その才覚は感服するよりなかったのです。家康は左衛門尉に天下人になりたくないような発言をしたのも、秀吉の才能を認めていたからでしょう。
思わぬ好敵手の誉め言葉に虚を突かれたのは秀吉です。常に心理戦で優位に立ち続けた彼が、相手から虚を突かれることはあまりなかったでしょう。虚を突かれたのは、彼が得られることはないと思っていた、天下人となって頑張ってきた自分を賞賛する言葉だからです。そこには、家臣たちからの言葉にある阿りはまったくありません。
思わず「ふー」と息をつき、その目にはうっすらと涙が浮かんでいます。この喜びたいけど、不慣れで喜ぶ表情を作れず、戸惑い、逡巡してしまう…でも無表情という絶妙な演技をするムロ・ツヨシさんの演技は絶品です。この秀吉役の総決算とも言えるのではないでしょうか。
これは想像ですが、大政所、仲に言われたかったことの一つは、「天下人なんて偉いさんになって、どえりゃあ頑張ったに」という誉め言葉だったのではないでしょうか。お叱りの言葉は、寧々が代わって言ってくれましたが、反対の言葉は結果的に家康が言ってくれました気がします。
もう思い残すことはありません。秀吉は「すまぬ、うまくやりなされや」と心からの謝罪と励ましの言葉を伝えます。彼の本心からの励ましは最初で最後です。余計な助言をしないのは、家康はその人徳で自分には持ってないものを持っているからです。それを使って、彼が彼の思う天下を築き、世の安寧を導けばよいからです。秀吉なりの信頼がそこにはあります。
秀吉の思いを受け、家康もまた「二度と戦乱の世には戻さん。後は任せよ」と力強く答えます。そんな家康に、すっと背筋が伸びて安堵の笑みを浮かべる秀吉がまたよいですね。今生の別れに相応しい姿です。そして、鈴を鳴らし「おけぇりだ」と外に控えている寧々に声をかけます。家康はドシドシと大股で去っていきますが、今生の別れとなる子の対面に去来したさまざまな思いを振り切り覚悟を決めようとするそんな決意が見えますね。
そして、控えていた寧々と秀吉の目線が合います。秀吉の頷きに頷きだけを返す寧々。言葉はなくとも「後は任せた」「心得ております」が聞えるようです。彼女だけは、この一連のやり取りを外で聞いていたのでしょう。天下を家康に預ける秀吉の覚悟を受け、そしてそれが速やかに行えるよう彼女もサポートをするということかもしれません。
彼女自身も義妹旭の心を救い、今また晩年迷走し続けた夫秀吉の心も引き取ってくれた家康には感謝しかなく、その信頼も深まったと察せられます。だから、彼女が秀吉の代わりにその天下を見届けるのです。子をなすことがなかった秀吉と寧々は、志を同じくする同志としての思いのが強かったのかもしれませんね。
そう考えると、前回の「この世の誰よりも才があると信じたんだわ。だから、あんたさんと生きる決意をしたんだわ」という台詞も腑に落ちます。彼女は、今後も世の安寧に一役買う人材として登場するかもしれません。オープニングのクレジットが最後であるのもそうした意味があるかもと思われますね。
(3)天下を狙う家康と茶々
最後は断末魔の秀吉です。苦し気に咳き込み、吐血する秀吉を、茶々は冷淡な表情で見ています。最期のときを静かに待っています。そして、苦しさから呼び鈴に手を伸ばす秀吉の前で、鈴をどかします。手はくださないが、とどめを刺そうという意思には強い恨みが感じられますね。
そして、血まみれの秀吉の顔を抱えると「秀頼はあなたの子だとお思い?」と妖艶な笑みを称えます。何もできない秀吉の返事などは期待せず、ゆっくり首を振った彼女は「秀頼はこの私の子、天下はわたさん!」と言い放ちます。この台詞に不穏な曲が重なります。豊臣家を覆う暗雲は秀吉の死だけではないことを象徴していますね。そして、茶々は「後は私に任せよ猿」と、してやったりの表情を浮かべます。前回の家康の「猿」には敢えてそう呼んだ叱咤の感情でしたが、茶々のそれは蔑みと嘲りしかありません。
このことから「天下はわたさん」の台詞は、彼女自身の思いだけではなく、あの日、炎の中に消えた母、お市の無念を引き受けての言葉、母になり代わって、実父浅井長政と母を殺した男に復讐を遂げたのです。おそらく、北ノ庄城が落ちたときから、いつか言おうとずっと温めてきた言葉なのでしょう。茶々の怒りに震えるような表情には蓄積された年月が感じられます。その一念を笑顔の下に忍ばせてきた思いの強さはそら恐ろしいものがあります。
ただ、気高いお市ならば、こういう物言いはしなかったでしょう。そう考えると、織田家の気高い魂を、自らの母を奪われ、側室に甘んじた宿命に対する鬱屈した気持ちと重ねることで怨念へとし燃やし続けていると思われます。最初は単に忘れないようにしていたでしょうが、それはいつの間にか彼女自身を縛る負の呪縛となっているかもしれません。
というのも、その直後、秀吉が亡くなったことを実感した瞬間、彼女は我に返ったように秀吉を「あ…あ…」と言葉にならない言葉を発して、抱きすくめるからです。これを本当は秀吉への愛情もあったからと考える方は多くいるでしょう。しかし、もう少し複雑な気もします。長年、共に過ごし、よくしてくれたことから生じた情はあるでしょう。
一方で、その事実は、彼女の今の立場も身分も全て秀吉の庇護あってのものだからです。したがって、秀吉が逝った瞬間から彼女は立って寄るべき現実面の支えを失ったのです。今後は自身の才覚だけで、秀頼と自分の天下を担保していかねばなりません。そのことに思い至った彼女は、秀吉への哀しみ、これから一人でやっていけるのかと不安と怯え、彼に下した己の所業への恐れなど一気に色々な感情が押し寄せたのではないでしょうか。
北川景子さん演ずる最後の表情に、少女のごとき危うさと弱さを感じるのは気のせいでしょうか。もしかすると、茶々は北ノ庄城落城のあの日から時間は止まったままで成長していないのかもしれませんね。果たして未だ少女のごとく感情的な彼女は天下をとって、この世をどうしたいのでしょうか、それがまったく見えないのが不気味ですね。
それにしても、茶々の告白を受け止めた全身血まみれの秀吉の断末魔の笑い顔が壮絶ですね。彼は最後の最後に自分の放埓な欲望まみれな生き方がもたらした業に向かい合ったのかもしれません。天下人の地位を簒奪し、その主家から復讐される因果応報、自分の野心と欲望が一人の少女を野心家の化け物にしたこと…秀吉ともあろう者が小娘にいいようにされていたこと、そして家康に預けて安堵した天下の趨勢が乱れていく皮肉。全てをぶち壊した自分の人生に最早、笑うしかなかったのかもしれません。
彼の笑顔については、さまざまな解釈に別れそうですが、そこを想像するだけでも彼の人生とは何だったのかを考えさせられますね。ただ、彼の行いが豊臣家を栄えさせ、そして滅亡にも導いたことだけは事実です。豊臣家を覆う暗雲は晴れぬまま、時代は次に入るのです。
さて、秀吉の死を知ってか知らずか、家康は暗い自室で静かにもの思いに耽ります。
頭の中に反芻されるのは。三成の「力ではなく知恵…天下人を支えつつも合議でまとめる」という尊い理想です。惹かれながらも、これが現実的でないことも家康は秀吉とのやり取りで再確認しています。三成のやり方だけでは、天下は治まりません。
次に思い出されるのは、左衛門尉との最後のやり取りです。自信の無さから発した「天下人など嫌われるばかりじゃ」の後に続く、左衛門尉への問いかけは「信長にも秀吉にもできなかったことが、このわしにできようか」ということでした。左衛門尉は「はっ…」と一笑に伏すと「殿だからできるのでござる、戦が嫌いな、殿だからこそ」と信長と家康との違いを明確にして断言します。彼らが武断統治であったのは、彼ら自身がそう望み、考えを変えなかったからです。
しかし、家康は生来の性格、そして彼らの統治に苦しめられた体験、民と家臣を信じることを貫いた信念、そして瀬名の理想を叶えたかった思い…これらは彼らの武断統治に反するものです。家康は、とうの昔に武断統治に替わるための素地を備えて、磨いてきているはずなのです。彼ならば、権力の万能感に酔い、我欲に溺れることはないと徳川家臣団は確信しているのです。それが左衛門尉の労いであり、三河家臣団解散時の家臣団の感謝に表れていますね。
そして、義元から王道を学び、信長に世の現実を教えられ、信玄から軍略を学び、秀吉から経済観念を学んだ彼は、その理念を実行するための現実的な施策を持っていますし、旧五領、そして江戸の町づくりでそれを実践した経験も持っています。頭でかっちな理念だけの三成との決定的な違いがあります。
後は覚悟を決めるだけなのです。だから、左衛門尉は静かに「嫌われなされ。天下を取りなされ」と後押しします。この言葉には、自分の信念を信じればよいということ、そしてその辣腕に周りが嫌うことがあっても、彼を始めとした徳川家家臣団だけは彼の真意と真実を信じているし、理解しているから大丈夫だという思いやりが感じられますね。夏目吉信の「殿はきっと大丈夫」も響き合ってくる気がします。
家康はそんな左衛門尉の顔を見つめ、彼らの強い思いを感じ取ります。自分に天下取りの真の機会が訪れたとき、それは人間家康を捨て、天下人家康としての人生を歩むことになります。それは長い孤独な戦いの始まりです。でも、進むしかない。自分しか天下人になれる人はいないのです。その覚悟と寂しさと不安が、一筋の涙として家康の頬を伝います。
皮肉にも、家康が天下人の哀しみを理解したときが、彼が天下人の資格を得た瞬間です。つまり、天下人家康の…あるいは後世狸親父と呼ばれる男の物語が始まります。その複雑な胸中の中の旅立ちをメインテーマが祝福するように鳴り響きます。家康の悲愴な覚悟とは裏腹に未来は希望に満ちています。豊臣家の暗雲とは真逆なのですね。
おわりに
家康の天下をその目で見ることは叶わなかったが、自分の役割を全うし、大往生を遂げた酒井左衛門尉忠次。自身の息子の将来に不安を残し、そして自分の欲望が生み出した野心家の茶々を見て死んでいった天下人秀吉。
二人の生きざまは、改めて家康が進むべき道を示したと思われます。左衛門尉は、その死に満足があります。家康への遺言に、彼の将来への不安は微塵もありません。それどころか、彼は家康の成長を見届けた、そのためにずっと力添えしてきたことに誇りを持っています。だから、まだ果たせていない彼の天下を信じて、希望をもってその人生に幕を閉じました。その見えない目は麗しいものだけは見えると自負していましたから、もしかすると彼にだけは家康の天下も見えていたかもしれませんね。
一方、秀吉は飽くなき欲望を叶え続けた反面、自身の本当に欲しかったものに気づくことが遅く、多くが手遅れになり、自分の抱えた問題、将来を丸投げする人生になってしまいました。自身の欲望を叶えるために多くの人々をないがしろにしてきた因果応報とも言えます。身の丈以上の欲をかけば、その欲の大きさに滅ぼされる…といった体になってしまいました。しかし、彼にとってわずかな救いは、最後に自身の始末を惹かれ続けた、信頼できる家康に託せたことでしょう。
左衛門尉の生き方と自分に託した願いは、これまでの家康の生き方を肯定し、その上で天下人としての孤独な戦いへ進むことを促しました。そして、放埓な天下人、秀吉もまたその哀れな顛末と共に家康に天下人という地位の恐さを思い知らせました。そして放り出された天下を引き受けざるを得なくなった家康は、左衛門尉から後押しされた思いを反芻しながら、秀吉にならぬように、自分にしかできない天下人への道を歩む覚悟を決めることになりました。
二人の死は、天下を取る資格を得た家康に「天下人として人生をどう全うするのか」という命題を突き付けたと言えます。それは、自分だけで考えて選ばねばならない孤独な戦いですし、また答えのない道であり、この先も多くの困難が待ち受けています。それでも、家臣団と視聴者だけは、これまでの家康の半生や信じてきたことがその道を照らすこと、希望があることを知っています。いよいよ、本格的に始まる徳川家康の物語をあの明るいメインテーマと共に楽しんでいきたいですね。