飲酒運転の根絶やしは不可能だと分かっている。何故なら社会の歪や仕組みの下、余りにも人と酒が様々な環境の中で時には制御し切れない喜怒哀楽の感情と共に絡み合っているからだ。紐解けない。 ちゃんちゃら滑稽な旗だとしても「枯れ木も山の賑わい」で「下手な鉄砲数打ち当たる」を目指す覚悟だ。
わたしが人間であり、個我であるのは、他の個我の苦しみを理解するためであり、私が理性的な意識であるのは、それぞれ別の個我の苦しみの中に、苦しみの共通の原因たる迷いを見て、自分と他の人々のうちにあるその原因を根絶することができるためにほかならない。 トルストイ『人生論』第三十五章
車で出掛けた先で「酒」を飲むことで仲間の輪に入れ、共に楽しい時間を過ごせたであろう瞬間は過去に幾度かあった。しかし、車を自分自身で乗って帰りたかったため「飲まない」と決めて徹底した。ウーロン茶とコーラでお腹がダブダブにはなったが、気分は結構爽快でいられた。誇れるとすれば生真面目。