南方熊楠は晩年になってもどの本のどのページに何が書いてあったか、およそ正確に言い当てていたらしい。いわゆる映像記憶は、普通の記憶とは脳を使う仕組みが異なるのだろう。熊楠はページ数や内容、字体まで「撮影」して脳内のメモリに保存していたのではないか。記憶の質が違った可能性が高い。
記憶が、フレッシュ過ぎる。 手を伸ばせば触れられそうなくらい近くに、昔の場面(トラウマ記憶じゃない、ただのなんでもないある日、見たもの聞いたものがそのまま記録されてしまってる)が目の前に再生されて、懐かしいひとに再会して、なんだか泣きそうになる。 普通に生きてて、人が近すぎる。
「“重要な”場面」で頭がいっぱいになると、「考える」場所を空ける必要がある。私は、「書き落として」頭の外に出し(忘れて)場所を作る。小一時間程度の会話は、数時間で書き出せて、これまでのセッションは書き落としてた(我ながらキモい、、I know!)んだけど、読み直すとかなり面白い。
it was January 1987. When I was 3. ある場面の記憶が克明に出てくる。 そこに時間軸はない。 音の世界には、時間ていう概念や分断がない。 場面はいつまでもそこに浮遊し続ける。 が、タイムリボン上でどこのイベントかチェックできると、「距離」が生まれる