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双極性障害(躁鬱)/ADHD/21歳/ 豆腐メンタル 自分の足跡をここに残したくて始めました。

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双極性障害(躁鬱)/ADHD/21歳/ 豆腐メンタル 自分の足跡をここに残したくて始めました。

最近の記事

2年ぶりに陸上競技、復帰します。

先月、今年度の陸上競技連盟の選手登録の手続きが終了した。 陸上競技連盟に選手登録している人は、毎年新しい選手番号が更新され、公認大会で公認記録というものが残る。 公認大会で基準の公認記録を満たさなければ出れない大会などに出る為や陸連の選手登録者枠で、よりスタートラインに近い場所から走る権利を得るための…… 今まではそんな大切な記録を残すためだけ選手登録だった。 …… 2022年、公認大会である、京都マラソンで「3:25:19」という、女子で言うとランナーの上位3.1%に入る、

    • 【命のお話】1人で大海原へ航海はできないんだよ。

      ある日、親友が自ら命を絶とうとしていた。 私はその子にこう言った。 私は思ったことを言語化するのが苦手だけど、どうにかこの想いだけは伝えたくて。 「Mちゃんの命がひとつの船だとするね。Mちゃんは海を航海してるとする。Mちゃんの船にはあなたがこれまで生きた中で関わった人、学生時代の親友、そしてもちろん私も何人か少なくとも2人以上は乗ってるの。それはね、人は1人では生きていけないから。その船が転覆しちゃうと、Mちゃんだけじゃなくて、その船に乗ってる人は全員転覆しちゃうの。」

      • 生きるってこと。

        1年前の今日、私は初めて精神科に入院した。 1年前の今日の2日前、私は初めて自ら命を終わらせようとした。 1年越しに考えることは、ここには書ききれないくらい沢山ある。 だけどひとつ言いたいのは、「生きててよかった」 1年経った今、そう思えていて私は幸せだ。 あの時は入院させられて、悔しかった。 なんで私なの?なんで精神疾患なの? 私は病気なんかじゃないって何度も思おうとした。 普通の人みたいに、仕事して笑って過ごしていたかった。 ……… ここ最近私は、やっ

        • 生きることを諦めるということ。

          『今週の金曜日、死のう』。 いつも、訪れる希死念慮より遥かに大きな気持ちだった。 私はこれまでのnoteで、何度も明日も生きていこうと書いてきた。 でも、もう限界だ。私の中の魂が消えかかっている。 主治医も、友達も心理士さんも心配してくれてるのは分かっている。 友達との約束を破ることになってしまうのも本当はとっても嫌だ。 でも、それ以上に死にたい。この気持ちはもうどうすることもできないのか。 悔しい。本当はもっと生きたかった。 「じゃあ、生きればいいじゃん。」

          行き着く先は同じ場所。

          私は今とても死にたいと思っている。 それと同時に生きたいとも思っている。 2つの気持ちがせめぎ合っているのが正直な所だ。 私は双極性障害(躁鬱)だ。 私は鬱でも、そうでも行き着く場所は、同じ場所。 そう、死だ。 鬱状態の時は、もう私なんていらない。 価値がない。 苦しい。と思って死にたくなる。 躁状態の時は、今この瞬間が幸せだ。 でも私はこの幸せが長く続かないことをしっている。 だったら、幸せだと感じているうちに自分で命に、終止符を打ちたいと思ってしまう。 ど

          行き着く先は同じ場所。

          祖父母と私と炊飯器。

          元彼が、県外で一人暮らしをすることになった時、私は実家暮らしだった彼に3合炊きの炊飯器を貸した。 もちろん、使っていなかった訳では無いが、私はそのころ精神科のデイナイトケアで昼、夜のご飯を食べていた為、しばらく必要なかった。 復職するまでに返してもらおうと思っていた。 しかし、そのまま返してもらわないまま別れた。 その炊飯器はどこにでもあるような、1万円弱のまぁそこそこいい炊飯器だった。 でも私にとって、18歳で愛知に就職で出てきて、 初任給で買った自分だけの炊飯器。

          祖父母と私と炊飯器。

          閉鎖病棟6回目の退院。

          今日私は閉鎖病棟から退院してきた。6回目だ。 いつもは退院するのが、凄く嬉しいはずなのに、今回は何だか不安で、退院するのが怖かった。 きっと、一般の社会で生きていかないといけない恐怖でいっぱいだった思う。 もちろんずっと病院にいるのは嫌だった。 だけど、退院して、自分のことは自分でやって、周りのことも気にして笑って、元気なふりして、 「普通」を装って生きていかないといけないと思うと不安で怖くて仕方なかった。 怖い。社会が怖い。生きるのが怖い。 きっとこの恐怖を感じ

          閉鎖病棟6回目の退院。

          怒り。そして暴走。

          精神科閉鎖病棟入院6回目の3日目か、4日目の夜だった。 内容は覚えてないが、何人かが同時に喋ってるような幻聴が聞こえた。 時間が経っても幻聴は消えてくれなかった。 怖くてイライラして、悲しくて。 感情が迷子になっていた。 こんな辛い思いをするならば最初から産まれなければよかった。1月の自殺未遂で失敗してなければ。 そう思ったのは今回で何日目だっただろうか。 もうどうしていいのか分からなかった。 おそらく一生付き合っていかなければいけない病気。なかなか良くならないし

          怒り。そして暴走。

          医者も匙を投げたくなる患者はここにいます。

          これは医者に匙を投げられかけた患者のノンフィクションストーリー。 あの日は朝からずっと希死念慮に心が支配されていた。 その頃から幻聴がはっきりと聞こえるようになっていた。 「死ねば?」「デイケアに行くな」「なんでこんな所にいるの?」こんな感じの内容だ。 気づいたら幻聴と会話してる自分がいた。 これには驚いた。自分が自分じゃなくなると感じた。 幻聴と希死念慮に苦しんだ私は『もう死のう』と思って朝病院に向かった。 でも心の奥底で『まだ生きたい!』と叫んでる自分も居た。

          医者も匙を投げたくなる患者はここにいます。

          昨日の夜から希死念慮がすごい 今日は診察で正直に話そうと思う その結果が入院になっても生きていられるのならそれでいい

          昨日の夜から希死念慮がすごい 今日は診察で正直に話そうと思う その結果が入院になっても生きていられるのならそれでいい

          決別。

          私は昨日彼氏と別れた。 彼には今まで沢山助けられてきた。私がボロボロだった時に助けてくれたのもまぎれもなく彼だった。 私は期日の決まってない物事の優先順位を決めるのが苦手だ。 実際にあったのは、私が彼氏のLINEよりTwitterのリプライを優先して返信してしまったり。 そのことに関してはとても怒られた。 でも私にとって、彼の返信もTwitterリプライも頭の中ではやりたいことに入っていて、それがたまたまTwitterの方に意識が向いていただけで、彼よりTwitte

          決別。

          働く人々を見て。

          つい、半年前までは私も社会人だった。 それが当たり前だった。 町中には働いてる人々で溢れている。 それを見る度に、社会から切り離されてる感じがしてものすごく落ち込む。 私は働けてない自分がものすごく嫌いだ。 働いてた頃は働くことなんて当たり前でその事について深く考えたことは無かった。 今は、起きて、デイケアに行き、帰り、寝る。 そんな生活だ。周りは焦るなという。 私は先の見えない、見通しの立たない予定をこなして行くのが、すごく苦手だ。 〜までに、とか、何月ま

          働く人々を見て。

          賢い子でいる為に。

          ※決して自慢では無いです。 私が今まで苦しんできた、「賢い」について話します。 私は高校で学年トップの成績だった。 私の高校では誰が成績上位なのか発表される制度だった。 テストでは毎回全教科90点以上。先生や保護者である祖父母、周りの同級生には毎回テストでいい点をとる度に、「頭いいね」、「賢い」と言われ続けて育った。 そんな私の勉強法は…無かった。 「無かった」というより、私には少しほかの人とは違う方法でテストを攻略していた。 私には発達障害がある代わりに映像記憶

          賢い子でいる為に。

          5度目の入院と手紙。

          もう自分の人生が嫌だった。苦しかった。 死んで何もかも無かったことにしたかった。 私という存在を消したかった。 そんな気持ちを持って迎えた朝は私の気持ちとは反対に気持ちいいくらいに晴れていた。 今週中には死のう。そう思って行ったデイケアで、 勝手に親友(戦友?笑)だと思ってる友達から一通の手紙を貰った。 私は「診察終わったら後で読もーっと」と思いカバンにしまった。 診察室ではもしかしたら入院になるかもしれない内容の手紙を先生に渡して、直ぐに診察をでた。 手紙の

          5度目の入院と手紙。

          希死念慮。

          私は昨日デイケアから逃げだした。 スタッフさんに、「一緒にもどりましょう」と言われてもその場を簡単に動くことはなかった。 かなり時間をかけてスタッフさんは説得してくれた。 頭の中がごちゃごちゃになっていた。 死にたい。 この言葉が頭から離れなくて心の中が真っ暗になった。 デイケアのスタッフに最大限のSOSを発信した。 死にたいです。もう死にます。 そう言うとスタッフさんは、この状態であなたを帰す訳にはいかないと言われた。 診察をうけるか、薬を飲むかの二択を迫

          希死念慮。

          躁状態。

          私は今躁状態だ。 生きていて楽しい。なんでも出来る気がする。 つい2日前なんて、勢いで原付を買ってしまった。 あんなに死にたかった私が今はもうすっかり病気が治ったんじゃないかと自分でも錯覚してしまうくらいに調子が良い。 昨日はついつい、デイケアのスタッフさんに 『私もう病気なおったかもしれません!!』と元気よく言ってしまった。 すると、スタッフさんは、『貴方は躁鬱でしょ?そんな教科書通りの答え言わないでよ』と笑っていった。 たしかになぁと思い、これは病気なんだと

          躁状態。