岡倉天心は、日本美術院の創設者の1人です。 しかし彼が東大で学んだのは政治学。卒論は「国家論」でしたが、提出2週間前、妻の元子が癇癪を起してそれを焼き捨てたため、慌てて書き直したのが「美術論」でした。その後彼は美術界に傾倒していくことになります。 世の中何が起こるかわからない…。