彼女と観た世界(2024年4月2話)
花祭の桜が散り、これから更に暖かくなりそうです。
第108回 再興院展
この頃、横浜駅東口の十合美術館(横浜市 西区)では、日本美術院の公募展覧会である「院展」の日本画が展示されていました。
日本美術院は、明治美術界の指導者岡倉天心らによって1898(明治三十一)年に創設されました。ここ横浜で生まれた岡倉天心(1862~1913)は、西洋欧米諸国が強い力を持っていた時代にあって、インドの仏教、中華の儒教・道教、そしてそれらを取り入れた日本美術という東洋の伝統的な精神文化を護ろうとした人で、中学・高校の歴史教科書にも載っています。
日本美術院の展覧会、略して院展は1898(明治三十一)年~1903(明治三十六)年まで行われ、明治末期の休止を経て、岡倉没後の1914(大正三)年に再開。現在も、日本画に特化した公募展として続いています。
今回、十合美術館の院展には、神奈川県の画家によって描かれた作品などが展示されていました。
日本画を始めとする東洋画の特徴として、鉱物から作られた岩絵具を使う点が挙げられます。宝石の原料を使っているから、宝石のような美しい色を自然に表現できるわけですね。
4月18日(木曜)
オンライン読書会(旧約聖書)
毎週木曜日には、オンラインでの聖書読書会が行われています。携帯電話などの使い方に疎いヒジリお姉ちゃんも今回、初めて参加してみる事になりました。
この読書会では『聴くドラマ聖書』を使います。
バランスを重んじ、一日に『旧約聖書』と『新約聖書』の両方を視聴します。始めと終わりには、祈りを込めて「詩篇」(旧約)を読みます。その上で今回は、旧約からは「エステル記」を、新約からは「ペテロの手紙Ⅰ」を拝読しました。
旧約聖書「エステル記」は、歴史書(列王記などの部門)の最後に収録されています。同じく歴史書の「ルツ記」と共に、聖書の中で女性を題名=主人公とした物語の一つです。厳密には、聖書の主人公は全て神とも言われますが。
舞台は紀元前5世紀、イランのペルシャ帝国(アケメネス朝)に仕えていたユダヤ人の女性エステルを主人公としています。当時、ユダヤ人は前時代の強制移住(バビロン捕囚)から解放され、故郷であるパレスチナに帰還し始めていました。しかし、依然としてユダヤ人を迫害する動きがあり、それに対して、ペルシャの皇后(王妃)になったエステル達が、神と共に戦ったと記されています。
如何なる迫害を受けても、必ず生き残り、最後には敵を討ち滅ぼす…というユダヤ民族の歴史と信念は、現在のイスラエル国の外交姿勢に反映されているとも言われます。
また、新約聖書では「ペテロの手紙Ⅰ」を拝読しました。こちらはローマ帝国の時代で、ネロ帝(在位54~68)によるキリスト教徒への過酷な迫害が行われていた中で書かれました。
まあ、日本は怨霊も「神」になる国なので…。
それはともかく、この「ペテロの手紙Ⅰ」には次のような言葉があります。
これについては、大乗仏教の浄土信仰(浄土教)にも「自らの罪を自覚する者こそが救われる」という悪人正機説の考え方があります。
また、この手紙には「万物の終わりが迫っています」(4章7節)とも書かれており、当時『新約聖書』執筆に携わった人々は、現代よりも世界の終末を身近に感じていたようです。今の私達にとっても、他人事ではないのかも知れませんが…。
このような機会を持って「皆で、定期的に、聖書全体を、聴く」というのは、聖書自体にも「望ましい学び方」として勧められているそうです。
4月19日(金曜)
池上町興会 総会
今年も、地元の公民館(大田区 大森 池上町)で地域振興団体の総会が行われました。大田区長や前区長(名誉会長)を始め、多くの方々がお見えになりました。
昨年は、例のパンデミック非常時体制が解除され、お祭りなどの地域行事を本格的に再開できたのが、大きな転機と言えます。折しも去年は、東北大震災とパンデミックという二つの緊急事態への対処に尽力された区長が退任し、後継の新区長に交代したので、それも時代の移り変わりを象徴していました。
今年の池上祭は、8月25日(日曜)に開催されます。
4月20日(土曜)
呑川総会
アキさん達が参加している、東京の都市河川を研究・保全する地域団体も、池上の公民館で総会を行いました。こちらには、東京都議会の方もお見えになりました。
政府は「国土強靭化計画」を策定していますが、コンクリートを増やす事だけが防災ではありません。屋上を緑化するなど、都市の自然環境を豊かにする政策が、ニューヨークなどで進められているそうです。
池上の周辺を流れる都市河川の呑川でも、色々なイベントが予定されていました。
この日の夜には、呑川の下流域にある蒲田で、同人誌即売会が開催されていました。オンライン文芸サークルや地域団体などが参加し、小冊子の頒布などが行われたようです。
そう言えば去年は、都議会選挙の演説会にも使われていましたね。
4月26日(金曜)
思春期の青年と家庭教育
先述の通りヒジリお姉ちゃんは、木曜には聖書読書会に参加していますが、このほか毎週金曜には、実際の社会生活において、より良く生きる倫理を考えるための読書会も行われています。この読書会は「ただ来るだけ」という理念を掲げており、予習などの準備をしなくても、気軽に参加できるのが魅力です。
本日は『若者は朝露のように 思春期の子供と共に成長する』という書籍を読む事になりました。これは、思春期の青年を抱える家庭において、親がどのような姿勢で我が子と向き合うべきか…を考える本です。
今回、拝読した章のテーマは、ズバリ「愛」と「偽善」についです。
まず、愛について。神学などの西洋思想によると、愛は4種類あるそうです。
素朴な愛情
与える事を求める愛。生存のため自然に備わっているが、そのままだと依存に陥る事もある。友情
同じ立場、共通の目的を持つ者同士の間に成立する感情。親子間では成立しづらい。エロースの愛(家族愛)
恋愛・性愛など相手に憧れ、合一を求めるロマンチックな愛。スキンシップや性行為などの身体接触を含むが、より深い精神的な一体感も含まれるので、夫婦や親子など、あらゆる親密な関係に存在する。プラトンやフロイトらに探究されてきた、哲学・心理学的な「愛」でもある。しかし、思春期になると親子のスキンシップが減るので、これも万能ではない。アガペーの愛(隣人愛)
立場・利害が違っても、スキンシップが無くても実践できる愛。我が子が思春期になり、上記三つの愛が通用しなくなっても、それらを活かし続ける事ができる。『新約聖書』に見られる、神が人間に示した愛であり、宗教的な愛と言える。利己的な欲望を超越しているので、日本語では愛よりも(仏教的に)「慈悲」と表現したほうが良いのかも知れない。
もう一つの章のテーマが「親は偽善者」というものです。これは、多くの親子にとって心当たりがあるかと思いますが、思春期の青年は、親に反抗する際、親の言動に矛盾がある事を指摘します。即ち、親が子に躾けた道徳を、親自身が守っていないという偽善への反抗です。これは、子供が「道徳に基づいて他者を判断・批判する能力を身に付けつつある」という事であり、親にとっても自らの言動を振り返る切っ掛けになります。
なお、西洋における「偽善」の単語は、元々は「劇の役割を演じる」という意味のギリシャ語に由来します。古代ギリシャで発展した演劇や弁論術では、観客・聴衆を満足させ、納得させる事が重要です。例えば、悪役(犯罪者など)を演じる俳優に求められるのは「劇の中で悪人のように振る舞う事」であって、役者本人が実際に悪事を犯すわけではありません。そして、ここから「本当に正しいかどうかより、相手に正しいと思われようとする態度」「偽りの善人を演じる」という偽善の意味が生まれたようです。
偽善の問題点を、具体例と共に厳しく指弾した古典として「マタイによる福音書」23章(律法学者とファリサイ派の人々を非難する)を挙げる事ができます。当時、ローマ帝国に支配されていたユダヤ地方(パレスチナ)の宗教指導者は、表面的には善人を装いながら、肝心の本人達には行動が伴っていなかったと言われます。
4節「彼らは背負いきれない重荷を纒め、人の肩に載せるが、自分ではそれを動かすために、指一本貸そうともしない」
28節「このようにあなた達も、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている」
他者を教え導き、時に裁く事もできる立場にある者は、相応の責任を負っているというわけですね。
さて、親の偽善を厳しく指摘していた子供も、自分が親と同じような事をしている事に気付いたり、その事を自分より若い人に指摘される日が来るでしょう。その時、その人はもう子供ではありません。こうして、世代が受け継がれるわけです。
個々人が、自分自身が、その言行において(天に対する)責任を果たし、正しく応答できているか…そんな事を考えさせる時間でした。
天文部 地球学と防災教育の現在
夕方、アユミさん達はS学園の天文クラブに参加しました。今回は、今年の活動方針などを確認しました。
パンデミック体制の解除に伴い、会員を中心とする通常活動に加え、それ以外の中高生らも自由参加できる「天空教室」や、オンラインだけでなく現地での天体観測を増やす方針が説明されました。
他方、流星群などの観測において、オンライン映像中継を活用する「電子観望」は、依然として便利です。例えば、南半球からのカメラ映像を中継すれば、日本では見づらい流星群や星座を見る事もできます。但し、透き通った星空を観られるような自然豊かな場所は、インターネットが繋がりにくい場所である事も多いので、快適な電子観望を実施するには、お互い安定した回線接続が必要になります。
天体観測に限った事ではありませんが、あの忌々しいパンデミックを通して私達は、オンラインと現地活動それぞれの長所を、上手く使い分ける意義を学べたのではないかと思います。
もう一つ話題になったのは、日本の高等学校における地学教育の現状です。現在、高校の理科教育は「科学と人間生活」及び「物理基礎」「化学基礎」「生物基礎」「地学基礎」などから成り立っています。このうち物理・化学・生物は、高校内でも大学受験でも多くの生徒に学ばれていますが、地学に関しては「専門の先生が居ない」「大学受験で役に立たない」といった理由で、高校では充分に学べないケースがあります。
地学の中には火山学・地震学などの分野があり、人間にとって、特に自然災害の経験が多い日本人にとっては、重要な内容が含まれています。それなのに、高等学校での地学教育が軽視されている現状に対し、当然ながら憂慮の意見があります。
この一因として、理科の「地学」と、社会科の「地理」と重複している、という点を挙げられるかも知れません。
地理学の中には、地形学・気候学と呼ばれる分野があり、ここでも地震・火山・水害について学ぶ事ができます。高等学校の地理科目にも、防災を学ぶ単元が用意されており、しかも一昨年の2022(令和四)年からは「地理総合」という必修科目が制定され、今後は全ての高校生が地理を勉強する事になりました。
そのため、わざわざ理科の地学を履修しなくても、必修科目である地理のほうに火山・地震などの防災教育が含まれるため、結果的に地学科目の重要性が高まらない…という状態になっている可能性があります。しかし、火山や地震などのメカニズムをより深く学びたい人や、そもそも地理科目には含まれていない分野(天文学など)を学びたい人のために、理科的な地学教育も充実を望まれるでしょう。
なお、地学・天文学には物理学と重複する分野も多く、そのような研究は地球物理学と呼ばれます。
千日尼御返事
一方、メグミさん達は、今月も池上町の長栄山に登り、読経修行体験会に参加しました。今月は、1270年代(鎌倉時代)の佐渡島(新潟県 佐渡市)の武士である阿仏房日得(遠藤 左衛門尉 為盛)に関する法話を拝聴しました。
優れた人格・教養を持った聖者の言行には、他者を改心させる力があるという事を学びました。
4月27日(土曜)
ある晴れた日の夢
連休の始まりである今日、デジタルアートセンター横浜の桜木町分館では、新しい企画が試みられました。それは、参加者が物語の登場人物に成り切って、脚本の台詞を朗読する「声劇」です。
初回である今日は、正体不明の敵と戦いながら、迷宮を冒険するシナリオを読む事に。キャラクター3人が登場する台本を、同じく3人のメンバーで分担し、どの役を誰が演じるか決めます。
準備が整ったので、録音マイクのスイッチを入れ、いよいよ本番が始まります。慣れない経験に戸惑う事もありましたが、どうにか最後まで演じる事ができました。
こうして、物語は終幕…と思いきや、終わりの合図が鳴った瞬間、一同は眼前が白く明るくなる光景に見舞われます。
私達は突然、現実の世界から切り離され、物語の中に取り込まれてしまったのです。
困惑しながらも、冷静に状況を把握しようとします。ダンジョンの中は狭くて暗く、足元には不思議な生物が歩き回っています。
私達は希望を抱きつつ、ダンジョンを進んで行きます。途中で数々のトラップや敵に遭遇しながらも、チームワークを発揮し、何とか宝箱のある部屋に辿り着きます。
皆の期待が高まる中、サギハラさんが宝箱を開けます。すると、宝箱の中から光り輝くアイテムが現れました。
皆の心が一つになり、最後のステージに臨む覚悟を決めます。困難を乗り越えながら、最後の戦闘に挑みます。
皆の奮闘が実を結び、最後の敵を倒す事に成功します。
私達は疲れ果てて倒れ込みますが、同時に達成感に満たされていました。そして次の瞬間、私達は再び白い光に包まれ、現実の世界に戻されます。
私達は戸惑いながらも、それぞれの思い出を胸に、桜木町を後にしました。
あの日の出来事が何だったのか、それは今でも分かりません。しかし、私達が確かな成長と絆を手に入れたのは間違いありません。これからも私達は、新たな冒険に挑むのでした。
次号では「呑川に鯉幟を展示」「母の日と渋谷の地下アイドル」などの話をお届け致します!
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