歩いて、探して、歴史を発掘する黒田涼
4年間かけ、東京23区の全区境を踏破した記録。踏破距離317キロ。区境の由来・歴史・地理・周辺の史跡などの情報が満載です。区境に関わる意外な事実なども。
徳川家康の入府以来、日本の政治・経済、そして文化・芸能の中心都市として発展し続けてきた江戸・東京には、様々な物事の始まりの地があります。学校・企業・産業・芸術・風俗など、数多くの発祥の地が東京23区内にはあり、多くの記念碑や解説板が設けられています。このマガジンでは、可能な限りそれらの地を網羅し、紹介してきいきます。こうした場所を辿ると、面白いことに現代につながる日本の歴史のいろいろな側面が見えてきます。
江戸にあった大名屋敷の痕跡を全て紹介します。建物・門はもちろん石垣、解説板なども含め、訪れる物がある場所は全てです。豊富な写真と境界地図もあります。場所などは基本幕末時のものを掲載していきます。
2021年の大河ドラマ「青天を衝け」は私のお気に入りの大河ドラマでした。しっかりした考証を背景に、日本の近代化に大きく貢献した渋沢栄一の生涯を描きました。2024年、渋沢は新1万円札の顔となります。ドラマの放送をなぞりながら、23区内などの渋沢栄一ゆかりの地をご紹介しています。
東京都内で、地面から富士山が見えるびっくりポイントを紹介。
私の最新著作「段差ゼロの東京歴史さんぽ」が11月14日発売です。 足に自信のない人、車いすの人、ベビーカーでも楽しめる都内の歴史散策コースを12か所、紹介してます。 ゆっくり歩いて3時間程度。 山の上、渓谷、城、大寺院なども「段差ゼロ」で行けるんです! 今まで諦めていた皆さん。ぜひ都内を歴史散策しましょう。 以下、画像で詳細、紹介いたします! よろしくお願いします! #段差ゼロの東京歴史さんぽ #歴史散策 #バリアフリー #23区 #黒田涼
23区全区境踏破第24回←前へ 次へ→ 文京区境は、すでに南側3分の1ほどは紹介ずみです。千代田区編で飯田橋駅前から湯島駅あたりまで、新宿区編で早稲田駅あたりから飯田橋駅あたりまで歩きました。今回から残りの豊島区、北区、荒川区、台東区との境を歩きます。荒川区と文京区の境なんて、あるんですねえ。 東京メトロの早稲田駅を降り、新宿区編でご紹介した豊島区との3区境、文京区立の肥後細川庭園前あたりから出発です。神田川から庭園の脇を西
23区全区境踏破第23回←前へ 次へ→ 前回最後に渡った神高橋あたりから進みましょう。この先の新宿区と豊島区の区境は、流路を改修する前の曲がりくねった流れのままでとても複雑です。まず橋を渡ってすぐ左手の街区は、豊島区と新宿区が混在しています。川沿い左に進んだ高塚橋は豊島区。橋を背に進んで二つ目の角を左に行くと、この道がだいたい旧流路で右が新宿区、左の奥が豊島区です。 道は戸田平橋の手前に出て、ここからは川が区境ですが、少し先の
23区全区境踏破第22回←前へ 次へ→ 前回、哲学堂通りを北上して野方給水塔を横目に見て目白通りまで来ました。この辺りでは、哲学堂からの通りは都道420号となります。俗に言う環状6.5号線の一部です。実は区境は目白通りのかなり手前で左側の住宅地内に入っていきます。しかし道がないので歩けず、420号を進んでいきます。 420号の道筋は明治ごろからあるのですが、どういうわけか葛ヶ谷村部分の土地がここだけ西に張り出しています。区境は
23区全区境踏破第21回←前へ 次へ→ 前回は都営大江戸線西新宿五丁目駅まで歩きました。駅上のA1出口を出て右に行きます。するとすぐに、右側に歩行者専用の路地があります。これはかつて神田川に流れ込んでいた小さな川跡です。 すぐに車道と交わる場所に出て、「榎橋」という橋跡があります。区境はここまではやや左側を離れて通っていますが、ここでこの旧川跡とほぼ沿っていきます。が、それも束の間、区境は遊歩道が左にカーブし始めるあたりで右に
23区全区境踏破第20回←前へ 次へ→ さて今回から新宿区境ですが、実はすでに結構歩いています。まず前回港区編の最後、青山高校前から神宮外苑を通り喰違見附手前までは新宿区との境でした。喰違見附から四ツ谷駅までは千代田区との境で、その先市ヶ谷駅を経て飯田橋駅までも千代田区編で歩きました。 今回の出発点は前回通った都立青山高校前からとします。最寄り駅は東京メトロ外苑前駅です。スタジアム通りの左側を歩き、青山高校前を過ぎて、神宮球場
23区全区境踏破第19回←前へ 次へ→ 港区編3回目は、広尾駅から一気に四ツ谷駅まで行って港区境を歩き切ります。大部分の境が大名屋敷境に由来し、東京がいかに江戸の歴史を背負っているかがわかります。 広尾駅上の外苑西通りを北に進むとまもなく左斜めに入る道があります。左側に聖心女子大入り口があるこの道の右側は港区で、左側が渋谷区です。道は笄(こうがい)川という川でした。前回終盤で区境がフラフラと揺れている原因と書いたのはこの川で、
23区全区境踏破第18回←前へ 次へ→ 港区の2回目は、前回帰途に着いた品川駅港南口から八つ山橋に向かいます。ここにはいまだに京浜急行の踏切がありますが、いよいよ高架化工事が始まっており、2029年度完成予定だそうです。 区境は橋の北側を通っており、南側は品川区です。この境界は江戸時代以来のもので、港区側は御府内、つまり江戸です。南側は品川宿であり、江戸ではありませんでした。支配でいうと御府内は町奉行管轄で品川宿は関東郡代管轄
23区全区境踏破第17回←前へ 次へ→ 今回から港区の区境を巡りますが、その出発地は・・・お台場です。 「え、お台場?」と一瞬ぽかんとした方、いらっしゃいますよね。お台場地区で一番賑わっているお台場海浜公園の一角は、港区なんですねえ。で、運河を隔てた東側、東京ビッグサイトのある一帯は江東区です。首都高湾岸線を隔てた南側、ダイバーシティ東京や日本科学未来館のある側も江東区です。そしてややこしいことに、海浜公園西側の潮風公園は品川
23区全区境踏破第16回←前へ 次へ→ 前回まで13回にわたって千代田区の区境を歩いてようやく中央区の区境を歩きますが、なんと中央区は今回1回でおしまいです(笑)。 第1回で申し上げましたが、私の区境踏破は海岸線は歩きません。また隅田川、多摩川といった23区内では大きな河川沿いも歩きません。 したがって海と隅田川に面している中央区の踏破対象部分は少なく、また一番長く境を接しているのは千代田区なのですが、ここは前回までで歩いてし
23区全区境踏破第15回←前へ 次へ→ 前回、文部科学省の前まできました。 左に進んで虎ノ門交差点に行くと、左手前角に虎の像があります。「虎ノ門遺址」の碑で、1949(昭和24)年に「虎ノ門」の名が初めて町名に採用されて3年になったのを記念して港区側の住民が建てました。 はい、ここは港区なのですね。そして碑には「ここに虎ノ門があった」というようなことが書かれていますが、実際は先ほど左に曲がった場所、にありました。 そちらに戻って右
23区全区境踏破第14回←前へ 次へ→ 前回、JR高架下の「日比谷OKUROJI」「銀座裏コリドー」を通って幸橋ガードまで来ました。 ここで西側、千代田区側に出ましょう。 するとこれまで通ってきた高架の外側が煉瓦造りになっているのが見えます。 これは明治時代の1909年にほぼ完成した、東京駅付近まで鉄道を通すために作られた日本初の高架鉄道です。 120年近く経った煉瓦高架なのですがいまだに現役です。 もちろん鉄筋コンクリートなどで
23区全区境踏破第13回←前へ 次へ→ 江戸城外堀の一石橋から土橋まで、千代田区と中央区の区境が未確定と書きましたが、だいたいこの辺というのは出来上がっているようです。 双方の区の出している地図を見てもさほど差はありません。 区境表記は呉服橋交差点の千代田区寄りから鉄鋼ビルの道路側を通り、大丸前から八重洲口ロータリーの真ん中を突っ切ります。 さらにグラントウキョウサウスタワーの前から鍛冶橋交差点西を通り、旧都庁第三庁舎をかすめ、こ
23区全区境踏破第12回←前へ 次へ→ 前回、2018年に完成した「竜閑さくら橋」を眺めて終わりました。 橋の袂は小公園になっていて、橋の名の通り桜が植えられています。 歩行者専用橋と書きましたが、たいへん有用な橋です。 この橋が架かることによって、神田地区と大手町地区の回遊性が一気に上がりました。 まず、大手町に勤める人の通勤駅として「神田駅」が選択肢に入るようになりました。 大手町の最寄りJR駅は東京駅ですが、結構遠いですし、
23区全区境踏破第11回←前へ 次へ→ 竹森神社からの旧龍閑川跡の細い道を進みます。 少し行くと「岩本町一丁目」の町名由来案内板がある、コンビニ前の小緑地が右手にあります。 目の前の通りは地下を日比谷線が走っています。 昔はここに九道橋が架かっていました。 これを横切り、また細い路地に入っていきます。 ここで左に曲がって、三つ目の角を右手に入ると十思公園があります。 ここは江戸時代の伝馬町牢屋敷跡です。 地下の遺構展示や模型展示、
23区全区境踏破第10回←前へ 次へ→ 神田川に架かる左衛門橋まで来ました。 この橋から下流は北が台東区、南が中央区で、橋の真ん中に三区の境があります。 つまり左衛門橋の西北と西南のたもとは千代田区、東北は台東区、東南は中央区、ということになります。 橋に近づいてみると、橋の四つのたもとはすべて小公園となっており、それぞれ名前がついています。 西北は「千代田区立左衛門橋北児童遊園」(79平方メートル)、西南は「千代田区立左衛門橋南