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【横山大観】日本画 / 絹本・水墨  査定 鑑定 買取 致します

横山 大観
絹本に墨、彩色


◎横山 大観の芸術

横山大観(1868年-1958年)は、日本の近代絵画の発展に大きく貢献した日本画家であり、彼の作品は明治から昭和にかけて日本美術の革新を象徴しています。茨城県水戸市に生まれた大観は、幼少期に母方の横山家を継ぎ、東京美術学校(現・東京藝術大学)に第1期生として入学しました。在学中に岡倉天心や橋本雅邦の薫陶を受け、日本画家としての道を歩み始めます。

1898年、大観は師である岡倉天心とともに東京美術学校を去り、日本美術院の創設に参加。ここで菱田春草と共に「朦朧体」と呼ばれる革新的な技法を模索します。朦朧体は、従来の日本画における明確な輪郭線を取り除き、色彩のぼかしや空間の表現を重視した画風であり、光や空気感を描く新しい表現方法でした。当時の日本画壇からは激しい批判を受けたものの、後にその価値が再評価されます。

大観の代表作の一つに『生々流転』があります。これは40メートルにも及ぶ長巻作品で、自然界の生命の循環を象徴的に描いたものです。この作品は、室町時代の雪舟の『四季山水図』に触発されており、大観が日本画の伝統を深く学びながらも、新たな表現を追求していたことを示しています。

また、大観は生涯にわたって富士山を描き続けたことで知られています。彼は富士山を「日本人の理想」を象徴する存在と捉え、その姿を様々な色彩や構図で表現しました。大観が描いた富士山の絵は1500点以上にのぼり、亡くなる直前まで富士山を描き続けました。

大観の画業は大正時代に入り、さらなる高みに達します。日本美術院の再興に尽力し、琳派の影響を受けた装飾性豊かな作品や、詩情あふれる水墨画を次々と発表しました。戦時中は、国のために積極的に絵筆をふるい、その立場から「国民画家」としての名声を得ます。昭和12年(1937年)には、文化勲章を受章し、日本画家としては初めての栄誉に輝きました。

晩年、大観は時代の変化に流されることなく、自身の理想とする日本画を追求し続けました。彼の作品は伝統と革新の融合を象徴しており、近代日本画の礎を築いた巨匠として、現在でも高い評価を受けています。


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