併合時代の婦人薬「中将湯」の広告。「挙国一致」「千人針」「慰問任務」「防護訓練」「奉公」「非常時」という単語に時局を感じるが、テニスのスコートがこの時代にあったというのはちょっと驚き。支那事変の年である。(東亜日報1937年9月30日)
日本史を学ぶと「日本滅亡危機」に共通点があるとわかります 「白村江の戦い」「元寇」「日露戦争」「大東亜戦争敗戦」 どれも中国と韓国が原因であるということ 先の大戦だってスタートは支那事変。中国の中華思想と朝鮮の事大主義がね… あっ、現在も条件揃っちゃってるんですよね…😔
現在、陣中に生きる本編作成中です。 思いのほか大変だと気づきました~ しかし、おじいちゃんの宿願のために、がんばります!
本日、陣中に生きる-6更新予定です! どれほどの人が戦争の歴史に興味があるのかは未知数ですが、昭和初期にタイムスリップしたような感覚で読んでいただけると幸いです。 応援よろしくお願いいたします!
争いは話し合いで解決すべしという人。南京政府を作った汪兆銘についてはどう思う?。彼こそは事変を「話し合い」で解決しようとした人。彼の死後、蒋介石によって墓は爆破され、土下座する汪夫妻の石像が建てられた。話し合いで戦争を終わらせようとした人間を土下座させるそんな国が中国だ。