母の「講演料」は??~演題は「二二六事件」そして「支那事変」
母の入所している「高齢者施設」に、むかし「法律事務所」で仕事をされていたという「おばあちゃん」がいる。
その「おばあちゃん」が、ちょっとだけ、プライドが高くて「施設生活」に馴染めず、心を閉ざしているという。
施設の「理学療法士のスタッフさん」が、何故か、母を名指しして、一度その方の「話相手になって貰えないか」と言ってきた。
母は、良く分からないままに、言われた通り、その方と会って、お話をしたそうだ。
母に、「どんな事を話したの?」と尋ねると
自分の「子ども時代」の話から、「戦時中の事」を、いろいろ話したらしい。
自分ばっかり、2時間近く喋って、疲れたわ~
と言った。
相手は、母より5歳ほど「年下」のおばあちゃんだ。
「戦争中の話」をしても、当時の社会情勢について、
「その人、殆ど知らないのよ~」と母が言った。
5歳違うと、戦争体験も、その記憶も違う。
戦前から東京に住んでいた人でも、戦時中、「小学生」は、強制的に疎開していたから、当時の社会情勢については、年齢の幼さもあって、よく知らないし、憶えていないのだろう。
母は、昭和4年生まれ「アンネ・フランク」と同じ歳だ。
学校の授業で習う「第二次世界大戦」のキッカケになったといわれる「世界恐慌」の年に生まれた母は、生まれた時から、「戦争」という「社会背景」の中で育ってきた。
「真珠湾攻撃」の時、母は小学校高学年だった。
テレビは無くとも、「新聞」で情報を得ていた時代だ。
だから、母は、当然のように「新聞」を読んでいた。
さらに、母には、「歳の離れた兄たち」がいた。
一番上の兄とは、19歳の年の差があった。
年の離れている「兄たち」に囲まれ、当時の「社会情勢」が、「家族団らん」のテーマだったのだ。
そんな家庭環境で育った母は、1936年「二二六事件」の日の事も良く覚えている。
母は、6歳だった。
この日、東京に、珍しく大雪が降って、母は、雪で、洋服が濡れる事を母親(私の祖母)から怒られながら、家の前で雪遊びをしていた。
一方、母の家族たちは、普段と様子が違ってることに気が付き、「何か起こったらし~」と、父親(私の祖父)に言われて、母の一番上の兄が、自宅があった浜松町(東京・港区)から、虎ノ門の方まで、様子を見に行った。
そして、家に戻ると、その様子を家族に話した。
この時の「家族の会話」を母は、憶えている。
さらに、鎮圧された後、このクーデターを起こした若い将校たちが、処刑された場所が、今の「代々木公園」(東京・渋谷)であることも、母はよく知っている。
戦前「代々木公園」は、陸軍の「練兵場」だった。
母の話だと、当時、「天皇陛下」が、白い馬に乗って、視察に来ていたとのこと。
さらに渋谷には「東京陸軍刑務所」があった事も、母は当然のように知っている。
毎年、2月26日になると、「今日は、二二六の日ね」と言って、よくこの日の話をするが、昨今のテレビで、この事件を取り上げなくなった事には、少し違和感を感じているようだ。
※おもしろい関連記事を見つけたので貼り付けました。
⇓⇓⇓
1937年「支那事変」が起こり、二番目の兄が、徴兵された。
母の「頭の中」には、当時、日本が統治していた「中国の地理」が入っている。だから、自分の兄の出征と「支那事変」の話になると、中国の「地名」を交えながら、母は、もしゃもしゃと話し出す。
母は「支那事変」について、日本が、戦争に突入していくキッカケになった出来事として、彼女なりの「見解」を持っている。
※私の力量不足で、「母の見解」を解説することが出来ませんが…m(__)m
つまり、こんな感じで、確かに母の「むかし話」は、NHK「映像の世紀」にも負けない!!!
で、施設の話に戻ると…
母が一方的に喋ったと思われる「懇談」の時間を
その「おばあちゃん」は、
「大変、楽しかったです。
また、是非、お話したいです。」
と、社交儀礼上、模範的な言葉を言ってくれた。
ところが、
再度、母にオファーが来た。
何故か、今度は、「懇談」の相手が、4人になていた。
全員、母より年下の「おばあちゃん」達だ。
もはや「懇談」というより、
母の話を一方的に聞くという形になったようだ。
それを見ていた「看護師さん」が、
「今度から、講演料、頂かないとね~!」と、母に言った。
母の講演料って、一体いくら???
言い出しっぺの「理学療法士のスタッフさん」は、母の話をメモまで、取って聴いてくれるらしい。
確かに、私も、母の話を聞く時に「ボイスメモ」を利用する時がある。
「疲れるから、もう、今度は断ろうかと思うの~」と言う母に、
喋る事は、口角運動にイイから、
喜んでもらえるなら、
喋ればイイじゃない
と私は言った。
すると
「そうね~!」
とまんざらでもない様子…
確かに、喋ってばかりいるから、
体は、年取ったな~って感じるけど、
頭は、全然そんな感じがしないわ~
と母が言った。
最近、母の「顔つき」が若くなったような気がする。