見出し画像

2024年を振り返って

 気が付いたら、今日は大晦日ですね。今年年末はなんやかんやで慌ただしく、さっきやっと大掃除を終え、年越し蕎麦の用意も出来ました。
 
 2019年にクオン・デ候自伝『クオン・デ 革命の生涯』をホーチミン市の古本屋さんで入手して以来、手探りでベトナムと祖国・日本の歴史を調べて、2022年8月からここnoteで投稿を始めましたが、それ以来、こうして毎年穏やかな年末年始を過ごせるのも、日越先人達の決心と勇気、犠牲心のお蔭だと身に染みて感じます。もしかして、日越史探索のご褒美がこの金欲・物欲から解放された心の安らぎならば、お金では買えない何よりの宝物なので、誠に有難いことです。😊😊😊

 ベトナム≪仏領インドシナ≫と日本の深い関係は、日本の学校では絶対に習いません。何故か、日本外務省と日本教育・歴史界が完全スルーする≪仏領インドシナ史≫。。。ですが、来年も一人で地味に掘り起こしを続けようと思います。。(笑)😂😂😂
 2024年はファン・ボイ・チャウ自伝『自判』と、チャン・チョン・キム回顧録『一陣の埃風』の2冊を翻訳出版出来た実り多き年でした。
 本の出版など全然興味が無かった自分の人生の不思議を感じつつ、これも何かの運命だと腹を括りまして、来年の第一弾は現在投稿中の北一輝先生著『日本改造法案大綱』現代語訳版≫を早め完成し出版したいです。

 どうして『日本改造法案大綱』なの?と不思議に思うかも知れません。しかし、1940年の日本軍の仏印進駐は、1937年支那事変の延長線上にあります。更に『支那事変』の根元には1936年の226事件がある。 ワタシが薄々この事⇧に気が付いて、
 ”これは、面倒でも先に『226事件』をもっと調べないと駄目かもなぁ。。。”
 と思っていた矢先の或る日、机上の本に肘が当たり、床に落ちた本を拾おうとしたら、偶然西田税氏の自伝『戦雲を麾く』の中のベトナム志士陳文安(チャン・バン・アン=陳希聖、チャン・ヒ・タイン)との交流ページだったことは先の記事に書きました。
 そして、クオンデ候の蔭の従者だった日本人何盛三(が もりぞう=赤松盛三)氏が、当時中国滞在中だった北一輝先生を迎えに行く大川周明(おおかわ しゅうめい)先生の旅費を捻出した人物だったという史実も、ワタシの背中を押したのでした。。😅

 そんなこんなの動機で開始した『日本改造法案大綱』現代語訳ですが…

 先日『兵庫県知事問題』からヒントを得て『日本改造法案大綱-226事件-支那事変-国家総動員法』の、欧米式PR戦略の存在を謎解きした記事を投稿できたことは、もしかして現代語訳作業の御利益じゃないかしらと思ったり。また、noteを通して送って頂いた北一輝先生の生まれ故郷・佐渡ヶ島のお墓の写真を携帯画面にして毎日拝んでるので、その御利益かも。😅😅⇩

 そして、一番上の写真は、米子市教育委員会発行の山陰歴史館所蔵『西田税資料』中から抜粋させて頂いた『昭和12(1937)年8月19日北邸の仏間にて 北一輝・西田税の合同葬儀』のお写真でして、左側が西田家、右側が北家です。

 刑の執行前、西田氏が最期に残した八首歌の内の一首です。⇩

 うからはらから世の人々の涙もて
 送らるる吾は幸児なりけり

                昭和12年8月17日

********************

 今年ももうすぐ終わります。
 来年ものんびりマイペースでベトナム史関連の記事を投稿して行きたいと思っていますので、お読み頂ければ幸いです。
 何祐子

 

 

 

 
 

 

 

 
 
 
 

いいなと思ったら応援しよう!