陣中に生きる―33
付記
ひげ
今日は比較的閑散だったので、あちこちでひげそりが始まった。
お互いに持ちよると、安全かみそり・石けん・鏡・はさみ・クリーム等々がそろった。
よくもこんなに揃ったものだと、集団の潜在力について、認識あらたなものがあった。
この集団顔そりは、昨日あたりから弾薬班砲手たちによって始められたもので、上陸以来初めての現象である。
そこで先陣は、ほてい型の江尻大人であった。
大人はすっかり男を上げられ、童顔をこころゆくまで秋風になでさせておられた。
つぎには弾薬班の砲手たちが、今朝あたりから、ポツポツ若返っていたらしい。
しかしあいにくその頃射撃が忙しかったので、敬意を表しにはいきかねていた。
とにかくこれまでは繁茂するにまかせたひげのジャングルも、将来日毎に伐採される情勢になってきたので、いささかその盛観お記録に残して、後日その名残をしのぶよすがとしたい。
ひげで一番は断然木戸である。
この件に関する限り上官といえども、その足もとにもよりつけない。
木戸が鉄かぶとを目深かにかぶろうものなら、いったいどっちを向いているものやら、よほど注意しないと百八十度の大間違いをしかねない。
あごからほほにかけてはさながら大密林で、顔の養分を吸いつくされはしないかと、ひとごとながら気になるほどである。
ところでかぶとをぬぐと驚くなかれ、頭部の八分は砂漠なのである。
世にいわゆる<かぶとを脱ぐ>とは、ここから来てるに違いあるまい。
誰かが、
「木戸よ、お前は頭の上下を間違えてすげてもらったな」
と言ったが、まったくそういった感じで、われわれ見慣れたものでさえ、その関係が異様に感じられてならない。
しかし木戸は言う。
「お前たちこそおかしい。日本一の富士山だって、上の方は砂漠で下の方は密林ではないか」
日本一はともかくとして、言われてみればそれもそうだ。
ところで彼の顔からは、すぐに達磨が連想された。
と言うよりは小達磨そのもので、おそらくその子孫であろうと思われるほどである。
その木戸―小達磨が、きょうは鼻ひげチョッピリを残して、大伐採をやったのである。
壕の中で日記を書いていると、外からこんな話し声が聞えてきた。
「あッ、木戸上等兵殿だったのですか。誰かちょっと分らなかったです」
「おいおい、あんまり冷やかすなよ」
「いや、ほんとなんです。ほんとのこと言ってるんです」
「いよいよ痛いじゃないか」
つづいて爆笑がおこった。
木戸の人相がガラリと変ったので、出会いがしら五十嵐が、ほんとうに見間違えたらしい。
自分も好奇心にかられて出てみると、なるほど大へんな変ぼうぶりで、まるで十二、三歳の少年のようになっている。
ただし、紅顔の美少年とは申しかねた。
そりあとが青々として、大ジャングルの名残をハッキリととどめていたからである。
名残と言えば、彼の意志で鼻ひげだけは残した。
言うまでもなく、申し分のないものである。
「ひげだけは部隊長級だよ」
渡辺がいかにもうらやましそうに、チラリと横目でのぞきこんだ。
すると木戸が、
「ひげだけとは何んだ。部隊長なんか、なりたけりゃいつでもなれる人物なんだ。ウフーン」
とそり返ったので、またドッと吹き出す。
ひげのことでなんとも気の毒なのは、田中上等兵である。
これはまた、酷のようだが<存在価値なし>といっても決して過言ではあるまい。
しかし、戦地では無聊に苦しむこともあるし、軍規にふれることもないので、誰がひげをたてようがそれは問題にならない。
自分のひげはどの程度になるか、そういった好奇心もわくものだ。
そこで誰もが試作してみる。
田中の場合もそれで、別に常軌を逸した行為ではなく、結果がまことに貧弱だったということにすぎない。
この時自分は彼の真向いにおった。
ふと見ると、かすかにそれらしいものが認められるにすぎない。
彼はニタニタ笑いながら、必ずおそってくるであろう酷評に対して、いつでも来いとばかり身構えていた。
そこへ渡辺が、
「おい田中、貴さまの鼻ひげの員数を一分以内に報告しろ」
ときた。
しんらつ極まる言い方である。
<さては一撃のもとに・・・・・。なんと可哀相に・・・・・>と、憐愍の目でそっとのぞく。
ところが意外に、彼はきたえられていた。
「なにィーー、これから枝が生えるんだ。報告はするが時期尚早だ。しっかりせーーー」
と、なかなかどうして負けていない。
そして有り無しのひげを、ごう然とひねり上げた。
勝負は五分と五分五分である。
この時彼は、いつもの田中ではなかった。
なるほどこれがひげの効用かと、その認識を深めた。
次にひげで可哀相なのは、川崎上等兵である。
彼のは、田中よりいくらかましである。
だが気の毒ながら、ひげとしてはまだまだである。
それを自覚しておればこそ、ひげの話を苦手とすること、田中と同類なのである。
今もそろそろ雲行を察して、音もなく消え入るように、田中のかげに寝転んでしまった。
こうなると砂のようなもので、人間は弱みにつけこみたくなる。
「おーィ、川崎ー」
と誰かが呼んだ。
すると彼は、
「いやァー、ひげの話は・・・・・」
と、のっけからしっぽを巻いている。
この姿を見ては武士のなさけとして、これ以上の追討ちはできなかった。
なぜなら彼はこれまでも、ひげでさんざん痛めつけられているし、田中がやられていることは同時に、彼がやられていることでもあったからである。
自分の壕には木戸と川崎がおって、肉親もただなら間柄なのである。
だがもって生れたひげの疎密だけは、今さらどうにもならなかった。
木戸のは前述の通りで、どこへ出しても断じてひけをとらない。
では、そう言う自分のはどうか。
もちろん、公平無私に申し上げる。
それは正に、中庸をえたものである。
言うなれば、木戸と自分の差は、自分と川崎との差に等しいということになる。
しかし、<ひげは濃ゆきをもって尊しとなす>と言われているので、この場合の中庸は、ひげの至れるものであることを意味しない。
とにかく、なにごとも公平にとこころがげても、ひげの落差だけはどうにもならぬことであった。
ここでちょっと不思議でならないことは、おびえる田中や川崎を苛酷なまでに冷やかして、彼らが小さくなればなるほど、快感をおぼえるという心理である。
退屈からくるごく単純ななぐさみ、といったものか。
それとも、自分のひげがいくらかなので、そこから生れる無意識の誇らしさが、弱者に対する優越感にまで増長したものか。
とにかく、それは凡人にありがちな一種の驕慢であり、次の事例をみればよりハッキリしよう。
自分の煙草ケースの裏が、鏡代用にもなる。
そこで暇さえあれば、ひげを映してみたくなる。
そんな時、おのずと比較の対象がほしくなり、水の低き流れるように、劣者の川崎がそれになる。
可哀相だと思いながらも、人間というものは勝手なもので、つい木戸には背を向けて川崎の方に向っている。
すると川崎は、見る見る小さくなる。
かたつむりのように頭を引込める。
それをなおも突っついて、いよいよ苦しめもだえさす。
そこまでいけば満足する。
可哀相にもなってくる。
こういうことがつまりは退屈しのぎに、繰返されているのである。
では、<川崎のひげは一般社会に通用しない程のものなのか>というと、それほどでもないのである。
彼自身もそれを自覚しておればこそ、幾度か苦境に立ちながらも、隠忍自重してきたのである。
われわれにしたって、同じ穴に起居する戦友を、いじめるだけが能ではない。
彼のひげには一つの難がある。
まん中が明瞭に切れているのがそれで、すぐに○○ひげが連想される。
彼のために惜しまれてならない。
そこで、綿を黒く染めて進呈しようか、もっとよい方法はないものかと、日夜心を砕いているのである。
しかし、川崎が裏声のソプラノで<島の娘>でも歌うものなら、それこそ勝太郎そこのけで、あごに数本あるかなしかの山羊ひげすらも、鷲ののど毛のようにいともやわらかに、うち震うのだから不思議である。
十六時半、楽しみの夕食になった。
といっても、十人分のあるの昼までのおかずが、福神漬半罐と馬塩のような塩少量だけである。
でも美男がちょいちょい見えるので、この食糧不足にもかかわらず、なんとなく明るく和やかである。
すぐ隣の高橋に、
「おい、鼻の下にほこりが着いてるぞ」
と親切顔で言ってやると、朴直な彼、箸を持つ手でいきなりはらった。
「まだまだ」
と言うと、こんどはあわてて、続けさまにこすったからたまらない。
みんながドッと笑いこけた。
飯粒を吹きだすもの、福神漬が鼻の穴につまったというもの、吹き出したものが顔中にかかったというもの、その他で被害甚大の大暴れである。
「台風の目は班長殿だ。ひどい!」
と叱られることさんざん。
高橋はもともと、りっぱなひげの持主なのである。
だがそのつくり方が、ちょっと変っていた。
ほんの一筆ぐらい、しかもごく短く、刈り込んでいた。
それを見ると、誰だっていたずらの一つも言ってみたいような、衝動にかられるのだった。
まんまと引っかかった彼も、お気の毒にもさもすまなそうに、顔をかきかき笑っていた。
と、田中の目が、チラリとこちらを警戒した。
「おい田中、鼻の下にほこりが二つ三つ・・・・・」
と言いかけると、飯ごうで顔をかくして、背を向けてしまった。
ぶりょうに苦しむ陣中においては、時間つぶしにこんなことも必要だった。
言うなれば大人のままごと遊びである。
だからこそ猫はもちろん杓子すらも、よろこび勇んでひげをたてた。
「敵を威圧するために・・・・・」
などと意義づけるものもあったが、砲兵の突撃なんてほとんど無いのだから、ハッキリ言ってそんなことは理由にならない。
かりに敵とわたり合うことがあるとしても、チョボひげやほこりひげなど、逆効果でしかあるまい。
要するに退屈しのぎ以外の、何ものでもないのである。
それは平気で辛らつな批評をしたり、それをまた笑って受け流している、といったことでも分ろう。
妙なもので、どんなひげでも立てはじめると、なんとはなしに、一つの楽しみであり慰みでもあった。
男ごころにもこんな一面があることを初めて知って、ひとり笑いしたりもした。
ことに、退屈しのぎに顔をそり合ったり、壕の中でひげをととのえたりすることは、自由にはばたいているような自己満足でもあった。
ちょっとこっけいな道具だてでやるのだが、仕上げは案外きれいにできるのである。
たんまに晴着をきると、どこかシックリしないものだ。
彼らのひげの場合も、そういうところがやはりあった。
それでも取澄ましているので、それが退屈連中を刺撃して、ワンサとはやし立てられることになる。
けっきょくは、どちらもそれで慰められ、満足しているのだから罪はない。
戦地には美女はおろか、醜女すらもいないんだから。
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