先日、家康VS秀吉 小牧・長久手の戦いの城跡を歩く(著者 内貴 健太 岩崎城学芸員)を購入し気が高まったので岩崎城にいってきました。小牧・長久手の戦いの岩崎城の戦いでは、池田恒興隊を200で迎え撃つというカッコよさ!城代だった丹羽氏重は討死してしまいます・・続きは、また後日。
今日は、「どうする家康」関連の特別展何かやってるかなあと思い、長久手古戦場跡にある長久手資料室へ行ってきました。特別展は22日からだったので、常展の見直しを。中入り作戦の是非はともかく、犬山小牧を出てからの徳川軍の速さ、豊臣軍の足並みの乱れが勝敗を分けてるなと改めて思いました。
小牧長久手の戦いと徳川四天王展に行ってきました。 小さい資料館で展示物は少ないのですが、やはり特別展! 見ごたえがあるので楽しいです! ボランティアガイドさんの解説も聞けてお話も出来て大満足です。 次は、岩崎城です! 秋の現場活動や発信業務にむけ当面資料館通い楽しみます。
天正12年(1584)4月6日は小牧で家康・織田信雄と対峙していた秀吉が三河に向けて別動隊を出した日。羽柴秀次を総大将に池田恒興、森長可、堀秀政を擁した三河奇襲作戦。これを察知した徳川軍が翌日夜ひそかに小牧山を出て長久手合戦が始まる。先に動くことが吉と出るか凶と出るか難しいです。
天正12年(1584)4月9日は徳川軍が長久手の戦いで羽柴軍を破った日。小牧で家康と対峙する秀吉は羽柴秀次を総大将にして別動隊を三河へ向かわせた。察知した徳川軍とこの日激突。秀吉は池田恒興・元助父子、森長可といった武将を失う敗北を喫した。この後は再び睨み合いへ突入し停戦へ向かう。
天正18年(1590)5月27日は秀吉の小田原攻めの陣中にて名人久太郎こと堀秀政が病没した日。信長の側近として頭角を現し秀吉にも重用された。小牧での対陣から徳川の三河を目指し別動隊として参加した長久手の戦いでは池田恒興、森長可が討死する中で秀政は反撃し別働隊の崩壊を防いだという。
天正12年(1584)11月15日は織田信雄が家康に無断で秀吉と単独講和を結んだ日。信長の次男・信雄は家康を味方にして台頭する秀吉と対立。4月の小牧・長久手の戦いを中心に睨み合っていたが自分の城を次々落とされていた信雄が所領割譲を条件に講和。戦う大義名分を失った家康は帰国した。