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LanLanRu歌紀行|小牧小学校 校歌

舞台:1584年 /  日本

懐かしい歌がある。
6年間通っていた、小学校の校歌だ。

おわりーへいやをかんかして
たいぜんとーたつこまきやま
むーかしとよとみとくがわが
りゅうこのせいをはりしちぞ。

あるときは晴れ渡った運動場で、またある時はひやりとした体育館で、集会などのあるたびに、私たちはこの校歌を大声で歌っていた。
結構楽しく声を張り上げていたのだが、白状してしまうと、歌詞の意味などはまるでわかっていなかった。
すぐそこにある「こまきやま」はわかる。けれども「たいぜんとーたつ」とは?「とくがわ」とは?「りゅうこ」って何?
平仮名を覚えたばかりの1年生には難しすぎる。いくつか漢字を覚えた3年生にもわからない。わからないからといって、先生に聞いたり、辞書なんてものをわざわざ引いたりもしなかった。

歌の歌詞を本当に理解したのは、やっと6年生になってからのこと。つまりこういうことなのだ。

尾張平野を 瞰下して
泰然とたつ 小牧山
むかし 豊臣 徳川が
龍虎の勢を はりし地ぞ


私たちの通っていた小学校は、愛知県、小牧市、小牧山のほど近くにあった。ここは昔戦国の頃、「小牧・長久手の戦い」の舞台になった場所で、信長なき後、豊臣秀吉と徳川家康がこの辺りで、天下の覇権を巡って争っていたのだった。

この時、徳川家康が陣を築いた小牧山は、私たちにとって格好の遊び場だった。ふもとには公園があるし、夏休みにはいくつかある上り口を、今日はこちら、明日はあちらと探検したりもした。近くの中学生もよく来ていた。部活かなんかで坂道ダッシュをしていたりする。
子供の足でも苦もなく登れるので、小牧山は、実はそんなに高い山ではない。けれども、高速道路などから見るとよくわかるのだが、広い濃尾平野にぽつんと一つだけ突っ立っているので、頂上からの見晴らしはとてもいいのだ。美濃方面を一望できるので、陣を張るにはもってこい。だから徳川家康はここに本陣をかまえたのだろう。

■ 補足

もっとも最近では小牧山、家康以前に信長が城を築いた土地として注目をされている。
信長という人は、既成概念を覆すようなことをいくつもやってのけたが、「城」というものにも革命を起こしている。清州城から小牧山城、岐阜城から安土城へと、その時々の必要から、信長は各地に拠点を移しているが、信長が天下人へと変身するに従い、城の方も「戦いの拠点」としての城から「政治的な拠点」としての城に役割を変えていったのだった。
小牧山城は信長にとっては、美濃の斎藤家を攻める拠点としての城だった。最近では小牧山でも発掘が進んで、信長時代の石垣が発見されたが、これが実は大発見。「土づくりの城」が当たり前の時代に、はじめて「石垣の城」が作られたのが、この小牧山城だったことが分かったのだった。


〈参考文献〉
・れきしるこまき(小牧山城史跡情報館)
 http://www.komakiyama.com/rekishiru/


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