吉川弘文館『本郷』Web編集部

こんにちは。安政4年創業、”歴史”という切り口で本を作っている出版社です。隔月発行のPR誌『本郷』に掲載したエッセイから各号数本をセレクトして随時公開中です。吉川弘文館を知っていた人も知らなかった人もnoteを読んで”歴史”は思っていたより面白い!  と感じてくれたら嬉しいです。

吉川弘文館『本郷』Web編集部

こんにちは。安政4年創業、”歴史”という切り口で本を作っている出版社です。隔月発行のPR誌『本郷』に掲載したエッセイから各号数本をセレクトして随時公開中です。吉川弘文館を知っていた人も知らなかった人もnoteを読んで”歴史”は思っていたより面白い!  と感じてくれたら嬉しいです。

マガジン

  • 日本外交の課題を考える

    2024年2月に刊行した『Q&Aで読む日本外交入門』。それを記念して『本郷』171号に収録された鼎談を、4回に分けて特別公開いたします。 編者である片山慶隆・山口航両先生に加え、『日米安保と事前協議制』などの著書があるロイター通信日本支局長の豊田祐基子先生をお迎えし、日本外交の課題について語っていただきました。 ロシアによるウクライナ侵攻や台湾問題をはじめとした東アジアの安全保障環境など、緊迫化する国際環境のなかで日本の外交はどうあるべきか。過去・現在・未来を考えます。

  • 豊かな江戸時代像の構築を目指す

    刊行中の『家からみる江戸大名』(全7冊)に因んだ、各巻の著者の方々によるエッセイを掲載します。太平の世、藩主となった大名は、いかに「家」を築き領地を支配したのでしょうか。代表的な大名家を取り上げ、歴代藩主の個性と地域独自の文化・産業にも着目ながら、豊かな江戸時代を描き出した各巻の魅力を語っていただきます。

  • 新たな近世史像へ誘う

    刊行中の『日本近世史を見通す』(全7巻)に因んだ、各巻の編者の方々によるエッセイを掲載。多様で豊かな研究成果を結集し、その到達点を分かりやすく描き出した本シリーズの魅力をご紹介いただきました。ぜひご一読下さい。

  • 学生編集者の挑戦

    本企画は昭和女子大学の学生有志と吉川弘文館との連携プロジェクトです。学生視点での歴史の面白さを、『本郷』誌上で発信しています。ここでは、誌面に収まり切らず泣く泣く掲載を断念した記事をアップします。本誌と合わせてお楽しみください!

  • アイヌ研究の新潮流

    昨年(2022年)6月に刊行した『アイヌ文化史辞典』。これから4回にわたって、編者4名によるエッセイを掲載します。 考古学・歴史学・人類学の最新成果からは、いままでにない〝新しいアイヌ像〟が浮かび上がってきます。

最近の記事

最愛の夫が遺した絵――Museum Collection #10 戦没画学生慰霊美術館「無言館」

最愛の夫が遺した絵 「夫は本当に優しい人だったの。お腹が空いていても『自分は食べたから』って言って、母親や私にお芋を分けてくれたりね。優しいのよ、ものすごく」  夫・雅(ただし)さんについて語る川﨑文子(かわさきふみこ)さん。昨夏、東京のご自宅でお話をうかがった。結婚生活は二年足らずだったが、思い出話は尽きない。  川﨑雅は明治四十五年(一九一二)香川県生まれ。東京美術学校(現・東京藝術大学)日本画科に入学し、昭和十年(一九三五)卒業。在学中に帝展(現・日展)に初入選し、そ

    • 『Q&Aで読む日本外交入門』刊行記念鼎談 日本外交の課題を考える #4

      外交を語る環境 ――軍事的忌避感という理由もありますが、政策担当者側が国民への説明・説得を諦めていたり、そもそも意味を感じていなかったりすることはありますか。  山口 吉田茂をその典型と見ることができるかもしれません。彼は自身の頭で外交戦略を練っていましたが、必ずしもそれを国民に意を尽くして説明することはなかった。その後の日本外交もそうした悪い伝統が残っているという指摘はありうると思います。  なお、そうした思考に陥っていった原因の一つに、イデオロギー対立という時代背景が

      • 『Q&Aで読む日本外交入門』刊行記念鼎談 日本外交の課題を考える #3

        台湾有事問題とパブリシティ  豊田 二〇二一年、安倍晋三元首相が、「台湾有事は日本有事」と発言しました。国内世論に対し、緊張度を増す台湾海峡情勢と日本の関わりを認識させた点で意味がありました。しかし、このことは今に始まったわけではなく、沖縄返還合意の際にすでに台湾へのコミットメントを日米共同声明上に明記しているわけです。本来であればどこかの段階で政府の本来の意図を説明する機会が必要だったわけですが、国民は蚊帳の外でした。また、世論上では台湾有事の際に日本も中国を攻撃しなけれ

        • 『Q&Aで読む日本外交入門』刊行記念鼎談 日本外交の課題を考える #2

          日本外交に求められるもの ――では次に、日本外交に必要なこととは何でしょうか。  豊田 『外交入門』でも書いておられましたが、「自由で開かれた」秩序をどのように維持するかは大事なテーマです。これは民主主義といった価値観の面から語ることも可能ですが、私は自由貿易の維持が一番重要ではないかと考えています。資源に乏しい日本にとって、これがなくなるのは死活的です。たとえば開かれたシーレーンを維持するには何が必要か、考えなければなりません。そうした意味で、先ほど言及した「ミドルパワ

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        • 日本外交の課題を考える
          4本
        • 豊かな江戸時代像の構築を目指す
          6本
        • 新たな近世史像へ誘う
          7本
        • 学生編集者の挑戦
          3本
        • アイヌ研究の新潮流
          4本
        • 変貌する東国史を読み解く
          6本

        記事

          『Q&Aで読む日本外交入門』刊行記念鼎談 日本外交の課題を考える #1

          揺れ動く国際環境と日本 ――本日は、二月(二〇二四年)に刊行されます『Q&Aで読む日本外交入門』(以降『外交入門』)の刊行記念鼎談にお集まりいただき、ありがとうございます。編者の片山先生・山口先生、ゲストとして豊田先生にお越しいただきました。二〇二〇年代に入りロシアのウクライナ侵攻やガザ戦争など大規模武力衝突が現実化しております。日本においても東アジアの緊張化が叫ばれ、対岸の火事ではないと思いますが、まず現在の安全保障環境や課題からうかがえればと思います。  山口 大きく

          『Q&Aで読む日本外交入門』刊行記念鼎談 日本外交の課題を考える #1

          主君を諫めるときの言葉―仙台伊達家の場合― J・F・モリス

           仙台伊達家は、一八世紀中葉から一九世紀前半にかけの宝暦、天明、天保の三大飢饉を経て、大名統治の正当性についての考え方が大きく変化した。大名の絶対的優位性を捨てて、大名自身も「国民」あっての大名家という認識に転換する。大名権力の濫用から人々を守る第一の勢力は、一門衆だった。一門がこの役割を獲得するのは、四代大名綱村(一六五九―一七一九)の時だった。  仙台藩の一門は、宗家の分脈として儀礼的な場面において他の家臣を凌ぐ地位にあった反面、藩の役職に就かず日々の政治運営に携わらな

          主君を諫めるときの言葉―仙台伊達家の場合― J・F・モリス

          前田家の近代と旧重臣家 宮下和幸

           加賀前田家といえば、「百万石」のフレーズを用いて語られることが多く、そのイメージに覆われていることは否めない。本巻(『前田家―加賀藩―』)では、そのイメージをひとまず横に置き、大名家としての前田家、そして「御家」のあり方を意識しながら叙述している。前田利家から前田慶寧までの歴代における婚姻・江戸城殿席・武家官位・陪臣叙爵などを取り上げながら、前田家が「外様の徳川大名化」の典型例に位置付けられることを明らかにし、さらに「御家」の確立・維持に注目して、前田家が将軍から天子、そし

          前田家の近代と旧重臣家 宮下和幸

          いにしえの輝きを取り戻した古代刀剣――Museum Collection #9 宮崎県立西都原考古博物館

          いにしえの輝きを取り戻した古代刀剣  宮崎県立西都原(さいとばる)考古博物館は、豊かな自然環境と優れた歴史的景観を今に伝える特別史跡西都原古墳群と一体となったフィールドミュージアムとして二〇〇四(平成十六)年四月に開館しました。今回は、当館の逸品の一つである「研磨刀剣」をご紹介します。  「研磨刀剣」とは、南部九州特有の古墳時代墓制の一つである地下式横穴墓から出土した刀剣三振を新たに研ぎ直したもので、小林市野尻町(のじりちょう)の大萩(おおはぎ)十四号地下式横穴墓から昭和四

          いにしえの輝きを取り戻した古代刀剣――Museum Collection #9 宮崎県立西都原考古博物館

          「人からみる」大名家 根本みなみ

           全国に大名家は数あるが、萩藩毛利家ほど多くの人がイメージを抱きやすい大名家も他にないのではないだろうか。しかし、「中国一〇ヵ国の覇者」ではなく、「明治維新の立役者」でもなく、「江戸時代の毛利家がどんな大名家だったか」となると、話は違ってくるかもしれない。実際、萩藩毛利家という「家」は仙台藩伊達家のように大規模な御家騒動を経験することもなく、鹿児島藩島津家のように将軍家に御台所を送り込むことに成功し、武家社会の中心になるようなこともなく、少々言い過ぎかもしれないが、ごくごく一

          「人からみる」大名家 根本みなみ

          代数問題にみる井伊家 野田浩子

           江戸時代の大名は一般に「藩主」と表現される。「藩」の一文字で江戸時代の大名家による地域行政組織を示すことができ、一般向けに簡潔な文章を書く際には便利な言葉である。  しかし、彦根藩主井伊家の代数をあらわす場合、「藩主」ではなく「当主」を用いるようにしている。前職の彦根城博物館学芸員時代もそのようにしており、このたび上梓した『井伊家―彦根藩―』でも同様にした。井伊家の場合、藩主と当主で異なる二つのかぞえ方が並存しているためである。  国替えした大名家では、当主と藩主の代数に

          代数問題にみる井伊家 野田浩子

          南部家のあり方と藩主の個性 兼平賢治

           盛岡藩南部家といえば、鹿児島藩島津家や中村藩相馬家とならんで、中世以来、転封などすることなく、同じ地域を支配した大名として取り上げられる。そうしたことから、南部家は旧家であり、旧族外様大名として分類され、古くからの歴史や文化を伝える大名家、というイメージが強い。実際に、南部家の家中の者たちのなかには、自分たちを旧家の譜代として、武を重んじ、そこにアイデンティティを持っていた者たちも多かった。  しかし、実態としてみると、盛岡藩主家となる三戸南部家は、中世においては、現在の

          南部家のあり方と藩主の個性 兼平賢治

          新視点からよみとく江戸時代 野口朋隆

          〔刊行の意図と目的〕 現在、大河ドラマでは、駿河の大名今川家の人質となったものの、やがて三河国を統一して天下人にまで昇りつめた徳川家康を主人公とする「どうする家康」が放映されている。徳川家康は、慶長五年(一六〇〇)、関ヶ原の戦いで勝利し、同八年、征夷大将軍となり江戸幕府を開いた武将として、学校教育でも必ず習うことから、日本人にとって最もなじみの深い歴史上の人物の一人といえるだろう。もっとも注意したいのは、家康が自ら「江戸幕府を開いた」と言ったことはないということである。征夷大

          新視点からよみとく江戸時代 野口朋隆

          ドナウのほとり 小野 昭

           はたと行きづまるときがある。考古資料がわずかで、解釈の可能性をいくつかに絞っても一つに収斂させることができず、いずれの場合でも反論可能な事態になるときである。仮説を立てても追証・反証の定点がきまらない場合もよくある。民族誌例に依拠して解釈する人もいるが、わたしはそれを避け、地域は離れていても同時代の遺跡で遺物がよく残っている事例を調べる方向で進んだ。  氷河時代末のドナウ川源流域は日本列島の更新世末から完新世への移行期を調べる際、広域比較の可能性をそなえた地域である。考古

          ドナウのほとり 小野 昭

          成朝―鎌倉時代仏師列伝 外伝― 山本 勉

           昨年上梓した『鎌倉時代仏師列伝』では、鎌倉時代(一一八五~一三三三)の事績が知られる仏師を項目としてとりあげたが、確定作品が現存することも採録の条件とした。仏像の銘記や納入品に仏師名が多くあらわれるようになった、この時代の有力作家であっても、確かな現存作品にめぐまれず、『列伝』に洩れた者もいる。成朝(生没年不詳)もその一人である。  成朝の系譜と後白河院政期の奈良仏師 成朝は奈良仏師の正系をつぐ康朝の子で、仏師の祖定朝から数えて六代目の直系である。その名は便宜的に「セイチ

          成朝―鎌倉時代仏師列伝 外伝― 山本 勉

          電気あんかと「寝床という社会」 近森高明

           電気あんかというアイテムは、私の記憶のなかで祖母の存在と強く結びついている。小学生の頃(一九八〇年代中頃)、寒い時期に祖父母の家に泊まりにゆくと、夜、祖母の手によって客間に布団が敷かれ、足もとには電気あんかが仕込まれているのが常であった。隙間の多い木造建築のため、部屋自体は寒いのだが、布団のなかはひじょうに温かい。いや、むしろ熱すぎるくらいで、よく夜中に掛け布団をはね飛ばすことになった。孫がやってくると過保護モードが発動する祖母は、つい厳重に布団や毛布を積み重ね、電気あんか

          電気あんかと「寝床という社会」 近森高明

          城絵図の愉しみ 竹井英文

           筆者の研究室には、常に城絵図が飾られている。地元だけに、研究室内の衝立には仙台城の絵図を、ドアの内側には白石城の絵図を「常設展示」し、ドアの外側にはおおむね月替わりで各地の城絵図(最近では赤色立体地図など現代的な図も)を貼り出している。学生はあまり気にならないようだが、意外にも廊下を通る他学科の教員がたまに見ていたりするのが面白い。筆者も、休憩時間にお茶を飲みながら何気なく見ては楽しんでいる。城絵図の世界はなんとも魅力的である。  特に近世城郭については、全国各地にさまざ

          城絵図の愉しみ 竹井英文