豊臣秀吉が徳川家康を討てなかった天正地震という史実
危急存亡(ききゅうそんぼう)
→ 危険が迫り、生きるか死ぬかの瀬戸際にある状態。
地震大国の日本では、定期的に大きな地震が起きる。
2021年時点の大地震については、以前まとめたブログがあるので、興味のある人は下記を見てもらいたい。
【2021年】日本国内で起きた地震の数と地震の歴史
震度5以下の地震を列挙していないにも関わらず、これだけの大地震が起きている。
日本に住んでいる以上、震度3程度の地震を経験したことがないという人は皆無だろうが、震度3程度の地震でも結構な恐怖心がある。
昨今叫ばれているのは、南海トラフ地震だが、実は歴史を振り返ったときに同じような地震が起きたことがあることを知っているだろうか?
豊臣秀吉が徳川家康の討伐ができなかった理由
織田信長が本能寺の変で非業の死を遂げた後に天下統一を果たしたのが豊臣秀吉である。
そして、徳川家康が1603年に征夷大将軍に任官し、江戸を本拠として江戸幕府を誕生させたことは日本史で学ぶので誰もが知っている史実だろう。
そんな江戸幕府の時代はいわゆる戦国時代で、天下統一に向けて様々な戦いがあった。
この時代は個人的にも好きな領域なので改めて書くとして、今から遡ること約400年前の安土桃山時代の話をしよう。
織田信長の亡き後、天下統一を成し遂げた豊臣秀吉は、実は徳川家康の討伐を計画していたのだが、地震によって諦めざるを得なかったという話だ。
いやいや、豊臣秀吉と徳川家康といえば、1584年に起きた小牧・長久手の戦いで両者がぶつかり合い最終的には両者が講和を結ぶ形になったと記憶している人も多いだろう。
この小牧・長久手の戦いで局地戦では家康方が勝利を収めているということもあり、秀吉は家康に対して徹底的な懐柔策を取ったという。
その結果、臣下の礼をとらすことに成功したというのが定説である。
ところが、小牧・長久手の戦い以後も秀吉は家康を潰す気だったようで、準備万端に整えていたという話がある。
そして、秀吉がまさに攻め入ろうかというタイミングで起こったのが、天正地震というわけだ。
1586年1月18日に発生した天正地震
この天正地震は、近畿地方をはじめ北陸地方や東海地方の一部という広い範囲において大きな被害が発生した。
とりわけ、秀吉が家康討伐の際に兵を展開させる予定だった美濃や尾張といった地域は、壊滅的な状況に陥ったと伝えられている。
一方で、三河地方など家康の領国は、ほとんど被害が出なかった。
ということで、この地震による大きな被害で、秀吉側は戦どころでなくなったとみられている。
さらにこの天正地震では、内ヶ島氏(うちがしまし)という氏族が滅亡してしまうという出来事も起きた。
内ヶ島氏は、飛騨国の一部を治め、金山などの鉱山経営によって巨財をなしていたとされている氏族だ。
そんな内ヶ島氏が、天正地震によって発生した山崩れによって、居城の帰雲城(かえりくもじょう)やその城下町もろとも土砂に埋まり滅亡したのである。
この史実が、今でも埋蔵金伝説として語り継がれるきっかけになっているのだが、このことも秀吉が家康討伐を諦める1つの要因となったという。
豊臣秀吉と内ヶ島氏の関係
内ヶ島氏は、小牧・長久手の戦いにおいて秀吉とは敵対していたが、出陣していた留守の間に領土や居城を奪われ、秀吉に降伏する。
通常は領地の召し上げということになるはずが、豊臣秀吉はほぼ本領安堵で内ヶ島氏を許すという行動をとった。
秀吉の目論見は、恐らくは内ヶ島氏が持つ鉱山経営のノウハウの取得、それから貯め込んでいた金だったとされている。
ところが、それも天正地震によって灰燼に帰してしまう形になったのである。
徳川家康討伐に使うことを見越していた資金を、豊臣秀吉は失うことになったという話だ。
冒頭に述べたが、史実では、豊臣秀吉亡き後に関ヶ原の戦いを経て江戸幕府を開くことになる徳川家康。
ただ、仮に天正地震が起きていなければ、家康は秀吉に滅ぼされてしまい、今とは違った歴史をたどっていたと可能性も十分にあり得るという話である。
まあ、タラレバをいっても仕方がないのではあるが。
徳川家康が開いた江戸幕府260余年でも起きていた大地震
史実に基づき、徳川家康が江戸幕府を開き、約260年という長い間の時代を築くわけだが、その間にも実は地震をはじめとした自然災害は度々と起こっている。
中でも、わずか4年という短い間で起こった元禄地震と宝永地震、そして宝永大噴火が有名だ。
1703年に発生した元禄地震は、房総半島南端の野島崎から南側の海底が震源とされており、相模地方を中心とした関東一円で大きな被害が発生。
その4年後に起きた東海道沖から南海道沖が震源域とされる宝永地震では、東海地方から九州地方にかけての広い地域を激しい揺れが襲ったという。
さらに、この宝永地震のわずか49日後には富士山が大噴火を起こし、関東平野の広範囲に大量の火山灰を降らせたのだ。
例えるなら、関東大震災の4年後に南海トラフ三連動地震が起きて、その直後に富士山の巨大噴火という想像を絶する自然災害のオンパレードということになる。
ちなみに、その頃の将軍は犬公方として知られる5代目の徳川綱吉である。
当時の幕府は、従来の貨幣を回収し、金、銀の含有率を下げるなどしたうえで再流通させるという、いわゆる貨幣改鋳の真っ最中だった。
この貨幣改鋳が江戸の庶民からはとても不評だった。
その結果、宝永大噴火が起きた際には、幕府が悪貨を流通させて私腹を肥やした報いだという根拠のない迷信も噂されたという。
まとめ
少しの歴史を切り取ってみても、いかに日本が地震大国で自然災害の多い国だということか理解できるだろう。
島国で国土の約67%に当たる、3分の2が森林に覆われていてその中には火山もある。
危険を煽るつもりは甚だないが、宝永大噴火以来、大規模な噴火が起きていない富士山は約350年ほど大きな噴火をしていない。
太古からの歴史を紐解くと、100年から200年に一度は大きな噴火を起こしているので、いつ爆発してもおかしくはないという見方もできる。
とはいえ、この絶妙な島国は世界一の水が豊富な国で、それが絶景や世界で最高峰の食文化にも繋がっているという事実もあることも主張しておきたい。
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