高みから浅い方へと流れるから、水は澱まず循環する。 おなじく精神や魂のありようにも高低差は必要不可欠なもの。差がないと何の学びもないし、何の循環も生まれない。高いからいい、低いから悪いのではなく、それぞれのあり方が完璧にそこにある。 善悪を生むのはジャッジがあるからなだけ。
善悪の彼岸をこえたところにある地平を人は探し続けている。 正義は人の数ほどあるものだけど、人としてこの地球に生きているからこそ正義はぶつかるもの。 その先は、愛を自分なりのやりかたで実践する時に見えてくる地平。 ロジックだけでは見えてこない実践の先に、私たちの目指す世界がある。
ここ「note」には何故か、「ニーチェ」の「神は死んだ」という言葉の解釈を間違っている人が多い。言葉通りに「神は死んだ」「神を全否定した」と理解している若者が多い。書物が読めていないではないか。わざわざ、彼らのために記事を書いた。https://note.com/jean_fr/n/n5be4f1506e8b
何事かを成す人間は、己の中に確固たる信念や物差しを持っている。 私の場合は「人間の自由のために斗う」。どんな理由があろうと、暴力で人類の尊厳と希望を脅かす者は、人の魂を喪った邪悪な怪人と同じだ。 https://note.com/dulduine/n/naa6ce9d29ba6
『心王【しんのう】 仏教用語。心作用の主体となる識のこと。心王に従属して働きをなすのが心所である。心所の王という意味からこの名称が生れた。』 (ブリタニカ国際大百科事典) 『養心王:心王を養う。 心それ自体を養うこと。』 http://y-tagi.art.coocan.jp/ten0076.html