Yamashita Shunsuke

昭和六十四年六月三十一日生まれ。 『ドーナツ化する個』(心野書房)、『不可能と無能、…

Yamashita Shunsuke

昭和六十四年六月三十一日生まれ。 『ドーナツ化する個』(心野書房)、『不可能と無能、こことよそ』(ブルーアイランド)

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  • ポッシブル・ジャーマニ/第三部 重力

    In Possible Germany and Likely Japan

  • ポッシブル・ジャーマニ/第二部 追憶

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  • ポッシブル・ジャーマニ/基点

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  • ポッシブル・ジャーマニ/第一部 嘔吐

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  • ポッシブル・ジャーマニ/序

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【前提】(Kに宛てて)

【原則】ぼくは「山下峻介でありつづけるようと自らの規範に則り、だが同時に偶然に身を委ねながら、必死に全力で歩き続ける」ことを望むと前に伝えたね。そう、これが最も求めていること/ぼくの目標だ。 まずはこれを出来るだけ説明しておこう。 まずは山下峻介らしい言い回しで原理をお伝えする。 ① まっすぐ歩きたい、けれどそれは意外と難しい——山下峻介という多面体は大きなカオスを孕んでいる。 ② ぼくは歌を作って歌える——ぼくは自分の作ったものを味わうことに大きな悦びを見出している。つまり

    • 【言葉を用いて:エクリチュールとパロール】

      (前置き) エクリチュールとは書面(でのやり取り)、パロールとは発話(会話でのやり取り)を意味する。この両者はそれぞれは我々の言語活動を制限すると同時に実現する、生存における土地/環境のようなものであり、どの土地/環境に産み落とされたかに依存し、用いる言語や人格が異なるように、エクリチュールとパロールは我々の思考を一定の狭い枠組みにはめると同時に、枠組みのあるがゆえに我々の思考が一定の形を与えられ意思疎通が可能となる。むろん、どの土地に育つかで(例えば、田舎/都会)それぞれ

      • 【オアシスではAIが湧いている】

        AIは我々に新しい革命をもたらすだろう。これは間違いない。AIは我々の面倒と手間を完全に消しはしないものの、しかし大半の面倒をなくしてくれる。「想像→実現」プロセスを圧倒的に効率化してくれる。だから基本的に、これは大いなる恩恵だ。だが、産業革命が、フランス革命が、他の様々な革命が本当に人に幸福をもたらしたのかを考えてみると、やはり幾らか疑問はある。人の平等から派生した選挙制度を例に取れば、一人一票という平等は本当に正しいのか、甚だ疑わしい。産業革命もまた、生産力の莫大な増加で

        • 【ひとはどこまで他者を傷つけていいのか:本論Part3】

          〈自らの判断基準を有している、あるいは行動規範を確立したいと望むきみに〉 ⒈ どこに配慮を向けるか——損なわないように 損なうとはなんだろう。ここは経験に目を向けよう。ぼくは様々に人を損なってきたように思う。人を馬鹿にして軽視して、彼らの良心を無碍にしてきた(あの子の純粋な好意とか、あいつの下手くそな愛情表現とかを役に立たないって切り捨ててきたよね)。そして同時に、誰かに、あるいは自分自身によって、ぼくらは様々に損なわれた。目指した夢や求めた理想は、それが未熟で脆く柔いが

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        【前提】(Kに宛てて)

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          【ひとはどこまで他者を傷つけていいのか:本論Part2】

          〈あなたは/かれらはなぜ決して人を傷つけてはならないのか〉 判断基準が欠如している原因は二つある。一つは危機意識の欠落と自己尊重への手抜かりの複合だ。これは「赤信号でも交通状況を丁寧に確認せず渡」り、「人を殺してはいけないのは、人には人権があるからだ」などと法律遵守の回答を行う人に当てはまる。このような人は、他者を守るとか、目標を達成するという旗印で自分が傷つくのを厭わない。けれど振り返って冷静に考えてみれば、自分はボロボロだ。誰かに守って貰うしかないほどに弱くなっている。

          【ひとはどこまで他者を傷つけていいのか:本論Part2】

          【ひとはどこまで他者を傷つけていいのか:本論Part1】

          Ⅱ.本論〈結論〉 長い序論に逆らって/序論が長いが故に、結論を先に述べよう。結論は二つだ。 ① 決して人を傷つけてはならない。決してだ。 なぜなら人を損なうことであなたは自らを損なう。自らの平穏な暮らしや愛する人の安心安全と無事を望むのなら、守ると決めたもののために、あなたは他者を傷つけてはならない。あなたが戦うのはあなただけだ。誰も損なわないように、あなたは戦うのだ。 ② あなたは他者を傷つけていい。どこまでも深く烈しく。 むろん、損なってはならないが、もし相手を

          【ひとはどこまで他者を傷つけていいのか:本論Part1】

          【ひとはどこまで他者を傷つけていいのか:導入】

          Ⅰ.長ったらしい前置き——存在についての補足 「傷つける」という言葉は少なくとも多少の関わり合いを孕んでいる。「関わり合うのはなにか」と問えば、それは認識のレベルにおいては「個人と個人」であり、本質においては「存在と存在」だ。ゆえに、まずは存在に対する概念を整理し、複数の心象を堆積(→→→発酵)させておくべきであるように思う。 〈K、海へ〉 存在は歪んだ卵だ(存在はドーナツであるわけだが、ここは存在を歪んだ卵だと想像しよう)。この固い殻の中からなにが孵るかだれも知らない

          【ひとはどこまで他者を傷つけていいのか:導入】

          【「わかる」と「できる」】

          (前置き) 人はどうやって新たな座標系/概念(→→思考体系)を「刻み付ける/植え込む」のか。つまり人はどう成長するのか? 人を育て、人を変えるとは、時に虐待とも思えるほどに苛烈な方法で他者に新しい概念を刻みつけ、時に愚直な農夫のように丹念に農作業に——田植えに、水の管理、雑草の除去に、害虫の駆除——勤しむというものだ。 (「わかる」、「できる」) ご存じの通り、「わかる」は自分が理解していると考えるその各位に応じて、レイヤーが異なる。「できる」もまた同様だ。例えば、生徒

          【「わかる」と「できる」】

          【地団駄を踏む】

          【(過去の集積としての純粋な)歴史とどう向き合うか】 (負債) そもそも、人と人とが関わり合うとはつまり、互いに負債を負わせ合うということだ。 おれがKにLINEメッセージを送ると、Kは「返事をしなくっちゃ」って義務感を抱くだろうし(つまりぼくはKにある責任を課している)、逆にぼくはKに対して幾らか「面倒な文章を送りつけてごめんちゃい」っていう負い目を感じる(さらに冗談っぽい比喩を言えば、ババ抜きでジョーカー渡しちゃったみたいな)。 同様に、新しく生まれ、大人へと育つこと

          【地団駄を踏む】

          【偶然を愛そう?】

          ところで、『偶然を愛そう!』とは以下の多面的な見解より成り立っている。 「ぼくは正しい選択をしたい」 「完全な選択など不可能だから諦めなさい」 「選択をした過去の自らを信じなさい」 「過去のぼくと今のぼくは違う」 「過去の自分もまた自分なのだからその責任を引き受けなさい」 「ぼくはだれも成し遂げたことのないことをしたい、だれも到達したことのない地点にたどり着きたい、そして史上最も強い人間になりたい。でも同時に一回限りの人生だ、今を楽しみたい」 「なら、過去の弱い自分も受け容

          【偶然を愛そう?】

          冬に雨

          晴れた寒空を見上げていました 黄昏れなんか気取ったりして 取り留めないことを考えていました 支えきれぬ自分を放り出してゆく 僕はあいも変わらず惰性で生きているよ しがらみも呼吸の代償だと笑い飛ばしてくれたらいい 遙か遠い冬の月に 君を想ったよ 人恋しさの増した仕事帰りの道 坂を下ってゆく 振り返れば優しさが涙を連れてくる 幾つになったって きっと 大人にはなれやしないんだ そばにいてよ ひび割れた皮膚に瘡蓋が付いた 擦れ枯らした日々 ささくれた言葉 溢れそうになる

          滞在権訴訟 7/7

          「ねえ、そろそろ」と僕は呟く。  と瞬間、背後で甲高い悲鳴が上がり、陶器が割れる大きな音が響く。  びっくりして振り向くと、レストランの入り口近くでテーブルが二卓横向きに倒れている。その周囲には皿とグラスが散乱していて、中央に倒れた人影がある。仰向けで倒れており、どうやら意識を失っているらしい。辺りの人々もみな一斉に息を止めていて、視線がそちらに向いている。僕はシンジにどうしたのだろうかと訊ねる。彼はやおら立ち上がる。僕の質問は聞こえていないらしい。彼はまっしぐらで倒れたテー

          滞在権訴訟 7/7

          滞在権訴訟 6/7

           僕は少し微笑みながらマキを見つめる。マキもこちらを見ている。けれどその表情は、話し出す一瞬手前で時が止まってしまったみたいにまじろぎもしない。微かに口は開かれたままで大きくて丸っこい目は瞼が覆い被さり、それはすぐに開かれまた瞼が被さる。時間が止まるはずがない。マキはこれから何かを言い出すだろう。僕には予想のつかないことを。シンジは穏やかな笑みでこちらを見ている。焦点はやはり僕のずっと後ろにある。やおらどこかから、椅子を引く音が上がる。耳を澄ませばナイフとフォークの触れ合う音

          滞在権訴訟 6/7

          滞在権訴訟 5/7

           僕はシンジに反論をしたい。でも、浮かぶどんな理屈も到底敵うものではない。だからこそ自分がこれまで採用してきた考え方(個人主義とニヒリズム)をもう一度見直す必要があるという結論に行き当たる。けれど、未だにベルリンの夜景が回転しているのか判別が付かないことが示しているように、頭は混沌を極めていて、あるいは混沌こそ新たな誕生の前兆とも考えられるわけだが——なにかが『光あれ』とでも声掛けをしてくれれば、僕の矮小な宇宙である眼前の光景がくっきりした輪郭を表して秩序を取り戻す——、とも

          滞在権訴訟 5/7

          滞在権訴訟 4/7

           店内のスピーカーからは『カインド・オブ・ブルー』が流れている。言わずと知れたモード・ジャズの世界的名盤であり、コードを取り払ったことで産み落とされた圧倒的な自由と、その発明の必然的帰結として要求された禁欲的なまでの抑制が注がれる演奏は、やはりこの空間にうってつけだ。シンジとマキは、そしてこのレストランにいる他のすべての人々は、各々の周りで流れる優雅な時を楽しみ、けれど同時に、他を気遣うことを決して忘れない。流れ来る旋律は上品さだけでなく哀愁を帯びてもいるが、それはどこかマキ

          滞在権訴訟 4/7

          滞在権訴訟 3/7

           ホリデーもとうに終わっているのに、広場は賑やかな声と華やかな電飾で彩られている。やはりどこかSF映画の世界みたいだ。広場一帯を明るく照らすネオンのせいで、人々が吐く白い息はドライアイスの煙みたいに無機質に見える。 「上へ向かいましょう」とシンジが爽やかな笑みを浮かべてこちらを振り向く。彼はぼくらの先を歩いている。「ベルリン、光の壁を見にね」 「ザ・ウォール・オヴ・ライト」と僕は呟いて解説を求めるが、シンジは足早にずんずん先へと進んでゆく。まるで人の流れを完全に読み切っている

          滞在権訴訟 3/7