寝太郎

40代の、発達障害のおじさんです。 長くnoteから離れていたので、まずはリハビリに、…

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40代の、発達障害のおじさんです。 長くnoteから離れていたので、まずはリハビリに、 思い立った時に日常を簡単につづります。

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最近の記事

世間師という価値観

所属する団体に、外から新たなものをもたらす。 どうやらそれが世間師のようだ。 内にこもってばかりでは、内向きな価値観しか得られない。 小集団も、他者を取り込む必要がある。 外からの視点を取り入れるのである。 目や口は、通常外へ向いている。 外なるものを取り込むように出来ている。 目は半眼が望ましい。 内と外に目を開くのである。 外ばかり見ては、己が見えて来ない。 内ばかり見ては、世界が見えて来ない。 外なるものを内なる視点で消化するのである。

    • 働く人から見る人へ

      家庭内労働など、仕事以外の仕事も含め、頑張っているからには、誰かに評価されたいよね。 ここに、働く人に対して見る人の必要性が要請される。 たとえ、トップであろうと、誰か認める人、尊敬する人、憧れる人等が欲しくないだろうか。 仕事が忙しくても遊びたいよね。 迷惑センサーではなく、存在を認めるという意味で見る人、及び存在する人が増えるといいと思う。 慈愛の眼差しが増えるといいと思う。

      • 読書内容は記録しなければならないか

        読書内容は記録しなければならないか、聞いた内容は記憶しなければならないか。 僕自身は、読書内容も、聞いた内容も、大部分忘れる。だから多分、無意識に身体化されている。 そして、何かの拍子に飛び出すのである。 アウトプットのためにはインプットは必要なことではないか? だがインプットに比例して、アウトプットが増える訳ではなさそうである。 それは、インプットに比例して、自分の言いたいことを抑圧しているからである。 では言いたいこととは何か。 言いたいことを言うためには、社会関係を作ら

        • 自己改造

          自分は愛されるために、自己改造しなければならないの? これは、大変難しい問題である。 教育や自己教育の過程が、自己教育とも言えるし、環境の変化に伴って変わっていかなければ適応出来ないことは、誰しも認めるだろうから。 ただし、環境を変える部分と、環境に変えられる両面があって、両者の相互作用があることに注意しよう。 変えられる側面だけでは、過剰適応であって、 自分を押し殺すことになるからである。 自分が息をするという意味では、変える部分がなければならないし、他人が息をするという意

        世間師という価値観

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          暗い気持ちの人々

          いや、性格には人々というより、人かもしれない。 つまり僕自身。 僕は精神科の薬が安定するまでは、どうしようもなく、暗い気持ちの日々を送っていたが、薬が安定するに従い、楽になった。 これは別の薬も効き、身体的にも安定していったのも大きい。 心身が遅ればせながら、健康体に近付くに従って、 すとんと楽になった。 もちろん、大量の薬を服用しているが。 僕は大学の頃から阿弥陀仏の本願を求めたが、わかりはしなかった。 むしろ、人を癒やすのは人なので、阿弥陀仏の本願という回り道をせずに、素

          暗い気持ちの人々

          解読コード

          過去を読み解くには解読コードが必要らしく、古いものを古いままいじり回してはいけないらしい。 過去に、現代の視点で、新しい光を当てなければならない。 過去を頻繁に振り返るのは後ろ向きでよくないかもしれない、特に若者がまだ短い生涯で、過去を振り返るのはよくない。 だが、時々気持ちや立場が転換したときに、時々過去をチェックするのはよい。 何故なら、現在の地点から、過去の評価が変わるからだ。 それで現在のモヤモヤが解消されることもあるのだ。 人生、脇目も振らずに駆け抜ける時期ばかりで

          解読コード

          兄弟愛、友情、ソウルメイト

          人間関係いろいろあると思うが、身近で充実した関係を理想とする考えは根強いだろうし、僕もそうした考えは根強い。だが、常に理想の人間関係が結べる訳ではない。 社会に友情や経済活動によるケアが足りないと、 とても寂しいと思われる。 ただ身近な人は、いろいろ困った行動を取ることがある。 聖人君子は存在しないと思うが、人間関係の距離感を上手く取れば、お互いを聖人君子のように感じてしまう。 身近な関係は遠慮がなくなるので、はっきりいったり、甘え過ぎたりするのだろう。 親しき仲にも礼儀あり

          兄弟愛、友情、ソウルメイト

          物語

          人生の豊かさは、物語の豊かさ? もちろん、現実は無視出来ないし、あまりに夢見がちなのはどうかと思う。 あまりに頭でっかち過ぎて、全く行動力がないのはどうかと思う。 ただ、波瀾万丈であるとか、世間的に成功しているとか、平凡で平坦であるとかだけで人生決まる訳ではない。 人生は現実が決めるが、豊かな内面を持つことで、 現実を乗り越える武器になる。 そう思える。 たとえ浮かない人生でも、気持ち次第で満たさる瞬間はあるはずである。

          機械操作

          現代人の自由とは、機械操作であろうか。 スマホやテレビはそうで、ボタン押すだけであろう。 しかし、人間性はそれに耐えられないので、 会話や肉体労働といった反逆をする。 こうした行為は、機械に対する反逆なのだ。 音楽に聴き惚れて、気持ちよくなるのも反逆だし、 美しいものに癒されるとか、 美味しいもの食べるのも反逆。 反逆は常に暴力を伴う訳ではなく、 気持ちが気持ちいいことをして、 人間性を取り戻す行為は、全て反逆と言える。

          機械操作

          柔らかく伝え、攻撃的にならないように上手く言う。 みんなが気持ちよく過ごせるようになりたいものだ。 職場も気持ちよく、お客様も気持ちよく。 去勢した攻撃性をどこに持っていくかという問題はあるが。

          柔らかく伝え、攻撃的にならないように上手く言う。 みんなが気持ちよく過ごせるようになりたいものだ。 職場も気持ちよく、お客様も気持ちよく。 去勢した攻撃性をどこに持っていくかという問題はあるが。

          言葉は、正しいことを言えばいいというものではない。言い過ぎたり、言い方を間違えると暴力性になる。だが、何も言わない訳にはいかない。 これが正義の難しさだ。

          言葉は、正しいことを言えばいいというものではない。言い過ぎたり、言い方を間違えると暴力性になる。だが、何も言わない訳にはいかない。 これが正義の難しさだ。

          売買の確率

          本の売買には当たり外れがある。 売れる本と売れない本がある。 買う側にも当たり外れがある。 読む本と読まない本、 読んで面白い本、面白くない本がある。 これらはかなり主観的なものだ。 本を買うというのは、スクラッチを削るようなものだ。 外れも多いがほんのわずか当たりを引いて、 また買うのだ。 当たるも八卦、当たらぬも八卦という訳だ。 また、趣味を突き詰めると、他人には何だそれ? というようなマニアックな知識や本を集めるようだ。 僕の頭と本棚にも、興味ない人からすると、 何だ

          売買の確率

          喜び上手、喜ばせ上手

          嫌なことやいらないものはよっぽど断るだろうが、自分が何かして、好きな人が喜んでくれるのは、 素直に嬉しい。僕は割とそっけないのだが、お礼や返事の一言があると、多分嬉しい。 オーバーな表現でなくても、何かリアクション とか、一言添えてあると、かなり嬉しい。 たった一つのリアクションで嬉しいなら、 気が効いた一言じゃなくていいから、 一花添えよう。余裕あるときは。

          喜び上手、喜ばせ上手

          魅せる

          人は関係的存在である。 魅せるはつまり、見せることである。 引きこもる努力も大事だが、見せる人がいなければ、つまらないだろう。 見られ、話を聞かれ、リアクションをもらう。 影の努力もこのためにやる。 見てほしい人がいるから、影ながら努力する。 その姿は、何と健気であることか。

          鬱や無気力、引きこもりなど、僕に時々陥る。 人生の目的は無であるか。 僕は小さな目的の連鎖であると思う。 究極の目的を探すことは無意味である。 究極の目的はない。 しかし因果は必然ではなく、偶然に満ちている。 小さな因果が偶然つながる。 例え小さな変化でも、チリも積もれば山となる。 小さな挑戦、小さな失敗、小さな変化を恐れない。 大きな変化が起こるまで、数年や数十年かかることもある。

          個室

          今はどうかわからないが、昔聞いた話では、欧米ではある程度の年齢に達すると、個室が与えられるという。 完全な引きこもりはよくないかもしれないが、自由に引きこもれるプライベートな空間は、私にとって必要ではある。 引きこもり、孤独に考えるからこそ、人との関わりも可能ではある。 この孤独は、人との会話や対話の経験に支えられる。 孤独と社交は、車の両輪のようなものである。