でも自己犠牲は綺麗だなって思ったんだよ 構われたがりの独りよがりでも、 周りからは幸せそうに見えていたらしい それならばなにより 思ってたより惨めじゃないなら 愛されてる誰かを恨みながら生きるより 今を生きる感情ごと手放してしまったら楽になれるような気がした 誰かのために歪んでしまった自分を抱えながら 透明感のある温度を行き来している 残高が少なくなる事に気持ちが軽くなる こういう気持ちだって誰かにとっては無造作に消費されるコンテンツでしかない 誰かにとって私の不幸
自ずと私より体重も重いから。 でも私は圧力をかける側であることを諦めない。 という書きかけの記事を発見するも今の私は学習性無力感に苛まれている
何も選ばないことを選んだというのは面白可笑しい
意味ありげに佇むものですら、なにかの前では無力さを噛み締めるしかないように。 私もまた、何も手に入れられないまま喪うことを覚えた終わりゆくものでしかないのに。 例えば私が雑踏や喧騒の中に埋もれていくとして、誰かの掌に拾われるものが私ではなかったことを諦めて笑えるような敬虔さに辿り着く日は来るのだろうかと。 それはそれで自分の意志をなくした傀儡にしか思えないのに、とどのつまり「誰かのために諦めました」ということはご都合的なぶりっ子でしかないのでしょう。
架空のアニメ進行中です (皆死ねばいいのに) それでも私の中では神作画で覇権アニメです ねぇほらアイツって顔しか自慢できることないんだってさ、いつか行き詰まるといいね!
誰かが私に望む私と、 本来の私は違うのだということ 1.それで貴方の気が済むのならば、 そして長過ぎる前置きシリーズ。 小生、自分を不幸だなと思うことはあれど、選べる範囲での自分自身の選択の積み重ねでこうなったのだからどういう人生の終わりを迎えようと自分に対する憐れみは結局のところ失礼だなと思うわけですよ。 化物語だったかな? “正しすぎる人間”について言及しているセリフがあって、“そばにいるとおかしくなる”的なニュアンスだった気がする。 自分の未熟さや愚かさ、此れま
載せる場所がない。
誰かにとってのありがとうは私にとってのごめんなさいだった。 こんなことのために私は私の人生を楽しめないまま終わってしまって御免なさい。 かつてあの文章を書いたあの人達が、誰にもその生を悼まれなかったように私もまた何かの犠牲の上に積み上げられたものを時代の移ろいに踏み躙られていくのだろう。 ただ私はそれでも誰の目に止まることがなくとも、こうありたかっただけの話なのだ。 私自身が朽ちていく錆鉄のようであっても。 1.3日目 えっ!私こんな事考えながら咀嚼してるんですか!?
日本三大怨霊好きです 頭良いのに立ち回りが下手くそで最終的に誰かを恨んでしまうような利己的なところが。 ついでに私の嫌いな人を呪ってもらえますか? 1.着いた時間が遅すぎたので適当に入店 なんなら眠気のあまりホテルの椅子に腰掛け暫く動けずにだらだらと1時間後に行動を開始した。 昔の武士や豪族も至る所の神社を参拝したそうだけども戦勝祈願というよりも気分はいやはや終活なのである。 終活といいながらちゃっかりはするのだけども。 〚この頃、今よりも少し前ですかね? 見に覚えの
SNSを辞めたい 気が付くと始めている
古い傷を新しい傷で埋めようとすることは紛れもなく浅はかなのですけど、 そうしてじゅくじゅくと膿むような得体のしれない異物感が私をなんとか人間たらしめてるような気すらするのでした。 意味をもたないようなものに意味をもたせようと一生懸命になったりして。 一時のつまらない感情を大事に思ったりするのです。或いは私が私に害したものを許せない激情に一先ず安心することもあるように。 結構人によっては辛いことでも自分はなんだか平気だなぁって思いつつも、なんとなく人並みに傷付く
きっと、人は最初から最後には死ぬためだけに生きている。 そんなふうに思ってから何年経っただろう。 時々記憶を消して18くらいからやり直せたらいいのになんて思う、でも本物の18歳とやり直しの18歳では雲泥の差があるのは確かなのだ。 それに記憶を消した所で、それは今の自分を構成する要素を失うのと同義ではあるので、結局喪わずに越したことはないのではないのか?と思わざるを得ない。 許せなかった何かを忘れてしまうことこそが自分が既に失った原動力すらも何処かに追いやってしまうような気が
比企谷とは別ベクトルだけど選ばされたんじゃなく選んだんだと思い込みたくてそういった形の自己犠牲に酔いがちだよねーって話はする。不幸になったんじゃなくて自分から不幸を選んだんだってプライド? まあその時点で自己犠牲でもなんでもなくて八つ当たりなので自己満足と同種であり筋合いもない。
馬鹿なので頭良さそうに見せようと買ったアルジャーノに花束を、の英語版を私はまだ翻訳していない。そんなやつです。 若い子の楽しげな姿を見れば人知れず殺意が湧き、インスタグラムを開けばキラキラ地獄に絞め殺されそうになる。 自分の居場所ではないような。 結局のところ、いい人間になるようにと絶え間なく頭にこびりついた罵詈雑言が消えることはなく誰かの願いに反してそれは私を亡き者にした。 ただあの頃を思うならば、誰に知られることもなく消えゆく私の幼気だった散り際を尊ばずにはいられない
実はこのあとまた京都に点数稼ぎに出向いてるんですが先に閑話休題。 それでもいいよって思える日は来るんだろうか? ということを考えながら、 別に参拝したからって何かが変わるわけじゃない単なる願掛けのようなもので最終的にどうにかするのは自分の力でしかない。 そんな事分かっているのにどうしようもない。 なんとかしてくれるなんて思っちゃいないのだ、ただどうしても宝くじ当たらないかな馬券当たらないかなみたいに取り留めのない日常として赴いてしまうだけで。 何かに期待することが罪だと思
脳内連作『ネオンの虎』『凍てつく雹』『或猟彪のGHOSTdance』 「その身長と顔があったから私の仮面をつけて幸せになってしまった貴方に分かりますか?」「何一つ持ち合わせてないのに」「君の才能が好きだと言ったゲイの彼、本当は君自身のものではないと知っても愛してくれるでしょ?」