アドラー心理学の「劣等感」 劣等性を「避けること」はできない 必ず誰かに何かは劣るから 劣等感を感じず生きるのも難しい 社会では比較され評価されるから だから 劣等感を感じるのは普通 そこからスタートすれば良いじゃん 頑張るか? こじらせ、コンプレックスを抱えるか?
「具体的に劣る特性」を『劣等性』と表します。 これに負い目を感じると劣等感になります。 しかし、環境や体格など、劣等生は誰もが何かしら持っているもの。 でも、アナタにだってできる事がある。 アナタが「誰でも出来る」と思う事も出来ない人がいます。 人には必ず居場所があるんです。
自分の善は偽善だなとすごく感じる。 善的な行動を通して、私は自分にとって誇れる自分でありたいだけだ。 究極的には、人にとって悪である行動でも行為の後に誇れるのであればやってしまうだろう。 究極的に利他的にはなれない劣等性を認めつつも、やらない善よりやる偽善を貫いていきたい。
自民が箱物行政で失敗し、民主に移して上向きはじめたのに、また自民に戻っていままた箱物行政が復活して国民がじり貧になっていくの、喜劇か
自信を失うことで見えてくることもある? オリンピックを通して日本国民が自信を失うの期待している人がいました。なぜ期待したかというと、自信を失うことで、日本人の劣等性を自覚し、能動的な社会参加につながるのではないかと考えたからそうです。 うまくいくのでしょうか?